「聖書を神のことばであると証明するのは、いろいろな方法があります。聖書自身がそう主張していることがあります。また、考古学などによって、その真実性を証明する方法もあります。
キリスト教はなかなか良い教えであり、その倫理性の高く、聖書の教えは喩えとしては面白いし、人生訓として最高だけれども、多くの人は聖書は神話であって、そのままは信じられないと言います。もともと歴史ではないのだから、歴史として読むのは間違っているとも言われます。
18世紀から19世紀にはそのような意見をいう人たちが多かったのですが、不思議なことに、考古学が発達して、20世紀になりあちこちで発掘が進むと、むしろそれまで神話であると思われていたことが、次々と事実であったということが明らかになってきています。聖書はそのまま信じて良いのです。
逆に聖書の言うことはきちんと聞くべきです。考古学によって今まで神話でしかないと思われていたことが、事実であることが分かってきたと言いましたが、ここで間違ってならないのは、考古学が証明するから、聖書が神のことばであるということではなく、逆であって、聖書が神のことばであるからこそ、その裏付けとして考古学が証明しているに過ぎないのであって、ある意味では当たり前のことであります。
また、聖書が我々に伝えられているその歴史を見ることによって、これはただ者ではないということが分かります。神様は歴史を通して聖書が神のことばであることを実証しておられるのです。聖書は歴史上、何度消されようとしたか分かりませんが、その度に守られ、そして全世界の人たちに分かる言葉に翻訳され続けています。」
続く