Friday, July 31, 2009

こんな者が神に生命がけで愛されている!


「永遠の神よ。かっては生くるも空し、死ぬるも空しとくちずさみつつ、人生をひ
きずっていた者も、神われを御意にかけていたもうと知って、ハッと立ちどまりました。しかも、覚えていて下さったばかりか、わがために十字架にかかりたもうたという福音に立ちあがりました!こんな者が神に生命がけで愛されている!かくして生き甲斐、苦労のしがい、また死に甲斐を覚えています。なんと感謝してよいことか.... ありがとうございます。」 小畑進

Wednesday, July 22, 2009

私は真理を求めた。



アブラハム・カイパーは、オランダの神学者で総理大臣までつとめ、アムステルダムのフリー大学を創立しました。彼が若い日のころ経験したことを『詩篇講解』で思いめぐらしていました。
『私は真理を求めた。真理は哲学の世界に輝いているように思えた。それで懸命に哲学の研究に己れの人生の意義を求めた。(デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、シェリング。。。。) しかし、 求めれば求めるほど、真理の姿は地平線の彼方に隠れて行った。そうした時、ただ幼い日から手にしていた聖書の中にこそ真理が輝いていることに気づいた。それは感謝だった。神、人となりたまい、十字架にかかり、我がために死にたまえり。この福音は私をして駑喜せしめる。我れ宇宙にありて、かくも神に愛せらる。何ぞわが人生無意義なりや。わが短かき生涯も、実に永遠の神の栄光をあらわすを得と。何ぞ無意義と云うべけんや。』

Sunday, July 19, 2009

「空の空」 (5)


聖書・伝道者の書2:1−11『私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。
楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。

私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すために池も造った。私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。

私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つも益になるものはない。』聖書・伝道者の書2:1−11]


「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい」と聖書に本当に書いてあるのか、疑問に思う人がいるでしょう。でも、伝道者の書2:1に正にそう書いてあります。

確かに、クリスチャンに対するイメージは“清く、正しく、美しく”ですが、聖書とキリスト教は、けして禁欲主義ではありません。‘欲’は、禁物と言う教えがありますが、‘食欲’がないと健康ではない証拠でもあります。

この箇所にある「快楽」は、ヘブライ語の「シムカー」と言う言葉で、喜び、嬉しさ、楽しみ、笑い、とも訳せます。英語では、pleasureで、日本語の快楽と歓喜、両方に訳せます。

‘楽しみ’は、良いものですが、限度があることを知らなければなりません。ですから、間もおかずに、ソロモン王は、またしかし、これもまた、なんとむなしいことか」と言っています。

ソロモン王は、「知恵によって導かれて」[実験のようにして調べた後で]、‘楽しみ’の空しさを一つ一つ説き明かします。

「笑いか。」先ず、ソロモンは、笑いについて触れます。私は、昔から‘お笑い’のドリフターズや、コント55号をよく見ました。今テレビを見ると、テレビのプライム・タイム[ゴールデンアワー]の多くがお笑い関係のテレビばかりです。私達の社会について何かを語っているのではないでしょうか。

ソロモン王は、「ばからしいことだ」と厳しく釘を打ちます。なぜでしょうか?笑いは、麻酔になりがちです。本当の問題や、傷を癒せないのです。

ある心の病のあった方は、カウンセラーに行って、こうアドバイスされました。“近くのサーカスにおかしなピエロがいるから、サーカスに行って、思う存分笑いなさい。”しかし、その方はこう答えました。“私があのピエロです”と。笑いは、ある程度の癒しを与えますが、本当の癒しと喜びを与えることはできません。「おもしろうて、やがてかなしき舟かな芭蕉

ソロモン王は、「からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。」聖書は、適度のワインなどをけして否定はしていません。酒は、ある程度の楽しみを与えるのです。

しかし、この箇所の文脈を見ると、「それがいったい何になろう」とあります。「二日酔の虚しさ、満腹感の気だるさ。〈快楽主義〉のパラドックスです」と小畑進牧師は書きました。酒も、一時的な薬であり、続かないのです。逆に、快楽が苦痛になるのです。

ソロモン王は、「事業を拡張し」ました。彼は、「邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、。。。あらゆる種類の果樹を植え、。。。木の茂った森を潤すために池も造り、。。。男女の奴隷を得、。。。多くの牛や羊もあった。」ソロモンは、当時の世界のトップ・クラスの事業家でした。

現在も、男のロマンは、事業を企画し、実践し、人を活用し、成果を楽しむことです。これが一種の‘快楽’です。達成感や快感を覚えるのです。‘事業達成’によって、ある程度の満足を得ることができます。しかし、文脈を見ると、空しいのです。限度があります。本当の楽しみの陰だけなのです。

ソロモン王は、「また、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。」ある宗教は、「御利益」(ごりやく)を説きますが、しかし、これも、空しい、本当の楽しみと益を与えない、とソロモンは語っています。

ハワード・ロバーズ・ヒューズ(1905〜1976)はアメリカの大事業家、20世紀を代表する大富豪として知られ、「地球上の富の半分を持つ男」と言われました。様々な事業を手がけ、多才な大富豪として富と名声を手にしたヒューズでありましたが、1946年の飛行機事故に痛み止めとして使われた麻薬の奴隷となり、深刻な精神的な病に陥りました。その晩年は孤独であり、孤独で死にました。「空の空。」

ソロモン王は、「男女の歌うたいをつくり」ました。ビートルス、マイケル・ジャクソン、美空ひばりのような人を育てたのでしょうか。ソロモン王の父ダビデ王(BC1000年)の讃歌は、世界中で今でも歌われています。ソロモン王は、当時の音楽を極めたでしょう。しかし、空しさを味わい、「空の空」でした。

私の家内は、音楽の先生に成りたかったのです。中・高・大学生の頃これを目指しました。目標を達したら、空しさを味わいました。幸いに小さい時から、聖書に触れていました。大人になってイエス・キリストの十字架の愛を知るものとなりました。

ソロモン王は、「人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れました。」彼は、聖書(創世記2章)に従わないで、多くの‘妻’を自分のものにしました。「人の子らの快楽」sex()の快楽を‘極めた’ソロモンは、これにも限度があるのだ、とここで教えています。

聖書は、もちろんを否定しているのではありません。夫婦間での性は素晴らしいものと教えています。特に、聖書の雅歌(がか)で夫婦の性的愛を讃えています。しかし、どんなに夫婦愛があっても、人間が与える愛に限度があり、よりすぐれた愛と満足を指しているのです。

ソロモン王の‘最後の実験’は、労苦でした。「労苦をも喜んだ」とあります。彼は、「あらゆる楽しみをしました。」しかし、楽をしたわけではありません。彼は、苦して労して大事業家に成ったのです。彼は、「労苦」をも快楽と見ました。確かに、仕事で汗水流して、一つの快感を体験します。

ソロモン王のコメント:「しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」やはり心残りがあるのです。

「自殺こそ最大の快楽」と快楽をつきつめた紀元前の快楽主義者ヘゲシアスは説きました。「快楽というものは、なかなか得られない。快楽はさらなる快楽を求めるが、それが得られない。それゆえ苦しくなる。むしろ、生まれなかったほうが幸いである。しかし、生まれてしまったのなら、自殺することだと。

もちろん、自殺は間違いであることは言うまでもありません。聖書は「最大の快楽」は栄光と恵みに満ちている創り主御自身にあると語っています。『ウエストミンスター教理問答』にこう書いてあります。「人の主なる目的は神の栄光をあらわし、神を永遠に喜ぶことである。」創り主御自身に喜びがあるのです。

ベートベンの“喜びの歌”(聖歌25番)、英語では“Hymn to Joy”は、「Joyful, joyfulwe adore Thee (you).」日本語に訳すと「喜び、喜び、私達は、あなたを崇めます」と創り主を讃えています。

「み神は罪あるものを愛し、み子なるイエスをばつかわしませり、赦しのみ恵み、きよむる力、筆にも、声にも、のべつくしえず。」この喜びにあずかりたいものです。

[歌詞:Henry Van Dyke, 1852-1933、作曲:Ludwig Van Beethoven, 1770-1827]


主は私の羊飼い。



ダビデの賛歌
は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、の家に住まいましょう。
聖書・詩篇23:1−6


Tuesday, July 7, 2009

田口壮選手


田口 (たぐち そう、1969年7月2日)は、兵庫県西宮市出身の日本リーグのオリックスと大リーグのカージナルスで活躍してきたプロ野球選手です。妻は元TBSアナウンサーの香川恵美子です。

2006年10月27日のワールドシリーズ対デトロイトタイガーズ戦で8番レフトで先発出場し、7回からライトに移り、勝利を収めました。ライトの守備についていた田口は、世界一が決まった瞬間フィールドに立っていた初の日本人となりまた。

日本では通算67本のホームランを記録しており、このうち満塁ホームランは6本あり、11.1本に1本の割合は通算満塁ホームランが6本以上の選手の中では歴代1位であります。メジャー移籍後は通算得点圏打率.337、通算ホームラン率.500と、打数は少ないながらチャンス面で高打率を残しています。

日本では、ベストナイン(1回)、ゴールデングラブ賞(5回)、オールスターゲーム(4回)と言う記録を残しています。アメリカ大リーグでは年間等点圏打率1位の .407(2005年)で、Heart & Hustle Award (ハート&ハッスル賞、’07年)を受けました。

アメリカに移って1年半が過ぎた2003年の秋にイエス・キリストを信じ、クリスチャンになりました。田口はこう語りました。「自分の心に響きました。理解でき、実感することができました。これが本物だってわかったんです・・・妻との関係や、人生が困難に陥った時に助けてくれるのはイエス・キリストだと、今では思ってます。」

カージナルスにはアルバート・プホルス「現代のベーブルース」とも言われている選手がいます。今年は、8年連続オールスターになりそうです。プホルスについては、田口はこう語っています。「プホルスはとても優しくしてくれますね。彼は、言語を理解できないつらさをわかってくれるし、信仰の手本となるクリスチャンでもある。みんなとても親切にしてくれますね。」