Friday, December 31, 2010

Christmas Eve


12月24日の晩、ジャンカー家でクリスマス・デイナーをenjoyしました。奈帆、超おいしかったです。Thank you!

Thursday, December 30, 2010

聖書 6


そんなに大切な神様の言葉には何が書いてあるのでしょうか。実は、聖書は神様からのラブレターなのです。嬉しい嬉しいラブレター、何度読んでも飽きないラブレターです。神様がどんなに私たちを愛して下さっているかを書いた本なのです。神様のあなたに対する愛の告白です。聖書は、神が全知全能で天地の創造者であると伝えます。そのとてつもない神様が、信じられないことですが、こともあろうに、こんなに汚れた人を愛して下さって、この人を救うために地上までおりてきて、自分の一人息子を送って下さった。そればかりか、その一人息子のイエス・キリストは人と共に生活をして、そして最後には十字架の上で人の罪を一身に負って死んで下さった。そして、三日目には甦って、私たちに天国の望みを与えて下さったと、書かれています。

皆さんの中にウジ虫が大好きだという方いらっしゃいますか。あまりいらっしゃらないと思います。普通の感覚からはそんなことはあり得ません。ある意味では神様はそんな変わり者なのです。神様にとってウジ虫よりももっと汚らわしい人間のために一人息子を犠牲にされたんです。それをそのまま信じ受け入れて、救いを受けたたくさんの人がいるのです。ジャンカー先生も奥さんも、そして私もすべてその中の一人なのです。もし、聖書がウソだったら、私たちほど惨めなものはありません。しかし、嘘をつくことの出来ない神様が書いて下さった聖書だから、私たちは信じるのです。

浜島敏氏

続く


Wednesday, December 29, 2010

瓦町でクリスマス讃美


12月21日(火)、高松の各教会が瓦町の商店街でクリスマス讃美を歌いました。家内の妹のミナコさんと親戚のジュンコさんも歌いました。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」聖書・ルカ2:14

Tuesday, December 28, 2010

イラクのクリスマス


中国、ナイジェリアやフィリピンもそうでしたが、ワールストリートジャーナルによると、イラクのクリスマスは、クリスチャンにとってあまり静かな「聖夜」ではなかったようです。イスラム過激派は、2003年以来、クリスチャンをテロの的にしています。毎日新聞によると、今年の10月、バグダットの教会で60人の礼拝者が殺されました。
イラクのモソルは、2000年間近く、クリスチャンの住まいでした。10月頃からは、1000以上のクリスチャンは、バグダットやモソルを去りましたが、イラク戦争の2003頃からは、500,000以上のクリスチャンがイラクを去っています。
ローマ教皇ベネディクト16世は、この世界中のクリスチャンの迫害のために、クリスチャンに勇気が与えられるように祈ったそうです(UKPA)「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」イエス・キリスト、聖書・マタイ5:22 迫害される人のためだけではなく、迫害する人のためにも祈る必要があります。

Sunday, December 26, 2010

Inosuke Mori


先週の火曜日(21日)、ジャンカー家は、森いのすけ氏のお葬式に行きました。彼は、パテントの多い科学者であっただけではなく、彼は、キリスト者であり、高松シオン教会のメンバーでもありました。私たちの高瀬キリスト教会にギネス記録を作った巨大コマをもって来たり、どのようにキリストに出会ったかを語りました。私たちの『祈りのコンサート』にも何回も来ました。最後の何日間、彼にとって一番大事なの聖書の言葉は「信、望、愛」(信仰、希望、愛〜聖書・1コリント13章)でした。残された私たちは、少しさびしいですが、天国に召された森氏は、喜びで満たされています。感謝です。

Friday, December 24, 2010

マット・マートンとクリスマス


10月5日、阪神タイガーズのマット・マートンは、神宮球場で行われた対ヤクルト戦で、イチロウ選手が持つ最多安打記録を超えた。最後には、214になった。

「異国の日本で成し遂げた偉大な記録。それは地道に重ねてきた努力が大輪の花を咲かせた瞬間だったはすだ。しかし、マートン選手の口からは常に『もっと大事なこと』が語られた。『たとえどんなに大記録を達成したとしても、選手生命はいつか終わりを迎える。僕にとってもっと大事なことは、自分のアイデンテイテイは僕を造られた神にあるということ。神はクリスマスに、イエス・キリストをこの世に送ってくださった。そして罪のないイエスが、弱さや欠け、罪を持つ僕たち人間のために十字架にかかり永遠の命をプレゼントしてくださった。これよりすばらしいことはありません。』」

クリスチャン新聞

写:我が家のクリスマス・トリー。


Wednesday, December 22, 2010

クリスマスお祝い~IN~高瀬


12月19日(日)、高瀬キリスト教会とマイ・ネイバー・イングリッシュ・スクールがクリスマスのお祝いをしました。80名くらい来ました。英会話の子どもの発表、クリスマス・ストーリー、特別音楽、キャンドル・ライト・サービス、プレゼントやお菓子の時間がありました。とても楽しい一時でした。

写:お祝いの後、英会話の幼稚園のクラスの家族がリビングでくつろいでいます。やはり、幼稚クラスの子どもが一番cuteです。

Tuesday, December 21, 2010

高山右近のクリスマス


高山右近の父親、高山友照、は敬虔なキリスタンで、右近自身は幼いころから信仰を持った。1582年(天正10年)「本能寺の変」で明智光秀が織田信長を討った。その光秀を攻めるため出陣した羽柴秀吉(後の豊臣)の武将の一人に高山右近がいた。高槻の城主で信長にその功績を認められ昇給していた。高槻の領内の人々からも慕われる人柄だった。

1587年秀吉はキリスト教徒を追放するため禁教令を発令し、秀吉の使者は3度も右近を訪ね、信仰を捨てるように、説得しようとした。茶の師として右近が敬愛していた千利休の説得にも応じなかった。結局、右近は仕事も財産も捨てた。

その後、加賀藩の前田利家に招かれた。金沢では城の改造、設計、城下町の設計計画から土木技術指導まで行った。建築知識も深く、デザインセンスもあった。ポルトガル語も分かり、外国の技術にも詳しかった。禁令のもと一人で茶室でデウス(創り主)に祈ることも多かった。1800年(慶長5年)関ヶ原の戦いで天下を取った徳川家康はキリスト教を黙認し始めた。それ以後、キリスト信仰は右近の布教で加賀藩内に急速に広まり、信者はやがて1000人を超え、念願だった教会も建てられた。1608年金沢あげの大規模で荘厳なクリスマス・ミサがささげられた。加賀の夜に聖なる歌がなり響いた。

その5年後1613年、徳川幕府はキリスタン禁止令を発令、右近は加賀での生活を捨て国外追放される道を選んだ。

クリスマスは「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(聖書・1テモテ1:15)事実と真実を特にお祝いするときです。

『まんが日本昔クリスマス』より










Friday, December 17, 2010

国分寺キリスト教会のクリスマスお祝い


12月12日、国分寺キリスト教会で、私が聖書の『ヨハネ3:16』からメッセージし、奈帆がピアノをひきました。

下に『ヨハネ3:16』の箇所とメッセージがあります。


『 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』聖書・ヨハネ3:16


私の母は、車会社のあるデトロイト市出身ですが、父は、ニューヨーク市ブルックリン出身です。父は、高校生の頃、クリスチャンに成りました。が、第二次世界対戦、フィリピンで戦い、飛行機の電機整備士でした。クリスチャンでありながらも、日本人が大嫌いでした。父は、戦争後、フィリピンに宣教師として行きたかったのです。が、父は、大学で聖書を聞いていた時、今日の箇所の「神は。。。世を愛された」と言うところに来て、「世」は日本を含み、神は元敵の日本人をも愛されることに目が開かれました。その後、50年近く、長野県の松本で日本人を愛し、キリストの十字架の愛を語り続けました。

ここまで人を動かす’愛’とは何でしょうか?

先ず、人間の愛ではなく、神の愛です。

「神は。。。世を愛された」とあります。人間の愛は、あまりにも弱いです。人間は、神や、人を愛さないで、自分や、物を愛します。しかし、真の神は、違います。私たちが知っているいわゆる『神』は、人間の思いによって、人間の手によって作る、人間を少し超えたものです。聖書の存在する神は、全ての創り主です。永遠で、無限です。真実さ、力、知識、知恵、聖さ、義において超越しています。特に神は、愛、恵み、あわれみにおいて超越しています。

次ぎ、その愛は、「一人子をお与えになったほど」の愛です。

キーワードは「お与え」です。神の愛は、気持ちで終わらない、行動に見える、与える、『アメーエジング・グレース』の恵み深い愛です。私たちは、クリスマスにプレゼント交換をしますが、神の恵み深いプレゼントは、最愛の「一人子」イエス・キリストです。イエスが最大のクリスマス・プエゼントです。

説明しましょう。私達人間は、はじめには、神を愛し、隣人を愛していたのです。しかし、私達は、神を愛し、隣人を愛するよりも、自分自身を愛し、物を愛すように成りました。これによって、自然が乱れ、平安が私達自身の心から去り、平和が互いの間からも去りました。貧困、飢餓、戦争、不正、差別、憎しみ、空しさ、失望、病気と死がこの世に広がりました。しかし、神は、「一人子」イエス・キリストを通して、私たちの歴史に入って来られたのです。イエスは、神と私達の間の愛の関係を、また人間と人間との愛の関係を、癒し直すために来たのです。キリストは、罪人の間に住み、人を癒し、死人をよみがえらせました。キリストには、いっさいが罪のなかったのです。しかし、イエス・キリストは、十字架上で罪人の代わりとなって死んで下さったのです。罪人が罪のゆえに死ぬべき死を身代わりとなって死んだのです。犠牲的な愛です。これよって、神との関係が回復し、人との関係が回復しはじまめたのです。

私たちの返事は、「御子を信じ」受け入れることです。

「お与え」とあるように、最高のプレゼント「一人子」イエス・キリストを心に「受け入れる」のです。ヨハネの福音書のカギとなる聖句は、ヨハネ1:12です。 「しかし、この方(唯一の神でもあられるイエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」哲学や、道徳や、教義を「信じ」受け入れるのではなく、唯一の神また救い主であるイエス・キリストと言うお方を受け入れるのです。それによって、書いてあるように、本当の「永遠の命」をいただくのです。’死んでも死なない命’だけではなく、今も、神に特別に愛され、子供とされる生涯が与えられるのです。このようにして、私達は、全く新しい人となります。イエスの力強い愛が私達の内に働き、また私たちを通してこの愛が他の人に働き始めるのです。

私は、日本で宣教師の家庭に生まれ、長野県の松本で育てられました。小さいときから、ヨハネ3:16を暗記させられました。でも『いや』でした。ヨハネ3:16のメッセージを何回も聞きましたが、信じませんでした。8歳の頃、家族皆がアメリカに行きました。母側のお祖父ちゃんの家に泊まっていた時、私のEvangeline叔母ちゃんが、分かりやすく、イエス・キリストの十字架の意味を説明しました。私は初めてヨハネ3:16の意味が本当に分かり、信じ受け入れました。私は、8歳の頃に信じたキリストの愛を、現在毎日のように覚え、それによって変えられています。

私たちは、イエス・キリストの十字架の愛を継続して信じ、感動することによって、隣人だけではなく、敵を含めるあらゆる人を愛するように変えられて行きます。また、イエスの恵み深い生涯と十字架の愛と模範によって、どのように人生を送るべきかを教えられます。

父は、ヨハネ3:16の「神は。。。世を愛された」という言葉に変えられ、50年近く、イエス・キリストの十字架の愛を長野県の松本平で語り続けました。その中の一人の’トラックの運ちゃん’畑野さんがいました。父がフリピンで日本軍と戦っていた時に、畑野さんは、その敵の日本軍として同じフィリピンで戦っていました。しかし、不思議なことです。数十年後、父を通して、イエス・キリストを信じ、父と同じ教会でイエス・キリストの”十字架のみもと”で、心を一つにし、神を崇めるようになったのです。キリストの十字架の愛に真の愛があり、人を創りかえる力があるのです。。。 あなたをも変える力が豊かにあるのです。


Wednesday, December 15, 2010

欧米にないクリスマスの習慣。。。



昨日、RNC西日本テレビを見ていた時、おもしろい番組を見ていました。日本にあって、欧米にないクリスマスの習慣についてでした。

日本では、ブーツの中にお菓子を入れる習慣があるそうですが、欧米ではないです。私たちの家では、大きめの赤いストッキングにお菓子などを入れる習慣がありますが、多分日本の習慣はそこから来たのでしょう。

写:一番左のストッキングは、私の子どもの頃からのです。他は、奈帆と結婚した後のです。クリスマスに近寄ったら、キャンデーなどを入れます。

また、日本では、ケーキを食べる習慣があります。白いクリームに赤いストロベリーが特徴です。欧米では、国ごとに違うようです。私たちの家では、パンドケーキを食べた覚えがあります。

日本では、そのケーキにロウソクを立てる習慣があります。欧米ではしません。誰の誕生日ですか?。。。考えたら、イエス様の誕生日ですね。"Happy birthday to you.... Happy birthday, dear Jesus..." 日本のgood ideaですね。

日本では、クリスマス・イブに、若者がデートする習慣があります。RNC西日本テレビによると、特に、山下 達郎のクリスマス・イヴ』の頃からはやったようです。でも、ご存知のとおり、欧米では、クリスマスは、家族との時であり、イエス・キリストの誕生日ですから教会に行く時です。

あなたも、本当のクリスマスをあなたの家の近くのキリスト教会で味わったらどうでしょうか?キャンドル・ライト・サビスで、なじみのあるクリスマス賛美歌を歌ったり、イエス・キリストの不思議な誕生の真実のメッセージを聞くことができます。意義のあるクリスマスを味わうことが出来ます。

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」聖書・ルカ2:11

Friday, December 10, 2010

キリストが教会を愛したように


「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。。。。 あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」聖書・エペソ5:25&33


とても高い基準です。ですから、これによって私は悔い改めに導かれ、私を愛しご自身を私のために十字架上でささげられたお方を仰ぐように導かれます。この究極的な愛によって、私は妻を愛し、妻は私を敬うのです。キリストの恵みによって動かされ、敬愛するのです。


写:12月7日、ファミリーレストランJoyfullで奈帆とのデート。


Thursday, December 9, 2010

聖書 5


「そして、聖書が神のことばであると証明する大きいな証言があります。それは、この2000年間、そう信じてきた何千、何万、何億、何兆というクリスチャンがいることであります。彼らは身をもって聖書こそ神の間違いのない言葉であることを信じて、聖書の教えて従って歩むことによって、聖書が本物であることを証明してきたのであります。」

浜島敏氏

続く


Tuesday, December 7, 2010

The Numahara's kids...


12月4日、ヨシアとエリヤがジャンカー家に遊びに来ました。「けいどろ」して遊んでいたそうです。It was fun!! 友達って良いね!

Sunday, December 5, 2010

聖書 4


「こんな聖書ですが、世界にはいくつぐらい言語があるでしょうか。5000を越える言語が世界に存在しています。その中で、聖書は2000を越える言語に翻訳されています。こんなにたくさんの言語に翻訳されている本は他にありません。聖書は世界の全ての人に必要な本ですから、神様はいつの時代にもそのような人を起こし、与えて下さっているのです。だから私たちは日本語で聖書を読むことができます。ギリシャ語しかなかったらどうでしょう。また英語やフランス語には翻訳されていても日本語には翻訳されていなかったら、聖書を読める人は日本人の中にはごく僅かな人しかいなくなってしまいます。」

浜島敏氏

続く

聖書・amazon. co.jp







Saturday, December 4, 2010

The Sugahara family


菅原牧師&ファミリーが月曜日(30日)ジャンカー家に来て下さいました。楽しいひと時でした。先生は白金キリスト教会の牧師です。旬君(1)&幸ちゃん(3)は very cute です。

Friday, December 3, 2010

聖書 3


「聖書は神様の言葉ですから、実は悪魔の一番の嫌うものでもあります。悪魔は何とか聖書をこの世からなくそうと一生懸命にやっきになってきました。聖書撲滅のためにあらん限りの力をふりしぼったのです。悪魔は聖書を滅ぼすことがキリスト教を滅ぼす最高の方法だということを知っていました。聖書ほどこの世から消されようとした本もないと言えるかも知れません。旧約聖書の時代からそうですが、新約聖書の時代に入っても、何度も聖書はもう少しで抹消されるという試練を受けてきました。

まずキリスト教が誕生してしばらくは悪魔が最も激しく攻撃を仕掛けて来た時代です。約300年の間、聖書を持つことは大変危険なことでした。というよりは命がけでした。聖書を持っているのが見つかればそれは死を意味していました。しかし、不思議とその間も神様は聖書が地上からなくならないように守って下さいました。多くの信仰深いクリスチャンたちがいつの時代にも与えられ、聖書は写され続けてきました。当時は大変です。印刷がないですから、聖書が欲しければ自分で写すしか方法がないのです。聖書を写すことを考えてみて下さい。大変な仕事です。それでも神様はいつもそのような忠実な人たちを送り、これを守って下さいました。

地上から消えた本はたくさんあります。また残っていても、聖書と同時代に書かれた古典の写本は、2部とか3部とかせいぜい数十部、しかも残っているものといえば、書いた時から1000年も後になって写されたものしかないのですが、聖書は命を賭けて守ってくれた信仰の先輩のおかげで、5000部を超える写本が存在しているのです。これはすごいことなのです。世間の人の中には、「聖書」と聞いただけで、眉唾物、まがい物と考えたがる人がいますが、そんなことはありません。神様はこの聖書が地上からなくならないように守って下さいました。人類救済のために欠かすことの出来ない聖書をこの世から消すはずがないのです。というわけで新約聖書は、数からいっても、また原著からの期間から見ても、飛び抜けています。とにかく私たちの持っている聖書は、歴史的にも十分信頼できるものであるということです。神様が人類救いのために与えて下さったものですから、それが正確に伝えられるようにずっと守って下さっていたのだと言えます。

一般の本だったらとっくの昔地上から消えています。ローマ皇帝ディオクレティアヌスの時代には、聖書は集められ、荷車にうずたかく積まれ、町の大広場で燃やされたという記録があります。おかしなことですが、中世のヨーロッパは、キリスト教の時代ですので、聖書は当然大切にされたと思うでしょうが、当時のキリスト教、すなわちカトリックでは、聖書はラテン語しか持つことが許されていませんでしたし、それも司祭(牧師)ですら、持っている人は少なかったのです。その時代に、聖書をみんなの読める言葉(英語)に翻訳した14世紀のジョン・ウィクリフという人は、そのことために異端とされ、死後墓から骨が掘り起こされ、燃やされて、灰は川に流されました。

宗教改革は、一言で言えば、聖書に帰る運動だったと言えます。マルテン・ルターが聖書をドイツ語に翻訳したことは良く知られています。同時代のイギリスのウィリアム・ティンダルという人は、英語に翻訳しようとしましたが、イギリスでは聖書翻訳は禁じられていたので、ルターの影響の強いヨーロッパ大陸に逃れ、そこで聖書を翻訳し、イギリスに密輸で送り込みました。しかし、それに気づいたロンドン大司教は、大金をかけてそれを買い占め、セント・ポール大寺院の中庭にうずたかくそれを積んで、その前で、大説教をし(この悪魔の働きを滅ぼすために)焼かれました。ティンダル自身は、友を装ったスパイの手により、官憲に引き渡され、投獄されてしまいましたが、牢獄の中でも彼は聖書翻訳をしました。少なくともその願いがありました。ティンダル自身の署名のあるたった一通の現存する手紙には、「聖書と、ヘブライ語の文法書と辞書の差し入れ」をして欲しいと書いています。まるでパウロの獄中書翰さながらです。しかし、彼はやがてベルギーで処刑されてしまいました。彼の最後の言葉は「主よ、イングランド王の目を開き給え」でした。聖書翻訳のために文字通り命を捧げたのです。宗教改革を断行したイギリスでは、その同じ年、ティンダルの聖書が王様の命令によって出版されたのです。彼が翻訳した新約聖書は、英語聖書の傑作と言われるキング・ジェームズ訳聖書の70%以上が、そのまま使われているのです。聖書には不思議な力があります。ここにも聖霊の働きがあったと言えるでしょう。」


続く

Thursday, December 2, 2010

国分寺キリスト教会


11月28日、私は、国分寺キリスト教会でメッセージしました。イエス・キリストの恵みによって奉仕や伝道することを強調しました。「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。。。忠実な人たちにゆだねなさい。」聖書・2テモテ2:2キリストの福音とその恵みが中心でなければならないのです。恵みでないと、伝道と奉仕で、ただ忙しくなって、心が冷たくなったり、義務的になったり、重くなるのです。恵みに強められて、「忠実なものに委ねる」のです。』

Wednesday, December 1, 2010

聖書 2


「聖書を神のことばであると証明するのは、いろいろな方法があります。聖書自身がそう主張していることがあります。また、考古学などによって、その真実性を証明する方法もあります。

キリスト教はなかなか良い教えであり、その倫理性の高く、聖書の教えは喩えとしては面白いし、人生訓として最高だけれども、多くの人は聖書は神話であって、そのままは信じられないと言います。もともと歴史ではないのだから、歴史として読むのは間違っているとも言われます。

18世紀から19世紀にはそのような意見をいう人たちが多かったのですが、不思議なことに、考古学が発達して、20世紀になりあちこちで発掘が進むと、むしろそれまで神話であると思われていたことが、次々と事実であったということが明らかになってきています。聖書はそのまま信じて良いのです。

逆に聖書の言うことはきちんと聞くべきです。考古学によって今まで神話でしかないと思われていたことが、事実であることが分かってきたと言いましたが、ここで間違ってならないのは、考古学が証明するから、聖書が神のことばであるということではなく、逆であって、聖書が神のことばであるからこそ、その裏付けとして考古学が証明しているに過ぎないのであって、ある意味では当たり前のことであります。

また、聖書が我々に伝えられているその歴史を見ることによって、これはただ者ではないということが分かります。神様は歴史を通して聖書が神のことばであることを実証しておられるのです。聖書は歴史上、何度消されようとしたか分かりませんが、その度に守られ、そして全世界の人たちに分かる言葉に翻訳され続けています。」

浜島敏氏

続く


Tuesday, November 30, 2010

四国学院大学


11月25日(木)、私は、四国学院大学のチャペルの時に聖書・伝道者の書1から「空の空」と言うテーマについて語りました。 神無しでは仕事を含めて全ては空しい。全ては、キリストにあって意義ある。聖アウグステイヌスの引用で終わりました。 『主よ、あなたは私達をご自身のために創られました。私達は、あなたに安らぐまで、決して安らぐことはないのです。』

Monday, November 29, 2010

聖書 1


「聖書は実に不思議な本です。矛盾がいっぱいあるように見えて、実に良く調和されている。非科学的であるように見えて、実は最も科学的である。学者が一生かけて研究しても分からないほど深い本でありながら、その本髄は幼児にも分かる。宗教の本であることに留まらず、文学としても、教育や医学の教科書としても、倫理や科学にもインスピレーションを与え続けています。そればかり、この2000年間悩んでいる人の友、苦しんでいる人のそばにいて慰める本です。

なぜでしょうか。それは聖書が神様の言葉だからです。キリスト教は人が考え出した宗教ではありません。天からの啓示によるものです。また聖書は人が勝手に書いたものの寄せ集めではありません。聖書は特別の本です。聖霊(神)に導かれたことによって書かれた特別の本であります。パウロはこれを神の霊感によって書かれたと伝えます。聖書には神様の息吹がかかっているという意味です。というと、何かしら不思議なことが起こって、突然雷がなって、天から聖書が降ってきたというようなものではありません。ペンを執って聖書を書いたのは人間です。でも、(聖書の)2ペテロ1.21に書かれているように、聖霊に動かされた人たちが、神からの言葉を書いたものです。実際に書いたのは人でしたが、その人たちを動かしたのは神様なのです。そういうわけで聖書に書かれていることは神様のことばであり、真理なのです。」


続く

Saturday, November 27, 2010

主があなたを祝福し。。。


11月24日(水)、私は、私たの子どもが行っている上高瀬小学校で英会話を教えました。小学校に主イエス・キリストの祝福が豊かにありますように。聖書・民数記6:24−26『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

Friday, November 26, 2010

思い切り浪費して。。。


「イエスのたとえ話の中で、裕福で健康な人は婚礼に出席するようすが見られないが、貧しい人や弱い人は走ってやって来る。いつの時代も、キリスト教の聖徒たちは、ダーウィンの適者生存の法則には全く適合しないひとたちを愛の対象としてきた。。。。」フィリップ・ヤンシー

そして、フィリップ・ヤンシーはドロシー・デイを引用します。

『思い切り浪費して、コーヒーの価格も考えずに、長蛇の列を作って私たちのところへやってくる極貧の人たちをおいしいコーヒーと上等のパンでもてなす。これは本当に楽しいことです。』ドロシー・デイ

フィリップ・ヤンシーの『だれも知らなかった恵み』<amazon.co.jp>より


Wednesday, November 24, 2010

ジーザス・バイブル・ストーリー


私たちの高瀬教会の礼拝で、讃美したり、祈ったりした後、家内の奈帆が「ジーザス・バイブル・ストーリー」を読みます。イエス・キリストの尊い恵みが豊かに分かります。その後、家内が子ども向きのメッセージをします。そして、別の部屋で子どもたちが聖書のアニメを見ながら、私が大人の聖書研究をリードしています。。。。。 高瀬町、三豊市、西讃にイエス・キリストの祝福が豊かにありますように。

「ジーザス・バイブル・ストーリー」を高くお勧めします。Click here: amazon.co.jp

Tuesday, November 23, 2010

『陽気な物乞い』


「恵みはわれわれの求めの十分な、子どもらしい、楽しい受け入れ、絶対依存による喜びを与える。われわれは『陽気な物乞い』となる。」C.S.ルイス

C.S.ルイスは、この文書の前にこのようなことを書いています。 もし人間が輝いているとすれば、その輝きはまったく人間を照らしている太陽(太陽は創り主を例えている)から来ているということを認めながらも、それを悟ることはほとんど不可能であるのです。高慢な人間は、固有の光輝を持っているに違いないと思っているのです。人間は、自分がまったくの被造物であるにすぎない、と考えられないのです。人間が、全てのものが神の恵みによって与えられていることを悟り、人間が極めて神に頼って存在してることを認めいているなら、その人間の内に喜びが豊かにあり、『陽気な物乞い』 と言える、とC.S.ルイスは言っているのです。

私には、私たちの主イエス・キリストの十字架(の恵み)以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」聖書・ガラテヤ6:14

Monday, November 22, 2010

文化祭


21日に、私たちの子どもが上高瀬小学校で文化祭をenjoyしました。

ここで皆が歌っています。ジャシュア、シェーンとホサーナがどこかにいます。

シェーンは、シエーンのセリフがありました。

ジャシュアのクラスの発表で、ジャシュアにメインのセリフー松尾芭蕉ーが与えられました。*松尾芭蕉は、『隠れキリシタン』だったそうです。Maybe!? (インターネットで<松尾芭蕉、キリシタン>を検索して下さい。)なら、ジャシュアにあう役でした。

ホサーナも、発表しましたが、発表会の後、皆で学校のダイニングルームでうどんをためました。

上高瀬小学校の皆にイエス・キリストの恵みが豊かにありますように。

Saturday, November 20, 2010

「父の愛、神の愛」3


高瀬キリスト教会にて 2008/04/06

(写:右〜安藤まりさん

。。。続き

次に母のことですが、父の亡き後、母は13年間1人暮らしをしました。母は記憶の衰えを感じてきて、最後の3年間を私たちの横浜の家で一緒に暮らしました。

母と私は、共にかもい聖書教会の礼拝に通うことができました。昔から母と私は口喧嘩をすることは多かったのですが、そのようなことを通しても、母にとっても、私にとってもさらに自分の罪と弱さを徹底して知らされ、神さまにより頼むことの信仰の訓練の時となりました。

2人で共に毎朝み言葉を読み祈ることができました。母との葛藤の中にも、神さまが私たちと共にいて守ってくださいましたことをほんとうに感謝しています。

母もまた神さまを信頼し続けて、1カ月の入院を経て、私たち家族の見守る中、私の祈りのうちに、天の神さまの元に召されました。晩年の母との3年間の生活ではありましたが、それは確かに神さまからの大きなプレゼントでした。

私たちは、ほんとうに弱いもので、目先のことに翻弄されやすく、試練の苦しみの中にある時自分の力でなんとか解決しようと焦ったりして、神さまを見失いやすいものですが、私たちの神さまは、いつも私たちを決して見離さずに愛して養い育てていてくださっています。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ828

Ⅱコリント129,10「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

私の持ち物で、神さまから頂いていないものは、何1つないわけで、両親の残してくれたこの家も、神さまの御用に使っていただきたいとの長い祈りに、神さまがジャンカー宣教師家族を遣わしてくださり、今教会として、また英会話クラスを通して、神さまの救いのみ言葉がこの高瀬に少しづつ広がり始めていることを、ほんとうに喜んでいます。

高瀬の地に、愛なる神さまがこれからどのようなご計画をもっておられるのか、私たちは一歩一歩をみ言葉に導かれながら、救い主なるイエスさまから目を離さないで従いながら、天に続くその道を進ませていただきたいと願っています。

終わり

Friday, November 19, 2010

「父の愛、神の愛」2


高瀬キリスト教会にて 2008/04/06

(写:右〜前川忠夫氏の子どもの時代の家

。。。続き

次に、父(前川忠夫)と母に成してくださった、神さまの計り知れない愛をお話させていただきます。

父は、知事を12年間務めさせていただいて退任した翌年の、昭和61年(1986年)、末期癌で後1年と宣告されました。私はこどもの頃から神さまのように思っていた最愛の父と永遠の別れをすることは考えられず、父がこの地上から姿を消すということは、耐え難いことでした。しかし、人は必ず死ぬということは悲しいかな、受け入れなければならないことであり、ならば絶対天国で再会したいとの強い願いが、私の心に沸き起こりました。

「神さま、父が神さまを信じて、イエス様の十字架の救いをいただいて天国に行けますように。父が神さまを信じて救われるまで、決して命を取らないでください。お願いします。癌の苦しみを和らげてください。」と、毎日ほんとうに真剣に祈りました。悲しみと心配と不安の苦しみの心が、神さまに祈り委ねることで、不思議にいつも平安に変えられていました。

ピリピ46,7「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」このみ言葉が真実であることを、何度も経験させていただきました。

祈りながら、手紙やビデオやテープを送り伝道しました。何度か高松に見舞いにも帰りました。

私の信仰をみて、父は「まりは、よいものを信じることができたね。」と感心して喜んでくれてました。そして「お父さんも、どう祈ったらいいのかなあ?」と聞かれました。父も癒されることのない辛い癌との闘病の中で、死に向き合い、偉大なる神を意識し恐れたのでしょう。

もう父の病状も終末にきていた頃、父は母の教会のカトリックの神父さまの訪問を受けました。

父は、神父さまとお話をした後、お祈りに合わせて、アーメンと3回繰り返し、涙を流したそうです。父が病床洗礼の恵みをいただいたということを、妹が横浜の私に電話で知らせてくれました。それを聞いた時、神さまはほんとうに生きていらして、私の祈りに応えてくださって、ほんとうに願いを叶えてくださったと喜び驚きました。この宇宙を創造され支配されておられる神さまが、こんな小さな小さき者の願いを叶えてくださったことが、あまりの驚きで歓喜!であり、涙が溢れて感謝の祈りを捧げました。

救いの恵をいただいた父は、平安のうちに3日後に天に召されました。臨終の場には、母と横浜から私と奈良から妹が間に合って家族は揃い、祈りの内に父を天に見送ることができました。

最愛の父と地上での別れは、私は予想外にも悲しみでなく、天での再会の希望が叶えられた喜びと感謝となりました。人の思いを越えた神さまの計り知れない深い愛と、救いの不思議さを思わされたものでした。ハレルヤ!

続く。。。


Thursday, November 18, 2010

「父の愛、神の愛」1


高瀬キリスト教会にて 2008/04/06

(写:左〜安藤眞里&家内の奈帆)

こんにちは。安藤眞里と申します。私の父がこの家の長男として生まれ、私の子供の頃は、私たち家族は高松に住んでいました。お正月や夏休み、春休み、また連休などには、親孝行であった父は、たびたび私たちを連れてこの高瀬の音田に遊びに来ていました。

すでに祖父母が亡くなり、私の父も召されて20年、母が召されて4年が経ちますが、このような形で、私が高瀬に戻ってくることがあるとは、夢のようです。

現在は、ジャンカー宣教師ご一家が、この家を教会として神さまの福音を伝えるために働いていてくださっています。また子供の頃から馴染みの近所の親類も、私と同じように年を重ねて、今も健在でいてくれます。

今は高松-高瀬間も、高速道路を利用して車で1時間で行き来できるようですが、昭和30年台頃は、高松駅から煙を吐く黒い蒸気機関車で善通寺駅まで来て、そこから1時間に一本の大日峠を越えるバスで崖の側をくねくねした道路を恐々と乗っていたことを思い出します。鳥坂といいましたか、この上の火の見やぐらのところの先に、バス停留所がありました。そこからはこの家まで歩いて10分ほどでしたが、高松から2時間以上かけて、この家を訪ねて来ていました。

私にとっては、高松とともに、この音田は、小さい頃から家族で過ごした思い出深い、懐かしい大切な古里です。

祖父が昭和49年(1974年)に亡くなってからもう30年が過ぎますが、その間母が定期的に掃除に通っていました。私も、帰省のたびに母と共に、この家を訪れていました。いつしか、この家をいつまでも閉め切った空き家にしているのはほんとうにもったいないと思うようになり、この家も神さまのお役に立てることができればと、来る度に祈るようになりました。

ここで、少し父の話をしたいと思います.。父は若い頃結核を煩って長く闘病生活をしましたが、何度も生死の間をさまよう経験をして、その後の人生の価値観が作られたと思います。内村鑑三、新渡戸稲造などキリスト教の信仰者から大きな影響を受けていたようでした。よく言われたことばですが、「悠久の今」、永遠の時間の中で、今すべきことに最善を尽くすという考え方でした。私の知る所においては、人間を差別しないで、人の悪を批判しない人でした。(父の心の中のことは、神さまがすべてご存知ですが、子供の私にはそのように見えました。)

私は妹と2人姉妹ですが、私は父の40歳の時の初めての子供で、大変可愛がられて育ちました。厳しく叱られた思い出も少しだけありますが、ほんとうに優しく寛容で懐の大きな父を、私は大好きで尊敬し、ある時期までは神さまのように思って大きくなりました。

次に、私自身の信仰をもつに至るまでのお話しをします。

母は私が小学生の時にカトリックの洗礼を受けて、母の薦めであり、また父も賛成してくれて、高校と大学は、キリスト教のミッションスクール(岡山のノートルダム清心)に入学し、寮生活をしました。

そこでの7年間に、私は聖書の教えの環境の中で過ごし、後にほんとうの天地創造の天の神さまに救われる下地を養われたと思います。実は、高校時代にキリスト教の洗礼を受けていたのですが、まだ聖書も罪も、神さまを恐れることも祈りも知らないものでした。

小さい頃から、親にも学校の先生にも可愛がられて、常にいい子を通してきた私も、大学卒業の頃には、本当の自分の気持ちや感情を表に出すことが下手で無意識にストレスから、いつしか私の神経は傷ついており、卒業と同時に、心を病んでしまったのです。

実家に戻ってから、私はとうとう眠れなくなり完全におかしくなって、父と母は、どれほど心配したことでしょう。両親は、私を自由にのびのびと育てたつもりでしたが、私は大学は出たものの、精神の病を患っていました。

その時、私はそれまでの人生で経験したことのない真っ暗闇の中で、深い深い精神的な苦しみの中を放浪していました。その苦しみの中から、なんとかして元気に普通の生活に戻りたいと心から願ったものです。この時の経験は、もう学歴も、地位や名誉も、財産も、お洒落もご馳走も大きな家も何もいらないと、本気でそう思いました。健康な精神と心と体がほしいと懇願する思いでした。この時の気持ちは、それまでの私の価値観を180度変えてくれたといってもいいでしょう。

それまでは、人より少しでもより高いもの優位に立つことを求めていたように思いますが、平凡でいられることは、なんという幸せ、それ以上のものを求めることは、私にとってあまり価値がないように思うようになりました。

それまで少しは持っていた自分の自信はどこかへ行ってしまい、なんと自分は弱い者であるかということを、いやというほど知らされました。それまで、私は弱いなどという言葉さえ口にも出したことがない傲慢な人間でしたが、自分の弱さを徹底的に知らされたことは、すばらしい恵みであり、この病は私には無くてはならなかったものであったとほんとうに感謝しています。(自分の弱さを知らず、また認めようとしないことほど、哀れなことはないと思います。)

私は人の目が気になり、人にどう思われるかということが、とても気になる人間でしたが、社会的な立場を気にしなくなったことがそのことから解放されるきっかけになってこの病からひとまず抜け出ることができたように思います。「人を恐れると、罠にかかる。」という言葉は真実です。

しかし、まだこの頃は、神さまを信じるまでには至っていませんでした。

主のあわれみにより、24歳で結婚し、横浜に住んで35年が経ちました。(年がわかってしまいましたね。)

初めは社宅に住んで、そして5年後、昭和53年(1957年)、今の横浜市緑区鴨居に引っ越しました。すぐ近所に、プロテスタント教会の家庭集会が開所したばかりでした。神さまは、私の引越しにタイミングを合わせて、教会をすぐ近所(歩いて2分の所)に開いて待っていてくださったのでした。

それまでカトリックの学校や社宅時代にしばらく学んだものみの塔を通しても、私は聖書にはとても魅かれていました。また2人の息子の育児をする中で、子育ての価値観の基準になるものを、探していました。

私は、聖書をもっとよく知りたいと思い、導かれて「聖書を読む会」に入れていただきました。ここでのSYKのテキストの学びを通して、聖書を楽しみ喜んで学び進めました。聖書の真理を疑うことができない思いがありましたが、そこでもまだ、自分の罪とイエスキリストの十字架の意味が頭の理解でしかありませんでした。それから何年も学び続けて、礼拝にも出ていたのですが、ある時、自分の罪深さを思い切り知らされる出来事を経験させられました。

私は3人目の子(娘)の子育て中でしたが、子供の友だちのお母さんとのお付き合いの中で、どうしても自分の本心を表わすことが出来ず、表面ではいいお付き合いをしているようでも、内心はとてもそのお付き合いが苦痛でしかたありませんでした。話し合うこともできず、自分の姿勢をはっきり示すこともできず、ただ表面上は仲良くお付き合いして相手に不誠実である自分の心の偽りが、はっきり神さまに示されて、自分の罪を体中で感じてその重さに打ちのめされるほどでした。人類一人一人の罪の身替りになって十字架にかかってくださったイエス様のことを知らなければ、立ちおおせないほどでした。この時に、私はこれま学び続けていたイエスさまの十字架は、私の罪のためであったということをはっきりと実感として知らされて、悔い改めの洗礼を受ける決心に導かれました。

Ⅰコリント123b「聖霊(神)によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(この時、聖霊が私に働いて、罪を示されたのだということが、後でわかりました。)

受洗から16年が経ちますが、かもい聖書教会の教会員として、信仰の歩みをさせていただいております。

続く。。。