Sunday, October 30, 2011

『中国人も日本人も』


永井隆(医療博士)は、第二次世界大戦の泥沼にあったのに、「心に平安と自由を喜んでいた。」彼は、変わったのである。ある夜、ノートにこう書いた。彼は、手術の直前、中国兵の脱疽(だっそ)にかかった足を洗ったのである。負傷した日本兵に対して心から愛があったように、負傷した中国兵に対しても愛があった。こう書いた。「私は、中国に来たのは、誰かを負かすためや、戦争に勝つために来たのではない。私は、負傷者を助けるために来たのだ、中国人も日本人も、民間人も軍人も。」

* 永井は、イエス・キリストによって、「心に平安」をもっていました。『もし敵であった私たちが、御子(イエス・キリストの十字架)の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです』聖書・ローマ5:10。それで、永井は、値無しの愛で愛されたように、彼は、敵をも愛し、医者として、彼らの体を癒そうとしました。イエス・キリストの言葉わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』聖書・マタイ5:44


Thursday, October 27, 2011

「生きる目的は何だろう?」



寝ても起きても、永井隆は、「生きる目的は何だろう?」と考えていました。彼は、色んな人の人生体験を読みましたが、心はより混乱しました。なぜなら、自分の人生ではなく、他人の人生について学んでいたからです。「私の人生は彼らの人生ではない。一人一人の人生は違うし、その意味には異なったものがある、」と永井は書きました。
彼は、織物の例えを使いました。私にとって、その織物は、複雑に見えるが、プロには簡単です。私たちの人生も、織物のように複雑で混乱しているように感じます。
永井は、熱心に哲学者を読もうと思ったが、より混乱しました。哲学者は、ものごとを難しく考える人たちのために書いてあります。ある人は、複雑でなければがっかりするのです。真実に求めている人は、このような不真実な人によって混乱します。彼は、熱心に学ぼうとしましたが、結局彼は(哲学によっては)人生は理解できないという結論に達しました。
永井はこう書きました。「しかし、私は、一人で人生について考えれば考えるほど、誕生と人生と死は率直(英:straightforward、まっすぐ、正直、単純)であるはずだし、そうであるべきである、と感じはじめました。」(英文:Yet the more I thought about it by myselfthe more I began to see that birth and life and death can be and should be straightforward.
「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」イエス・キリスト、聖書・マルコ10:15

Wednesday, October 26, 2011

「隣人を愛しなさい」


アメリカの16代大統領となったアブラハム・リンカーンが、まだ幼い時のことでした。彼の家は貧しく、小さな丸太小屋に住んでいました。けれども母のナンシーは、そんなまずしさにまけない、人間にとって一番必要なものは物質ではないということを、まだ幼い、二人の兄弟に教えました。リンカーンが10才の時、彼の愛する母は、マラリヤにかかってしまいました。彼女は、いよいよ神の身元に召される時がきたことを悟った時、枕元にリンカーンと姉を招きました。病いでやせ衰えた手で、リンカーンの手をとり、頭をなでながら、信仰深い母はこう言いました。「おまえがこれからもっと大切にし、そして実行してもらいたいことがあります。これは、聖書の教えですが、お母さんの願いでもあります。神を信じないさい。そして正直に生きなさい。お父さんを助け、お姉さんと仲良くし、隣人を愛しなさい。」これを遺言とし、1818年10月10日、35才の母の魂は彼女の信じるイエスの身元に召されて行きました

聖書のどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。』聖書・ローマ13:9

Monday, October 24, 2011

四国学院大学


10月12日、四国学院大学のチャペルで聖書の伝道者の書2章からメセージしました。1節「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんとむなしいことか。」ソロモン王は、色んな楽しみを調べました。しかし、神様抜きでは全てが空しい、と発見しました。このメッセージをベートベンの『歓喜の歌』で結びました。聖書全体から見て、神様をキリストを通して喜ぶ事が私たちの最大の喜びで、他の喜びはただその陰であるのです。

Sunday, October 23, 2011

『神様は私の力です』


「私はクリスチャンとして野球をしています。それは野球をしている時もそうでない時も、神様のために自分は生きているということです。なぜ私が神様を信じるようにいなったのでか?それはイエス様が私のことをとても愛してくれたからです。イエス様は世界全ての人たちのためにこの地に来られ、私の罪のため、身代わりとなって十字架についてくださいました。だから、私はマットと共に、野球を見てくれる人たちに、『神様は私の力です』と伝えたいです。」ジェイソン・スタンリッジ、阪神タイガーズ投手、facebook
2011年10月1クリスチャン新聞より

Wednesday, October 19, 2011

神の愛のかぎりなさ


フランス革命の時、パリで一人の司教が捕らえられ、独房に入れられていた。やがて死刑執行の人となり、彼はギロチンという恐るべき処刑にも動じることもなく、穏やかな顔で天に召されていった。彼に代わってその独房に入れられた者が、十字架のかたちをしていた小さな窓から外をのぞこうとして、そこに落書きがあるのに気がついた。十字架のかたちの窓の上のところには「高く」、下に「深く」、左右に「長く」「広く」とスプーンで刻まれていた。死刑を持つ身でありながら、司教は、神の愛のかぎりなさに感謝していたのであった。

「愛に基礎を置いているあなたがたが、全ての生徒とともに、愛の広さ、長さ、高さ、深さ来理解し、。。。人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができるように。」聖書・エペソ3:17−19

Tuesday, October 18, 2011

感謝祭


1865終わった南北戦争は、まだ終わっていなかったが、流れは、北部の方に向いた。そして、アブラハム・リンカーン大統領は、他のことにも心を向けることをできはじめた。9月28日、レーデイズ・ブックの編集長、サラ・ジョセフ・ヘート婦人は、大統領とアポイントメント(予約、約束)の手紙を送った。彼女は、国全体の感謝の日をもうけるように、提案をした。感謝祭は、植民地時代の頃からあったが、その後は、散発的にのみ行われて来た。定まった時はなかった。(南北戦争の)ゲテーズバーグやビックスバーグの勝利の後、リンカーンは、感謝することが多かったことを確信して、彼女の提案に賛成した。このようにして、感謝祭は、アメリカの生活の大事な一部となった。

ジョー・フエーラー、アブラハム・リンカーン:信仰と勇気の男


英文:

“Though the [Civil] war would not end until 1865, the tide had turned for the North, and the president could begin tending to other matters. On September 28, Sara Joseph Hate, the editor of Lady’s Book wrote the president [Lincoln] asking for an appointment. She proposed that the president set up a national celebration of Thanksgiving. Thanksgiving, though originating in colonial days, had been only sporadically observed in the decades since- and never at a set time. After the victories at Gettysburg and Vicksburg, Lincoln was convinced that there was much to be thankful for, and he agreed to her proposal. Thus the annual holiday of Thanksgiving came to be an integral part of American life.” Joe Wheeler, Abraham Lincoln:A Man of Faith and Courage


*クリスマスについで感謝際の思い出が多いです。アメリカだったら、多くの親戚との時、男たちは、アメリカンフットボールを見る。子供のころの日本だったら、他の宣教師の家族と、七面鳥を食べ、遊園地に行く。今は、奈帆の親戚を呼んで、感謝祭っぽい料理を食べる。


「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。。。知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。」聖書・詩編107:1と43


Monday, October 17, 2011

最近の洗礼式。。。


10月2日(日)、私たちは、高瀬キリスト教会の洗礼第2号を行うことができて嬉しかったです。残念ながら、まだ日本では、色んな角度から見ても、信教の自由は未熟ですから、名前などを言えませんが、イエス・キリストとの出会いははっきりして、確かな信仰を持っています。

Friday, October 14, 2011

「早く来て、お父さんのお腹に座って!」


近くのヘアに多きな音がしていました。ジューリア(名字は、タフト、アブラハム・リンカーンの子どもの友達)は、ヘアに入っていったら、リンカーン大統領は、大の字になって、男の子四人(リンカーンとタフトの子ども)が彼を押さえようと頑張っていました。彼女が入ってくるのを見て、タッド(リンカーン)は、大声で、「早く来て、お父さんのお腹に座って!」と叫びました。リンカーンの目が光っていて、ニコッとしていました。彼は、全てをエンジョイしていたのです。

ジョー・フウェーラー、アブラハム・リンカーン:信仰と勇気の男


原文

Hearing a terrific racket in a nearby room, Julia (Taft, friend of the Lincoln’s children) raced in to the room to find the president flat on the floor with the four boys (the Lincoln and Taft children) doing their best to hold him down. Seeing her come in, Tad (Lincoln) shouted, ‘Julia, come quick and sit on his stomach.’ Mr. Lincoln’s twinkle and wide grin showed he was enjoying every minute of it.

Joe Wheeler, Abraham Lincoln, A Man of Faith and Courage


「父たちよ。あなたがたも、子どもを怒らせてはいけません。かえって、主(神様)の教育と訓戒によって育てなさい。」聖書・エペソ5:4 父親たちは、不在によって、約束を守らないことによって、厳しさによって、子どもたちを『怒らせて』しまう可能性があります。しかし、聖書や福音によって、キリストの恵を伝え、生きるための原則を教えるのです。でも、それだけではなく、子どもの話を良く聞いて、また、リンカーンのように子どもと遊ぶのです。リンカーンは、優れた大統領であっただけではなく、優れた夫と父親でもありました。精神的な病いにあった妻をとても愛し、大事にしました。


Wednesday, October 12, 2011

永遠の命


聖書・ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

先ず「神」と書いてあります。。。。創世記1:1「はじめに神が天と地を創造した」と書いてあるように、本当にいる神様は、天地また人間を創られたまことの神です。莫大な力で宇宙を創り、丁寧に人間を創りました。

また「世」と書いてあります。。。。この世の人間は、私たちを創られた神を無視して来ました。罪深いのです。聖書に「隣人を自分のように愛しなさい」とありますが、私たちは、自己中心で、我がままです。その結果、永遠の裁きに値します。聖書に「罪から来る報酬は(永遠の)死です。」悲しいことで、恐ろしいことです。

次は「愛された」と書いてあります。。。。人間は、神を無視しましたが、神は、人間を無視しませんでした。逆に、書いてあるように「実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。」イエス・キリストは、この世に来て、奇跡を行い、恵み深い言葉を語りました。また、十字架上で、私たちの罪の永遠の罰を、代わりとなって、受けて下さいました。また、永遠の命の源であるイエスは、三日後に復活しました。

最後に「信じる」と書いてあります。。。。私たちは、ただ、自分の罪のために死なれて、復活した「御子(イエス)を信じる」のです。「信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」のです。何かをするのではなく、ただイエスを信じ仰ぐのです。すがるのです。

今、イエスの「永遠の命」(死んでも死なない命)を受け入れませんか?このように祈れます。『神様、私は罪を認め、イエス・キリスト、その十字架と永遠の命の約束を信じます。』

*心から信じたお方は、私たちに連絡して下さい。キリスト者として成長できるように協力したいです。高瀬キリスト教会


Tuesday, October 11, 2011

自分を正当化する


「戦争は、人類に対する犯罪である。人間の法律を犯す犯罪人は、時おり罰から逃れる。が、神の定まった律法を犯した者は逃れることはない。国であっても、個人であっても、彼らの罰は逃れられない。」アブラハム・リンカーン

“War is a crime against humanity. Criminals who transgress laws made by men sometimes escape the penalty; those who break laws ordained of God, never. Whether nation or individual, their punishment is inevitable.” Abraham Lincoln

リンカーンの生涯を何回も読んでいますが、私が、彼は、南北戦争の頃、これを書いた、と思うのです。弁護士でもあった彼は、法律を深く知って、『罪』というもの良く学んでいました。ならば、彼は、南の方にだけ罪があった、と思わなかってでしょう。彼は、自分の北の方にも十分な罪があった、と思ったでしょう。というのは、聖書が言っている通り、戦争の責任や罪の責任は、皆にあることを書いています。いずれ、全ての人が神の前に立つのです。神は、全能の神で、聖いお方です。

しかし、リンカーンの心に、南の方との和解の心が深くありました。残念ながら、彼が暗殺されて、その赦しと和解は、徹底して実践されませんでした。南部は、アメリカの中で色んな点で遅れ、黒人に対する差別は、長年続きました。しかし、リンカーンは、イエス・キリストの言葉を実践しようとしました。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているか分からないのです。」

神の正しい裁きと神の愛に満ちている救いは、どう両立できるのでしょうか?それは、神ご自身ーイエス・キリストーがこの世に来て、裁くはずの方が、自分自ら裁かれることです。そうです。十字架のことです。裁判官が裁きを罪人の代わりに受けることです。そのような莫大な恵を受けるリンカーンのような人は、南部を裁けなかったのです。和解の計画を立てたのです。

私たちは『自分が正しい、相手が悪い』と自分を正当化しようとします。『自分にも罪がある』ことを謙虚に認める人々は、神との和解、人との和解を知ることができるのです。また、社会を不思議に影響します。


Monday, October 10, 2011

長崎 6



土曜日の夕方、二十六聖人記念碑、資料館と教会を訪ねました。

浦上のクリスチャンは、豊臣秀吉、徳川などの徹底した迫害、明治維新の頃の迫害と原爆の破壊の色んな試練を通りました。「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。」聖書・1ペテロ4:12−13

Saturday, October 8, 2011

長崎 5




科学者、医者、また献身的なクリスチャンである永井隆の家と記念館を訪ねました。

ビデオの最後に見えますが、彼の家の名前『如己堂』(にょこどう)で、聖書の『己の如く人を愛せよ』(隣人を自分のように愛しなさい)からとりました。

第二次世界大戦前に、永井博士は、エックス線の研究で放射能を受けてました。そして、長崎の原爆が落とされた時、より多くの放射能を浴びました。戦後、四年しかないのに、彼は、続けて研究し、多く書きました。彼の子どもへの言葉が深い愛を表しています。

Friday, October 7, 2011

「我思う故に我あり」



デカルトは、こう言いました。「我思う故に我あり。」

しかし、内村鑑三(写)は、著書『一日一生』にこう書きました。「自分には霊魂あり、父、母とは別に、自分一人で決断するところのもの、自分自身の人格ある。自らの責任が問われる部分、自我の中心点である。私は、このように不思議なものがあることを知るがゆえに、創造主の存在を信じて疑わない。」

デカルトの言葉をこう言い換えてもいいでしょう。「神(造り主)あり故に我思う。」造り主がいるからのみ、私がいて、考えることができるのです。人間は、自己中心ですから、自分を原点にするのです。神は、全ての源で、人間は、二の次です。

「はじめに神が天と地を創造した。」聖書・創世記1:1

Wednesday, October 5, 2011

長崎 4


私たちは平和記念公園を訪ねました。

天に挙げられた手は、原爆の来たところを指していて、もう一つの手は、平和を示しています。

ここは、原爆が落とされたポイントです。

原爆資料館

アメリカ人として、少し厳しかったです。広島にいた3年もそうでした。指を指すのは簡単です。この記念碑は、これを思い出させるのです。日本人やアメリカ人だけではなく、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」聖書・ローマ3:23−24 全ての人がイエス・キリストの十字架の元で謙る必要があるのです。そして、私たちが真実な平和を体験できるのです。

Sunday, October 2, 2011

どんな本よりも優れた本


「この偉大な本(聖書)に関しては、神が与えたどんな本よりも優れた本、というしかありません。世の救い主(イエス・キリスト)の全ての恵は、この本から私たちに伝えられています。この本なくしては、私たちは、善悪を知りません。人間が好む全てのものがここにあります。」アブラハム・リンカーン
“In regard to the great book [the Bible], I have only to say it is the best gift which God has ever given man. All the good from the Savior of the world is communicated to us through this book. But for this book we could not know right from wrong. All those things desirable to man are contained in it.”
* リンカーンは、田舎の貧しい家庭で育てられ、普通の教育は、受けられませんでした。しかし、彼は、ウェスミンスター小教理問答や、聖書を読んでいました。のちに、独学で、優れた弁護士になり、大統領にもなりました。良く知られていることですが、聖書をホワイトハウスの書斎の机に置き、熱心に読み、祈っていました。

Saturday, October 1, 2011

長崎 3


9月23日、私たちは、雲仙岳に行きました。

キリシタンは、この『地獄谷』で拷問され、殺されました。

キリシタンの苦しみのステンド・ガラス。特に、上の半分に注目。

殉教者の記念碑。(残念ながら、これは人の目につかないようなところにあります。今も『隠れキリシタン』でなければならないのでしょうか?また、正直言って、このキリシタンの殉教の地が娯楽施設の場であることに少し違和感を感じました。)

雲仙岳の殉教:1632年12月、5人の宣教師が熱湯の試練に耐えた後、長崎の西坂で処刑されまた。パウロ内堀たち16人は、熱心に宣教を続けたため一週間後の28日に雲仙に送られ、裸にされ、数時間の拷問の後、熱湯に投げ落とされました。パウロは、首に縄をかけられ、何回も熱湯に入れられ、殺されました。その後また、10人がそこで殉教しました。その前にこれを歌ったとされています。「はるかなるパライソ(天国)を身近に、今ぞ見きこの喜びに心高鳴る」(リンク)