Sunday, December 27, 2009

神からの手紙- 聖書


皆さんはラブレターをもらったことがありますか? 私は出したことはありますが、もらったことがありません。でも、もし誰か素敵な人からラブレターをもらえたなら、一生懸命読むだろうと思います。    

でも、もしラブレターをもらった人が、せっかくの手紙を見て「可愛い便せんだな」とか「めずらしい記念切手だな」とか、つまらないところに感心して、大切な中身を真剣に受け取らないとしたら、何と野暮というか、気のきかない人だ、と思うでしょう。

ところが、意外に聖書について同じことをしている人が少なくないのです。

ある人は聖書をよく知っています。ところが、見れども見えず、聞けども聞こえず、

「まさに自分のために、自分のことが書いてあるんだ!」

ということに気づかないで他人事のようにして読んでいる、野暮な人もたくさんいます。

ですから、お勧めしたいことは、聖書を読むとき、どうか

「自分への手紙」として

読んでいただきたい、ということです。あなたは聖書を通して、神の声を聞くことができます。

古代の遺跡は私たちに「聖書は真実ですよ」と告げています。宇宙に浮かぶ天体も、「聖書は真実ですよ」と告げています。世界の歴史も、「聖書は真実ですよ」と告げています。あなたの一生について、あなたの幸福について、聖書は本当のこと、大切なこと、信頼すべきことを告げています。どうぞ、聖書のことばを、あなたにあてられた大切な手紙として、お読みになられますように。

「神の目には

あなたは高価で尊い。

神はあなたを愛している。」

聖書のこと

「聖書館」より

Tuesday, December 22, 2009

聖書にある


ブラハム・リンカ-ン 聖書は、最も素晴らしい贈り物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある。」

Saturday, December 12, 2009

田口壮


口壮(メジャ-リ-グ・元カ-ジナルス外野手)"先に、妻の恵美子がキリスト教を信じ、自分が信仰をもったいきさつや、それによって人生が変わったことを、私に話してくれました。そして、何も知らなかった僕に、イエス・キリストのことをたくさん教えてくれました。宗教といえば仏教と思っていた僕にとって、教会や教会に行く人を見たことは大きな変化でした。やがて僕は、キリストを信じるようになりました。自分の心に響いたのです。理解でき、実感することができたのです。これが本物だとわかったのです。今では、妻との関係や、人生が困難に陥った時に助けてくれるのはイエス・キリストだと思っています."

2003年秋、キリストを信じる。


Monday, December 7, 2009

ゴスペル!


私は、毎日、GoogleNHKでニュースを読んだり見たりしますが、悪いニュースbad news)があまりにも多いです。聖書は、真実に悪いニュースbad news)を記録していますが、おもに良いニュースgood news)の記録です。私が大好きな音楽のゴスペルGospel)の本当の意味は、聖書の‘良いニュース’(good news)から来ています。聖書では、多くの場合『福音』(良き訪れ)とあります。 ‘ゴスペル‘は、聖書の’良いニュース‘を讃え伝える音楽なのです。


聖書のゴスペルは、神御自身からはじまります。神様御自身がゴスペルです。神は、素晴らしい美しい世界を創りました(聖書・創世記1章参照)。神は、私達人間をも創り、私たちは、神の愛と命に預かったのです。私達人間は、神を愛し、隣人を愛していたのです(創世記2)。


しかし、テレビのニュースのように、今の世界を見ると、悪い出来事があまりにも多いのです。これが’bad news’の現実です。私達は、神を愛し、隣人を愛するよりも、自分自身を愛し、物を愛すように成りました(創世記3)。それによって、自然が乱れるように成りました。平安が私達自身の心から去り、平和が互いの間からも去りはじめました。戦争、飢餓、貧困、不正、差別、憎しみ、空しさ、失望、病気と死がその悲しい結果です。


和解

しかし、神は、失われた私達を求めると、お決めになったのです。ゴスペルです。神は、イエス・キリストと言うお方を通して、私たちの歴史に入って来られたのです(マタイ1)。イエスは、神と私達の間の愛の関係を、また人間と人間との愛の関係を、癒し直すために来たのです。イエスの犠牲的な十字架の死によって、神との和解、人との和解をはじめられたのです(1コリント15)。イエスは私達の罪を赦すために死なれたのです。イエスの復活によって、御自身は主の主である事を証明されたのです。復活を通して、将来・未来の希望<新しい体、新しい天と地、完全な喜び、正義、平和と栄光の世界>を約束されたのです。


信仰

神と和解するために、私達は、自分の行いでは無く、イエスの十字架の行いによって活かされるのです(ローマ3章)。私達は、信仰によって活きるのです。このようにして、私達は、全く新しい人となります。イエスの力強い癒しが私達の内に、また私たちを通して働きはじめるのです。私たちは、自分を裁く事や、自分を正当化する事から、解放されます。前は拒絶していた人を受け入れられるように成ります。私たちを縛っていたものから解放されるのです。また、イエスは、その生涯と十字架によって、どのように人生を送るべきかの愛の模範を立てて下さいました。イエスのゴスペルの愛が、このようにして社会にも広がって行くのです。


音楽のゴスペルは、おもに賛美歌です。イエス・キリストを信じ、神を讃える生涯を送りませんか?イエス・キリストの言葉『悔い改めて福音[ゴスペル]を信じなさい。』聖書・マルコ1:15。

Saturday, December 5, 2009

Wednesday, December 2, 2009

したきりすずめのクリスマス



作家三浦綾子は、小説「塩狩峠」や「氷点」で知られていますが、子供の絵本「したきりすずめのクリスマス」も書きました。『したきりすずめ』は、有名な童話ですが、三浦綾子は、面白く変化させ、クリスマスのメッセージを取り入れています。

お米を食べたすずめは、おばあさんに舌を切られ、すずめは、“すずめの宿”に行きます。おじいさんは、すずめを追って、“すずめの宿”のクリスマス会で本当のクリスマスの話を聞きます。あるすずめは、有名な聖書のヨハネ3:16 などを暗唱します。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」帰る前に、お祖父さんは、小さなプレゼントを選びます。帰ったお祖父さんのプレゼントを見ると聖書でした。おばあさんは怒り、大きなプレゼントをもらいに“すずめの宿”に行きます。帰る途中、おばあさんは、箱を開け、自分のして来た罪を表すオバケが出て来ます。でも、突然現れたイエス様は、おばあさんの告白した罪を赦します。また、そこに来た男の子や、悪者の罪をイエス様は赦します。
お祖父さんも、そこに来て、おじいさんは、イエス様にこう言います。。。
「私は、このおばあさんのようによく深くもなく、いじわるでもないことを感謝していますぞ。この人ごろしのような者でないことを感謝したいますぞ。私は何ひとつつみをおかさず、正しく生きて来ましたでな。それでのう、あなたさまに重い荷物を負わせずにすみますのじゃ。」
イエスは、かなしそうにおじさんを見て言いました。「そうですか、おじいさん。しかし、せかい中にまったく正しい者は、ただのひとりもおりません。」
「え?正しい者はひとりもおらん?」
「そうです。ひとりもおりません。」
「じゃが、ここに私がおるじゃありませんか。したきりすずめのおじいいさんは、よくのない、やさしい人間だとむかしから言われておりますぞ。この私につみなどあるはずがないではありませんか。」
イエスは、おじいさんをだまって見つめ「そうでしょうかねえ。」と言いました。
「そうですとも!わしのことを悪く言った人はだれもありませんぞ。だれにもやさしく親切で、もうし分のない人だと言う人ばかりでしてな。わしはかみさまのようなだと言われるほどでしてな。」
「そうですか。では、後ろを見てごらんなさい。」

「えつ、あばあさんより、この私のほうがつみ深いですと!?そんな無茶な。」うしろにてんぐを見たおじいさんは「ヘえ!これは。。。」と叫びました。
「これがあなたの本当のすがたです。ごうまんのすがたです。私は、あなたの言葉を聞いてかなしく思います。自分にはつみがないと思っているほど大きなつみはないのですよ。これはかみさまの一番きらな、おもいおもいつみですよ。むしろ、おばあさんよりもつみが深いといえるでしょう。」
「いいえ、無茶ではありません。自分のつみがわからねば、くいあらためることができません。つみはそのまま残るのです。」
悔い改めたおじいさんたちの重い罪は、イエス様の背中にあった、大きな箱に入れられました。そして、イエス様は、遠い丘の上で十字架にかかりました。
ちい子とすずめたちは、説明しました。「私たちのつみのためです。本当は、せかいの人びとが自分のつみのためにじゅうじかにかかるはずでした。けれど、イエスさまが代わってじゅうじかにかかってくださったのです。」
悔い改めたおじいさんたちは、ちい子たちと一緒にクリスマスの本当の真実をお祝い歌います。
三浦綾子の「したきりすずめのクリスマス」は、 “イエス・キリストは、人間を罪から救うために死なれた” と言う聖書の最も大事なテーマを分かりやすく例えています。聖書・マタイ1:21 「マリヤは男の子を産みます。その名をイエス[救い主という意]とつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」この方を信じ仰ぎ、讃美の生涯を送りませんか?


三浦綾子原作「したきりすずめのクリスマス」¥1650

Wednesday, November 25, 2009

満濃キリスト教会


11月22日、私は、家族とともに、満濃キリスト教会で奉仕しました。次のイエス・キリストの言葉から語りました。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」聖書・マタイ11:28

私は、最後に、ステイブン・チルダーズ博士の例えを使いました。『ある人がハイキングをしていると、野原の向こうに家があるのが見えました。そしてその遠いの家の横には、男の人が激しく手動の井戸から水を汲んでいるような光景が見えました。その人が見ていると、その男の人はなおも、ものすごい勢いでポンプを押し続けました。まるで疲れを知らぬかのように、手の動きを少しも遅くすることなく、ましてや止めることなどしようともせず、上下にポンプを押し続けました。。。。 本当にそれは、驚くべき光景でしたので、その人は、その井戸のほうへと近づいていきました。近づくにつれて、井戸のところにいるのは、男ではなく、男性に見えるように描かれた、木でできた人の形でした。猛スペードで水を汲んでいたと見える腕は、ひじとちょうつがいでつながっており、手は針金で井戸の取っ手につながれていました。水が溢れ出ていたのは、その木でできた人形によるのではありませんでした。それは掘り抜き井戸で、水がポンプなしでも地上に湧き出てくるので、実のところ、力強く湧き出てくる水が、その人形を動かしていたのです。』

イエス・キリストは『私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます』と語っています。私たちは、悔い改めと信仰を持ってイエス・キリストに行くと、私たちは、キリストに安らぎ、キリストのくびきを負えるのです。チルダーズ博士は、続けてこう書いています。「キリストに近くあろうとし続けるものすべてに、聖霊様(神様)が溢れるほどに注がれるということでしょう。私たちがしなければならないことといったら、『私たちの手を井戸と取っ手に置いておく』ことだけなのです。」


Monday, November 23, 2009

勤労感謝の日に



聖書・詩編 107

「恵み深い主に感謝せよ慈しみはとこしえに」と主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い、国々の中から集めてくださった。東から西から、北から南から。

彼らは、荒れ野で迷い、砂漠で人の住む町への道を見失った。飢え、渇き、魂は衰え果てた。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった。主はまっすぐな道に彼らを導き人の住む町に向かわせてくださった。主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。主は渇いた魂を飽かせ飢え、た魂を良いもので満たしてくださった。

彼らは、闇と死の陰に座る者、貧苦と鉄の枷が締めつける捕われ人となった。神の仰せに反抗し、いと高き神の御計らいを侮ったからだ。主は労苦を通して彼らの心を挫かれた。彼らは倒れ、助ける者はなかった。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。闇と死の陰から彼らを導き出し、束縛するものを断ってくださった。主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。主は青銅の扉を破り鉄のかんぬきを砕いてくださった。

彼らは、無知であり、背きと罪の道のために屈従する身になった。どの食べ物も彼らの喉には忌むべきもので彼らは死の門に近づいた。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。主は御言葉を遣わして彼らを癒し、破滅から彼らを救い出された。主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。感謝のささげものをささげ御業を語り伝え、喜び歌え。

彼らは、海に船を出し大海を渡って商う者となった。彼らは深い淵で主の御業を驚くべき御業を見た。主は仰せによって嵐を起こし波を高くされたので、彼らは天に上り、深淵に下り苦難に魂は溶け、酔った人のようによろめき、揺らぎどのような知恵も呑み込まれてしまった。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった。彼らは波が静まったので、喜び祝い望みの港に導かれて行った。主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。民の集会で主をあがめよ。長老の集いで主を賛美せよ。

主は大河を荒れ野とし水の源を乾いた地とし、住む者の悪事のために実り豊かな地を塩地とされた。 主は荒れ野を湖とし砂漠を水の源とし、 飢えていた人々をそこに住まわせ、人の住む町を固く立てられた。彼らは野に種を蒔き、ぶどう畑を作り作物を実らせた。主が祝福されたので、彼らは限りなく増え家畜も減らされることはなかった。

不毛、災厄、嘆きによって彼らは減って行き、屈み込んだ。主は貴族らの上に辱めを浴びせ道もない混沌に迷い込ませられたが、乏しい人はその貧苦から高く上げ羊の群れのような大家族とされた。正しい人はこれを見て喜び祝い、不正を行う者は口を閉ざす。

知恵ある人は皆、これらのことを心に納め主の慈しみに目を注ぐがよい。

Friday, November 20, 2009

ホイットニー・ヒューストンの新アルバム・”I Look to You”


ホイットニー・ヒューストン (Whitney Houston)の最新アルバム『アイ・ルック・トウ・ユー』(I Look to You) が全世界で大ヒット中です。全米では初登場1位を獲得しました。日本では、 先月16日に、キャリア7作目となるアルバムの日本盤リリースと成りました。世界各国でアルバムが発売され、新アルバムは、累計200万枚以上のセールスを記録しました。

『アイ・ルック・トウ・ユー』の言葉の一部を見てみましょう。
About to lose my breath
There's no more fighting left
Sinking to rise no more
Searching for that open door
Every road that I've taken
Led to my regret
I don't know if I'm gonna' make it
Nothing to do but lift my head
I look to you.

〜訳〜
私の息が切れる
もう戦う力がなくなった
舞い上がれないほど沈む
開いている戸を求めている
私がとった全ての道が
後悔に導いた
たどり着けるか分からない
頭(顔)を上げるしかない
私はあなたを仰ぎ見る。

その説明:ホイットニー・ヒューストンは、子供の時から、教会の合唱団で歌を覚え、長い間Gospel(ゴスペル)を歌ってきました。経験なクリスチャンでもあるビービー&シーシー・ワイネンズと協力し、『天国』(Heaven)と言うアルバムも作りました。『天使の贈りもの』(共演:デンゼル・ワシントン)と言うクリスマス映画でゴスペルや、賛美歌を歌いました。ホイットニーのお母さん〜Cicyヒューストン〜は、敬虔なクリスチャンで、ゴスペル界で有名です。しかし、歌詞の「舞い上がれないほど沈む」のように、ホイットニー自身には、いろんな個人的な結婚や麻薬の問題がありました。ウィトニーのお母さんが「神の導き」でホイットニーを助ける決心をしました。『アイ・ルック・トウ・ユー』は、ホィトニーの”救い”の告白でもあります。”I look to you”の”you"は、イエス・キリストで、「私は、キリストを仰ぐ」と言う意味です。彼女は、インタービューでこう聞かれました。「あなたは誰を愛していますか?」彼女はこう答えました。「主(しゅ)」(英:the Lord~主イエス・キリスト) 。

Youtubeで聞いて、あなたは、どんなどん底にあっても、希望は素晴らしくあることを知って下さい。本当の創り主また救い主である主イエス・キリストにあるのです。ホィトニーのように『主』を『仰ぎ見』ませんか?ここでクリック:Whitney Houston 'I Look to You.' 

Monday, November 16, 2009

小学校のマラソン大会


先週の木曜日(12日)内の子供の小学校でマラソン大会がありました。上は、ジャシュアが最後100メーターを走る場面です。ジャシュアは、靴がとれても、11位。シェーンは、3位で、悔しかったから来年の’訓練’をもうはじめました。ホサーナは、かわいい10位。父親の誇りです。創り主は、家内の奈帆を通して、三人の素晴らしい賜物を下さいました。

90歳過ぎても現役医師


日野原重明医師は、59才のころ”日航機・よど号ハイジャック事件”に遭遇したのです。人質として解放され、土を踏んだ時「ああ、地球に帰ったな」と実感したのです。こう語りました。『こうして助けられたんだから、これからは自分中心でない、人のためになる生き方をしたいと思う。』日野原師が小学生の時に暗記した聖書の言葉は「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」1コリント13:13。その箇所の後に使徒パウロは、イエス・キリストの愛を記しました。聖書・1コリント15:3&4私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたことです。」私たちは、イエス・キリストの十字架を通して、創り主の犠牲的な愛を受け喜びとし、その恵と愛の管となるのです。


日野原重明医師は、90歳過ぎても現役医師として活躍される聖路加国際病院理事長です。’生きかた上手’は、彼のベストセラーです。「医者は聞き上手に、患者は話し上手になろう。」生きるためのヒントがたくさんあります。

Friday, November 13, 2009

Where is your focus?



聖書・詩篇 73

アサフの賛歌

まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。

しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らをおおっている。彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思いはあふれ出る。彼らはあざけり、悪意をもって語り、高い所からしいたげを告げる。彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡る。それゆえ、その民は、ここに帰り、豊かな水は、彼らによって飲み干された。こうして彼らは言う。「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。」見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。

確かに私は、むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくしたのだ。私は一日中打たれどおしで、朝ごとに責められた。もしも私が、「このままを述べよう」と言ったなら、確かに私は、あなたの子らの世代の者を裏切ったことだろう。私は、これを知ろうと思い巡らしたが、それは、私の目には、苦役であった。

私は、神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を悟った。まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。目ざめの夢のように、主よ、あなたは、奮い立つとき、彼らの姿をさげすまれましょう。私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。

しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。

Comment: アサフは、聖く歩もうとしたが、創り主を無視する人が裕福になるのを見て、聖く歩むべきか、悩みました。しかし、創り主に近寄り、創り主を無視する人たちの運命が分かったのです。また、真の富を悟ったのです。創り主御自身の近くにいる事が真の富である事です。「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」Where is your focus?あなたの焦点どこですか?朽ちるものに心を注ぐのですか?それとも、永遠に残るものに?

イエス・キリストの言葉『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これら必要なのものはすべて与えられます。』聖書・マタイ6:33

Tuesday, November 10, 2009

何を言えるであろう?



"If we do not know ourselves to be full of pride, ambition, lust, weakness, misery, and injustice, we are indeed blind. And if, knowing this, we do not desire deliverance, what can we say of a man...?" Blaise Pascal

「私たちが自分の傲慢、野望、情欲、弱点、悲惨、と不正で満ちているのがわからなければ、私たちは、正に盲目である。そして、もしも、これを知りながらも、救いを求めていなければ、その人に対して何を言えるであろう。。。?」ブレーズ・パスカル

Comment: 自分の心の病いを悟って、はじめてその解決を見いだせるのです. イエス・キリストの言葉:「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」聖書・ルカ5:31−32

Thursday, November 5, 2009



聖書・詩篇 67

指揮者のために。弦楽器によって。賛歌。歌。

どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。セラ。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。セラ。神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。

Friday, October 30, 2009

Detroit Pistons and Jesus


今週、NBAバスケットボールがはじまりました。私は、小学生のころからバスケットが好きで、プレーしたり、見たりしました。私は、東京生まれの信州育ちですが、アメリカの’古里’は、母の古里デトロイトです。そうです。NBAデトロイト・ピストンズの本拠地です。'Bad Boys'以前から応援していました。その'Bad Boys'から、現在のピストンズ社長Joe Dumarsが来ました。彼が'Dumars Magic'で、ピストンズの三回の優勝に、メンバーとして、また社長として鍵となって来ました。

その前に、私と同じ名前のDavid Robinsonについて少し話したいと思います。一回、彼がデトロイトのThe Palaceに来た時のプレーを見に行きました。彼は、最近、9月11日、マイケル・ジョーダンのと一緒にNBAの殿堂入りを果たしました。かつでスパーズを2度のファイナル制覇に導いたロビンソンは観客席に座っていたコーチ達、teamateや、奥さんや家族に感謝しました。最後に、主イエス・キリストに感謝しました。

主イエス・キリストは、彼の全てです。ロビンソンは、これを子供の時から知ったいたのです。聖書・ローマ5:8 「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」『その日、キリストは私にとって本当の人となったのです。私は我がままでした。全てが'me, me me’でした。どのくらいお金がもうかるか?全てがDavidの誉れ、Davidの栄光でした。神様が私のために何をして下さったかを止まって考えて、誉めた讃えたことはなかったのです。その真実に打たれ、その午後何時間も泣きました。その日、私は罪から救われました。』同じ頃、奥さんとなる、Valerieも救われました。ロビンソンにとって、先ずイエス様が先で、家族、その後にバスケットだ、言いました。現在、NBA引退後「ロビンソンはサンアントニオにとどまり、恵まれない子供たちが教育を受けられるようにカルバー・アカデミー(私立小学校)を創立し、地域の教育に力を注いでいます。ロビンソンは言っています。「選手時代から見ている人は知っているように、私にとっては、こうやってコミュニティに交わり、コミュニティに貢献できるということは、コート上で達成したことと同じぐらい重要なことなのです」

私のデトロイト・ピストンズにイエス・キリストを愛する新人が二人が来ました。Ben Gordon(ベン・ゴードン)は、シカゴブルスで活躍した選手でした。彼は、このように聞かれました。 Q。「あなたは、よく神の計画(God's plan)と言う言葉を使います。それはどこから来ますか?」 A。「私は、若い時、教会で多くの時間を過ごしました。毎日の出来事は、私たちのための神の計画であるとを常に感じて来ました。」ベンにとって、神様との関係が大事なのです。彼のバスケットの才能は、神の賜物だと信じ、それを腕の入れ墨(tatoo)に刻んであります。ベンが天使の前でひざまずいて、ボールを渡されています。

もう一人は、Charlie Villanueva (チャーリー・ビラヌエバ)もイエス・キリストの恵みを体験して、聖書・1テサロ二ケ5:18「すべての事について、感謝しなさい」をホームページの上に掲げています。

聖書・1コリント12:711も彼の好きな言葉だそうです。「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊(神様)の現れが与えられているのです。ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです.」ベンと似て、チャーリーは、自分のバスケットの賜物も神様から来ていることを告白しています

多くのバスケット評論家は、ピストンズの活躍をあまり期待していないようです。しかし、私は、5割以上のteamであると思います。また、それ以上を期待しています。ベンとチャーリーがteamに来て、オフェンスはトップレベルになりました。またデイフェンスが疑問視されています。しかし、最近のGrizzliesとの試合は、96対74で、74点に押さえました。私は、多いにピストンズに期待しています。You can do it!

Tuesday, October 27, 2009

「空の空」(7)


聖書・伝道者の書 3:1-11「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」

私たち、日本人とアメリカ人は、次の二つの点で非常に似ています。両国民は、教育熱心で、勤勉であります。日本では、西洋文化が入る前から寺小屋教育がありました。アメリカでは、どんな僻地であっても、それなりのホームスクーリングをやったり、‘大草原の小さな家‘のように、教会で学校を開きました。‘Protestant Work Ethic’(プロテスタント仕事道徳)がアメリカの経済を支えて来ました。また、日本人は、「仕事まじめ」や、「働き蜂」として世界中で知られていす。

しかし、ソロモン王は、両国の考えに待ったをかけています。「『これもまたむなしい』と。」上の文書でこう書いてあります。「働く者は労苦して何の益を得よう。」あまりにも目の前の仕事や教育に夢中になり、「創り主」を含める、より大事なことを忘れているのだ、と語っているのです。毎日の歩みの中で他にも大事なことが多くあることや、『永遠』の真実を忘れているのです。

ですから、ソロモン王は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。。。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」」仕事や、教育だけではなく『すべて』です。ソロモン王は、すべてを言い尽くしていないと思いますが、どのようなものが『美しい』か教えて下さいます。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。

くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。

嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。

抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。

保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。

黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。

戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

確かに「すべて時にかなって美しい」が、「神はまた、人の心に永遠を与えられた」と書かれています。私たち人間は「神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」が、目の前の良いこと〜 仕事や、教育、また他に多くの大事なこと〜 に捕われないように注意を呼びかけています。創り主の「永遠」の角度から、教育、仕事、あらゆるものを見るようにソロモン王は勧めているのです。

小畑進牧師はこう書いています。「いままでの見かたは、実は裏であった、と、ひっくりかえします。刺繍(ししゅう)の裏・綴織(つづれおり)の裏は糸目のあまりがグジャグジャして何の模様かわからない。滅茶苦茶になっていて。しかし、ひっくりかえして表を見れば、見事な錦を織り出しています!。。。神います、神わが人生の一日一日をみそなわしたもう、いつくしみの神すべたもうと知るや、俄然(がぜん)あれもこれも意味をもち、美しい模様となっていました。。。どうせ、誰も見ていない人形の首ふりのような人生よーと思っていたものが、実は神のみそなわしたもうところ、その御意の中でのことと知る時、あぁあの時泣いたこと、あの時笑ったこと、あそこで生まれたこと、あそこであの人に出会ったこと、あの時、あそこで別れたこと、あの病いに倒れたこと、そして、ここで死ぬことーー一切が神のいつくしみの御手の中にあってのことであった。あれで良かった。時にかなっていた!美わしい人生の一齣(こま)であったとたしかめられたのです!「神」の一文字入っての逆転劇でした。刺繍の裏と表!。。。神を知った時、信じた時、乱脈混沌に見えた人生は姿を整えました。『どうせ、暫く浮いて消え去る泡沫のような俺の人生よ』ときめていたものが、神にいつくしまれ、生命がけで愛されていたと知ったのです!。。。」

ヨハネ3:16 「神は、実に、そのひとり子<イエス・キリスト>をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

仕事や、教育にただのめり込むと「むなしい」です。家族や、他のものも大事です。しかし、仕事や、教育を「永遠」と「神」の角度から見ると、すべてに永遠の意義があるのです。