Friday, April 30, 2010

彼の内に私たちの全ての徳と全ての幸福がある。


"Without Jesus Christ man must be in vice and misery; with Jesus Christ man is free from vice and misery; in Him is all our virtue and all our happiness. Apart from Him there is but vice, misery, darkness, death, despair." Blaise Pascal

「イエス・キリストを除いて、人は悪徳と悲惨の内になければならない。イエス・キリストがいて、悪徳と悲惨から解放される。彼の内に私たちの全ての徳と全ての幸福がある。彼を除いて悪徳、悲惨、暗闇、死、失望のみ残る。」ブレーズ・パスカル


『 この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』使徒ペテロ、聖書・使徒の働き 4:12


Thursday, April 29, 2010

ジャンポール・サルトル


私は自分が偶然の産物、宇宙のほこりだとは思わない。むしろだれかに期待され備えられ予示された存在、つまり創造者である神だけがここに置くことができた存在だと思う。」ジャンポール・サルトル

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です。。。今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人<イエス・キリスト>により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」使徒パウロ、聖書・使徒の働き17:24−31


Wednesday, April 28, 2010

四つの福音書....を研究してみなさい。


「(聖書の)四つの福音書にあるこれらの出来事(復活とその他の奇跡)の記録を研究してみなさい。そうすれば、あなたは確証済みの科学的事実や科学の原理の中には、何一つ、奇跡を信じることを妨げるものはない、ということがわかるであろう。」 ジョンアンブローズ・フレミング

*フレミング博士は、日本の高校生を悩ませる「右手の法則」「左手の法則」で有名な英国の物理学者でもある。日本語のウィキペディア(Wikipedia)辞典にはないが、英語のウィキペディアではこう記録したある。彼は、熱心なキリスト者であり、進化論に反対する運動を起したり、キリストの復活の事実について講義したりした。また、日頃貧し人に寄付したり、全ての遺産を慈善団体に遺贈した。趣味は、油絵とアルスの登山。


Tuesday, April 27, 2010

お遍路さん


あるお遍路さんが私たちの教会を電話し、「泊まらせて下さい」と言いました。私たちは、彼を喜んで迎え、一緒に食事をし、高瀬温泉に行きました。「足を伸ばせたのは久しぶりだ」と言いました。彼は、心身共に非常に疲れていました。彼は、荷物に三冊の聖書を持ち、私たちは、そこにあるイエス・キリストにある十字架の恵みを説明しました。尊い時でした。

Monday, April 26, 2010

キリストの御顔にある神の栄光


「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」 聖書・1 コリント4:6


Saturday, April 24, 2010

アブラハム・リンカーン


「聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある。聖書はそれ自身の権威を裏づける無数の証拠を持っている。」アブラハム・リンカーン

Friday, April 23, 2010

アイザック・ニュートン


「いかなる世界の歴史におけるよりも聖書の中には、よりたしかな真理がある。」アイザック・ニュートン


Thursday, April 22, 2010

『初めに神が天と地とを創造した』


「秩序正しく広がっている宇宙は、『初めに神が天と地とを創造した』という、もっとも荘厳なことばの真実さを証明する。」アーサー・ホリー・コンプトン

聖書・創世記 1:1「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠(ぼうばく:広々としてとりとめのないさま)として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。 神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。

Wednesday, April 21, 2010

フォーク・シンガ-本田路津子


「歌手として順調に歩んでいたにもかかわらず、満たされない心の空洞を感じ、肉体的にも精神的に疲れてしまいました。疲れを癒やそうとアメリカへの旅行中、あるクリスチャンに出会いました。

彼は、「その重荷をイエス・キリストのもとにもっていくことができるように」と導いてくれました。その後、彼と結婚し、アメリカでの生活が始まりました。長い外国生活において乗り越えなければならない波がたくさんありましたが、毎回イエス様におゆだねして、ふたりで祈りました。その都度、必要な励ましが聖書から与えられました。」本田路津子 & My Portrait(CD)


Tuesday, April 20, 2010

聖書を奉ずる人であった。


「私はこの時代に、偉人と呼ばれる95人の人を知っている。うち87人は、聖書を奉ずる人であった。聖書の特色はその特異性にあり、他のあらゆる書物を無限に引き離している。」W.E.グラッドストン

Monday, April 19, 2010

ある女性は、胸に手をおいて、もう一つの手を天に上げ、心を尽くして神に歌っていました。


10年ほど前、レーニー・マクヌルテーは、ニューヨーク市で、不思議なことを見ました。彼女はこう書きました。「平安と喜びをもって神(創り主)を拝しているキリスト者を見ました。」ある女性は、胸に手をおいて、もう一つの手を天に上げ、心を尽くして神に歌っていました。美しいものでした。が、はじめはレーニーは逃げたかったのです。でも彼女は、こう思ったのです。「もしも、もしもこれは本物だったら?」無視することは出来なかったのです。彼女は、小さな信仰の一歩を踏み出しました。神様が愛と希望の戸を開いて下さったのです。彼女は、イエス・キリストにある新しい命を見つけたのです。それで、彼女は、ニューヨーク市中を回って、写真をとりはじめたのです。「私は、肌いろ、文化、言葉、格差を問わず、一人一人のユニークな美しい方法でイエスを愛し礼拝しているのを発見しました。」


きれいな讃美をバックにして、ニューヨーク人がイエス・キリストを礼拝している姿をenjoyして下さい。LANIE MCNULTY・PHOTOGRAPHY(click)

彼女のルワンダの希望の写真を見て下さい。

Saturday, April 17, 2010

青年よ、キリストにあって大志を抱け!



「青年よ、キリストにあって大志を抱け!それは金銭に対してでも自己の利益に対してでもなくまた世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として備えていなければならぬあらゆることをなし遂げるために大志を抱け。。。。 今、自分は一生をふりかえってみると、何も誇るようなものはないが、ただ日本の札幌において数ヶ月の間、日本の青年たちに聖書を教えたことを思うと、すこし満足と喜びを感じる。」 ウィリアム・クラーク

Friday, April 16, 2010

「聖書を読みなさい。」エジソン


「光、暖かさ、健康、力はすでにそんざいしているのですから、スイッチを入れさえすればよいのです。聖書は私たちの全生涯を造り変えることができる力の泉です。スイッチを入れなさい。聖書を読みなさい。」トーマス・エジソン

Thursday, April 15, 2010

小さないかだに過ぎない


“All of the wisdom of this world is but a tiny raft upon which we must set sail when we leave this world. If only there was a firmer foundation upon which to sail, perhaps some divine word.” Socrates

「世の全ての知恵は、この世を去って行くためのあまりにも小さないかだに過ぎない。船で旅するためにより確かな土台がもしあったとしたら。例えば神の言葉。」ソクラテス

聖書・ヨハネ 1:1と14『初めに、ことば* があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。。。。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。』 

* 「ことば」はイエス・キリストを意味する。


Wednesday, April 14, 2010

私には出来ない


‘All my life I have been seeking to climb out of the pit of my besetting sins and I cannot do it and I never will unless a hand is let down to draw me up.” Seneca

「私は、一生涯自分の絶えずつきまとう罪の深い穴から登り出そうと求めてきたが、私には出来ないし、誰かの手によった引き上げられなければ、その深い穴から登りだすことはない。」セネカ

聖書・ルカ19:10「人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」


Tuesday, April 13, 2010

「イエス・キリストは復活されたのです。」オバマ大統領


4月6日、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏は、ホワイトハウスでイースター(復活祭)朝食を主催しました。オバマ大統領は、短くこのように語りました。

「2000年たっても、私たちは今も心にこのように描くことが出来ます。ナザレのイエスは、エルサレムの道を強制的に歩かせられました。ローマ帝国による侮辱、あざけり、乱暴と拷問を体験したのです。泥棒の叫びの間に挟まれた苦しみの十字架刑でした。しかし、たったの三日後、世界は変ったのです。人の子イエスの体は墓に発見されなかったのです。イエス・キリストは復活されたのです。

彼を殺そうとしていた者に対する彼の恵みに驚きます。人類の罪のためにして下さった犠牲を感謝しています。また、私たちは、復活にあるあがない(あがないはイエスの十字架による救いと回復を意味する)の約束をほめたたえます。

また、この約束は、人生の素晴らしい祝福です。なぜなら、私は常に学ばされていることですが、私たちひとりひとりは、不完全であります。私たちひとりひとりは、無意識でまた意識して過ちをおかします。私たちひとりひとりは自分の歩むべき道に到達していません。また、自己中心や傲慢は私たちみんなを苦しませるものです。

この病いを清め、あがないに到達するのは簡単ではありません。しかし、クリスチャンとして、私たちは、イエス・キリストを信じることによって、あがないは必ず与えられることを信じています。また、曲がった品性があがないの可能性によってまっすぐされるのです。魂の不完全をいやして下さるのです。どんなに消え去る世であっても、あがないは、人生に永遠の希望を下さるのです。

福音書のあらゆる話の中で、特にこの季節において、次の話が私に一番語って下さっています。十字架刑にさらされている十字架上のキリストを心に思い巡らします。彼の受難の最後の何秒です。彼は、力を振り絞って、最後の息をする寸前に、この最後の言葉を語りました。

「父よ、私の魂をあなたの御手の中に委ねます」と彼は言いました。父よ、私の霊をあなたの御手に委ねます。この言葉は、私たちの主また救い主によって語られましたが、今日、私たちひとりひとりによってもこの言葉は真実に語ることが出来るのです。全ての神の子供は、この言葉の意味を真実に人生において生かすことが可能なのです。

ですから、この日に、正義をもって行動するように、慈愛を愛するように、主と共に謙虚に歩むように、真実な生涯の追求に自分の霊を委ねましょう。そして、つまづく時、かならずそういう時が来るのですから、献身によって、忍耐によって、また信仰によってー あがないが私たちの永遠の希望と熱心な願いになりますように。。。。」


英語 At the White house Easter breakfast President Barak Obama gave the opening remarks on Tuesday, April 6th. For even after the passage of 2,000 years, we can still picture the moment in our mind’s eye. The young man from Nazareth marched through Jerusalem; object of scorn and derision and abuse and torture by an empire. The agony of crucifixion amid the cries of thieves. The discovery, just three days later, that would forever alter our world that the Son of Man was not to be found in His tomb and that Jesus Christ had risen. We are awed by the grace He showed even to those who would have killed Him. We are thankful for the sacrifice He gave for the sins of humanity. And we glory in the promise of redemption in the resurrection. And such a promise is one of lifes great blessings, because, as I am continually learning, we are, each of us, imperfect. Each of us errs by accident or by design. Each of us falls short of how we ought to live. And selfishness and pride are vices that afflict us all. Its not easy to purge these afflictions, to achieve redemption. But as Christians, we believe that redemption can be delivered by faith in Jesus Christ. And the possibility of redemption can make straight the crookedness of a character; make whole the incompleteness of a soul. Redemption makes life, however fleeting here on Earth, resound with eternal hope. Of all the stories passed down through the gospels, this one in particular speaks to me during this season. And I think of hanging watching Christ hang from the cross, enduring the final seconds of His passion. He summoned what remained of His strength to utter a few last words before He breathed His last breath. Father, He said, into your hands I commit my spirit. Father, into your hands I commit my spirit. These words were spoken by our Lord and Savior, but they can just as truly be spoken by every one of us here today. Their meaning can just as truly be lived out by all of Gods children. So, on this day, let us commit our spirit to the pursuit of a life that is true, to act justly and to love mercy and walk humbly with the Lord. And when we falter, as we will, let redemption- through commitment and through perseverance and through faith be our abiding hope and fervent prayer.


Saturday, April 10, 2010

幸福


"Happiness is neither without us nor within us. It is in God...." Blaise Pascal

「幸福は私たちの外側や内側にはない。神の内にあるのだ。。。。」ブレーズ・パスカル

Friday, April 9, 2010

日野原重明


日野原重明・99歳。著書「生き方上手」他。現役医師。聖路加病院・名誉院長。聖路加病院は、地下鉄サリン事件時、多くの患者を無制限に受け入れたことで有名。

私は59歳の時、1970年の「日航機・よど号ハイジャック事件」に遭遇したんです。私たち人質が解放され、空港の土を踏んだ時の感覚を、私は生涯忘れないでしょう。それまでは有名な医者になり、いろいろな仕事をやることが目標でしたが、こうして助けられたんだから、これからは自分中心でない、人のためになる生き方をしたいと思いました。心に希望を持って生き、希望の少ない人に少しでも希望の灯をともすことができればと思います。    

日野原さんの好きな聖書のことば「いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 聖書・第一コリント人への手紙13:13


Wednesday, April 7, 2010

花見


4月5日(月)、ジャンカー家は、不動の滝公園で花見をenjoyしました。アメリカでは無い習慣です。桜は、とてもきれいでした。

Monday, April 5, 2010

復活祭!


昨日、4月4日、奈帆<家内>は、分かりやすく主イエス・キリストの復活の事実とその恵を話ました。子供達は、卵探しも楽しくしました。イエス・キリストはこう語りました。『私はよみがえりで、命です。』*4月4日、復活祭(イースター)は、世界中でお祝いされました。

Sunday, April 4, 2010

「空の空」 9


聖書・伝道者の書 4:1−6「私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行われる悪いわざを見なかった者だ。私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。愚かな者は、手をこまねいて、自分の肉を食べる。片手に安楽を満たすことは、両手に労苦を満たして風を追うのにまさる。」

「人間」という言葉は、「人」(ひと)の「間」(あいだ)ですが、残念ながら「日の下」のこの世では、人間と人間の間に常に緊張があるように思わされます。ソロモン王は、この伝道者の書の4章で、その緊張は、「しいたげられている者」と「しいたげる者」の間に緊張だけではなく弾圧があると言っています。また、「権力」からの圧迫だけではなく、「人間同士のねたみ」と言う緊張があると言っています。

「しいたげられている者」と「しいたげる者」の間に緊張だけではなく弾圧があるのです。徳川時代「士・農・工・商」と言う弾圧的制度が作られました。徳川幕府は、参勤交代によって、格藩の大名にプレッシャーをかけ、それによって大名は特に農民に圧迫をかけました。江戸幕府の時代、日本中の農民は、大名などに反発して、一年に10回ぐらいの一揆(いっき)があったようです。

また、同じ徳川時代に士・農・工・商」より低い身分の“カースト”を作ったのです。「穢多」(えった)または「非人」と言うグループでした。人々は、人間ではないと「非人」と呼びました。「徳川幕府が、上へ吹きあげてくる不満を下へ向かわせるために作り上げた政略だったのです。何の根拠もない差別虐待でした。」また、キリスタン弾圧もありました。子供を含めて、何万人の日本人キリスタンは、死刑にされました。

弾圧され差別されるものの「涙」が多く、この「日の下」では、「彼らには慰める者がいない」のです。ソロモン王は、このような弾圧にあるなら、「慰める者がいない」のなら、ただ人間の角度から見ると、生きるよりも、死んだほうが良い、と言いました。いや、先ず、生きてこなかったほうが良いでしょう、と言いました。それほど、弾圧や、差別の苦しみが多いのです。悲惨です。実に「空の空」であり、「空しい」のです。

人間の間の緊張は、上から来るだけではないのです。「人間同士のねたみ」と言う緊張があるのです。「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」「ねたみ」を心に抱いている人間は、「あらゆる労苦とあらゆる仕事」で、 “人を踏みつぶしてもいいから”の我れ先の「成功」にのめり込まれているのです。ひねくれている資本主義です。また、その前に来る教育からもこの「ねたみ」と我れ先の競争が始まります。

アメリカでは”keeping up with the Jones”と言いました。「ジョーンズ(佐藤のような一般的な名前)に負けないように頑張らなくっちゃ!」ジョンズさんが新しい車を買うから、あの家を建てるから、あのきれいな服を着ているから、あの学校に行くから、私も。また、それによって、緊張感がお互いの間にあるのです。建前は、子供のため、家族のため、会社のため、社会のため、ときれいごとを言いますが、本音は、「ねたむ」自分のためなのです。

「これもまた、むなしく、風を追うようなものだ」とソロモン王は断言しています。「両手に労苦を満たし」無我夢中で休みもせずに仕事するよりも、「片手に安楽を満たすことは。。。まさる。」人を「ねたみ」競って、働きにのめり込まれるよりも、安息や休みもとったはうが知恵だ、と教えています。労苦も、安楽もバランスをとって過ごしたほうがましだ、と書いてあるのです。動労者や隣人と競ったり、緊張して生きるのは「空しい」のです。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり。されば、天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下(きせんじょうか)の差別なく、万物の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り(とり)、以て衣食住の用を達し、自由自在互に人の妨(さまたげ)をなさずして各々安楽に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。」 福沢諭吉

福沢諭吉は、この考えを自分の母チエから学び取ったと言われています。しかし、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」を読むと、これは聖書を引用していたと言われています。彼は、米国や、ヨーロッパに渡り、三回も幕府遣外使節の通訳をつとめ、欧米のキリスト教文化に深く触れていました。アメリカの憲法の“All men are created equal”(全ての人間は平等に造られた)の革命的な言葉を読んだに違いないです。日本と違って、外国では誰でも大統領になれることを見て聞いて、目を開かれていました。

しかし、「人間同士のねたみ」や「しいたげ」は確かにあるのです。なぜでしょうか?神(創り主)が人間を造った時、人間は、神を愛し、隣人を愛していたのです。しかし、人間は、神や人間を愛すよりも、自分を愛し、物を愛すようになりました。そこから、人間の間の緊張、ねたみ、しいたげ、憎み、争い、または、戦争までが来たのです。

神は、この人間の罪をどうされたのでしょうか?解決は、キリストの十字架にあるのです。部落解放同盟・〈水平社〉運動の旗にある印があるのです。赤地に金の茨の冠です。赤はキリストの血、茨の冠は、キリストの十字架をあらわしています。部落解放にクリスチャンたちが立ち上がったからだそうです。

イエス・キリストも「しいたげ」と「ねたみ」の苦しみを深く体験しました。私たちを「しいたげ」と「ねたみ」から解放して下さるのは、「イエス・キリストとその十字架」のこの上もない愛です。十字架上でキリストは、人々のあらゆる罪(しいたげ、ねたみ、差別、弾圧も)をその身に負い、その罪の罰を代わりとなって受けたのです。唯一の神であるキリストは、その罪を赦しました。

聖書・マルコ10:45 「人の子<イエス・キリスト>が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、<十字架上で>自分のいのちを与えるために来たのです。」

神は、罪を悔い改めて、十字架上で死に、復活された主イエス・キリストを信じ受け入れる者に、「しいたげ」と「ねたみ」から解放する神の愛、恵と平和を下さるのです。キリストに留まる者には、上から圧迫されても、人がねたみを持って競っても、その人を赦し、愛し、その人のために祈る神の力を下さるのです。人の間の緊張に生きるのではなく、キリストの愛に生き、その愛を人に示すのです。

どんなにしいたげられ、ねたまれても、「空しさ」で終わらないのです。主イエス・キリストの恵みによって、真の“人間”の姿、『人の間』の姿、人間のはじめのエデンの園の姿、に回復し始めるのです。自分よりも、物よりも、神を愛し、隣人を愛しはじめるのです。


Friday, April 2, 2010

森永太一郎


有名な森永製菓の創立者、森永太一郎氏は聖書を読んだ時、救われるためには自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを信じなければならない、と教えてあるところにぶつかりました。

初めのうちは「自分はべつに、そんなひどい罪人ではない」と怒っていました。しかし、さらに聖書を読み続けるうちに、ある日、心の目が開かれました。主イエスが自分の酷い罪を全部背負って、十字架にかかって死んで下さったということがわかり、心から主イエス・キリストを信じました。

クリスチャンになる前、彼は多額の借金を背負っていましたが、その時、神様の栄光のために、借金を全部支払ってしまう決心をしました。そのため6年間、一心不乱に働き続けました。

また彼はお菓子屋になる勉強をし、ついにおいしいパンやケーキ、キャンデーの製造を始め、それを東京で売り始めました。そして、希望を失わず、祈りながらがんばり続けました。

後日彼は、、買い入れた一台の自動車の横に、「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来て下さった」という聖書のみことばを書き入れ、商売に精を出すかたわら、人々に救い主イエスさまのお話をしました。

彼の商売は「キャラメル王」といわれほどにどんどん繁盛しました。しかし彼にとって一番の宝物は終生かわらず、彼に救いと幸せをもたらした聖書でした。

小冊子「人類の最大の宝」より

Thursday, April 1, 2010

インドのガンジー


「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は新約聖書である。」マハトマ・ガンジー

その聖書箇所は、マタイによる福音書のイエス・キリストの言葉であり、ガンジーの平和主義はここ来たと思われている。


マタイ5:38ー48『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。