Sunday, May 30, 2010

必ず聖書を読みます


バブル崩壊後、激動の金融再編の動きの渦中で、私を支えてくれたのは、母親から受け継いだキリスト教信仰でした。私は就寝前には必ず聖書を読みますが、聖書は、その時々で訴えかけてくるものが違います。また祈る時には、最後は自分の思い通りではなく神さまの御心のままにしてくださいとお祈りします。キリストがゲッセマネで最後に父なる神様に祈られたように。すべてのことは神の御手の中にあるからです。好きな言葉は「人事を尽くして天命に委ねる」です。」橋本 徹 <元富士銀行会長、ドイツ証券株式会社社長>


Saturday, May 29, 2010

究極的には神が見える


「ほんとうにおもしろいんですね。実に不思議で、やはり自然というものは神様が造ったんじゃないかと、ときどき思わされてしまうんですよ。自然界というのは実に不思議で究極的には神が見えるような気がします。」小尾信弥


Friday, May 28, 2010

唯一の神を愛すること。。。


"That we must love one God only is a thing so evident that it does not require miracles to prove it." Blaise Pascal

「唯一の神を愛することは、あまりにも明確であるから、奇跡(のような証拠)は要求されない。」 ブレーズ・パスカル

『聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』聖書・申命記6:4−5


Thursday, May 27, 2010

聖書に示されておる。


「聖書は学者の書であり、無学者の書であり、万人によって万人に学ばれるべく、万人によって解されるところの人類の書なのである。われわれが謙虚になって聖書をひもといて見れば、それ(知識)は最も基本的な形において聖書に示されておる。これを今日の社会情勢と、人間の知識の進歩と、世界の複雑性に照らし合わせて応用すればよいだけです。根本は聖書に示されている通りであります。」矢内原 忠雄


Wednesday, May 26, 2010

主、主は、あわれみ深く、情け深い神。。。



「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者。」聖書・出エジプト記34:6−7


「主は怒るのにおそく、恵み豊かである。咎とそむきを赦す。」聖書・民数記14:18


「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。。。 主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。」聖書・詩編86:5、15


「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。」聖書・ヨエル2:13


「あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直される。」聖書・ヨナ4:2


*間違って聖書を読む人は、新約聖書の神は、愛の神で、旧約聖書の神は、いわゆる「砂漠の神」、聖い神で怒る神であり、愛の神ではない、と言う人がいます。聖書の全てに啓示てありますが、存在する神は、聖い神であり、正しく裁かれる神です。しかし、また、上の旧約聖書の箇所のように存在する神は、愛に満ち満ちています。特に、この極めた愛は、真の神である主イエス・キリストの十字架の御業によって分かります<上右絵>。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」聖書・ローマ5:8



Tuesday, May 25, 2010

真の研究は神への信仰に至る


「自己中心的で皮相な知識は無神論に至り、客観的で深みのある真の研究は神への信仰に至ると言えましょう。この世に与えて下さったことばの書である聖書に注意を向けて下さった神に感謝します。」ボリス.P.ドツェンコ*

*ボリス.P.ドツェンコは、元ソ連科学アカデミーの戦略核ミサイル開発者であり、また元キエフ物理学研究所原子力研究部長でありました。後、カナダに亡命しました。

Monday, May 24, 2010

恵みは、私たちを変える。


"Grace changes us and change is painful." Flannery O'Connor

「恵みは、私たちを変える。また、変ることは痛みを意味する。」フラナリー・オコナー

『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。』使徒パウロ・聖書・1テモテ1:15

Sunday, May 23, 2010

ヘレン・ケラー


「私が毎日、もっとも愛読する書物、それは聖書です。」ヘレン・ケラー

『イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことば<聖書>による』と書いてある。」』聖書・マタイ4:4




Friday, May 21, 2010

聖書はただの書物ではない。


「聖書はただの書物ではない。それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生き物である。」ナポレオン・ボナパルト

Thursday, May 20, 2010

わたしの恵みはあなたに十分である。。。。


『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。』聖書・2コリント12:9


Wednesday, May 19, 2010

聖書を読みなさい。


「光、暖かさ、健康、力はすでにもう存在しているのですから、スイッチを入れさえすればよいのです。電線そのものは別に何でもありません。絶縁された二、三本の銅線にすぎないのです。しかし、その線の中をプラスとマイナス二つの電流が流れると、すべてが変わってきます。暗黒は失せ、冷気はなくなり、仕事もたやすくできるようになります。聖書は単なる本にすぎませんが、神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、神の義と愛とが、プラス・マイナス二つの電流のように流れ、キリストの十字架で合流しています。聖書だけが、私たちに救い主を示してくれます。そのことによって聖書は、私たちの全生涯を造り変えることができる力の泉となるのです。あなたは誘惑にあい、疑惑と敗北と弱さに満ちたご自分の生活に倦み疲れてはいませんか。また、不安や心配にあきあきしてはいませんか。スイッチを入れなさい。聖書を読みなさい。」トーマス・エジソン

Tuesday, May 18, 2010

アルフレッド・テニスン


「聖書を読むこと。そのことが教育である。」アルフレッド・テニスン

Sunday, May 16, 2010

ベイビーズ/BABIES


超かわいい『ベイビーズ』(英:BABIES)と言う映画が欧米で母の日に公開されました。フランスの監督がアフリカ、ナミビアのポニ(上)、日本のマリ、アメリカのHattieとモンゴルのバヤの人生の「はじめの一歩」を上手に記録してあります.創り主の愛の御手を感じます.日本でも公開されれば良いですね.

映画"Babies"の予告編でもとても可愛いです.

Thursday, May 13, 2010

私達が最も重視しているもの


「教育であれ、何であれ、私達が最も重視しているものが、私達の神になっているのです。」ダビデ・ジャンカー

聖書・出エジプト記 20:1−3『 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。「わたしは、。。。あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」』


Monday, May 10, 2010

セオドア・ルーズベルト


「聖書を教えない単なる教育は、無責任な人に鉄砲を渡すようなものである。」セオドア・ルーズベルト

Comment: ルーズベルト大統領の引用は、極端に聞こえる可能性があります。しかし、彼は、良くアフリカでライオンなどのハンチングをしていました。それで、銃の危険性を知っていたのです。ちゃんと教育しなければ、銃はとても危なすぎるのです。そのように、人生は、聖書による教育がなければ、不十分な教育であり、危険でもある、と彼は思っていたのです。イエス・キリストはこのようなことを言いました。「人は、パンだけで生きるのではない。神からの一つ一つの言葉<聖書>によって、生きるのだ。」聖書無しでは、人は心において、『餓死する』、と言うことです。聖書は、あなたにとって、それほど大事です。聖書を読んで、心に留めていますか?あなたの命となるのです。


Sunday, May 9, 2010

神と聖書なしに。。。


「神と聖書なしに、この世を正しく統治することは不可能である。」ジョージ・ワシント

Saturday, May 8, 2010

Familyがbeachでpicnic....


5月1日(土)私のfamilyが庄内半島のbeachでpicnicしました。奈帆とホサーナが作ったおにぎりはおいしかったです。
私と子供達が海岸沿いの岩をhikingしていた時、奈帆が一人で海を眺めenjoyしていました。

Joshua, ShaneとHosahnaがbeachで遊びました。やはりぬれてしまいました。

創り主が造った自然は、素晴らしいですね。その色、調和、variety! Wow! 私たちにこのようなものをenjoyさせて下さるなって、恵み深い方ですね。

Friday, May 7, 2010

「空の空」 10


聖書・伝道者の書4:7ー16「私は再び、日の下にむなしさのあるのを見た。ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、「私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか」とも言わない。これもまた、むなしく、つらい仕事だ。

ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる。たとい、彼が牢獄から出て来て王になったにしても、たとい、彼が王国で貧しく生まれた者であったにしても。私は、日の下に生息するすべての生きものが、王に代わって立つ後継の若者の側につくのを見た。すべての民には果てしがない。彼が今あるすべての民の先頭に立っても、これから後の者たちは、彼を喜ばないであろう。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」


私は、今、ジェームス・マードックの“A History of Japan(日本の歴史)を読んでいます。昔の日本は”WA”と呼ばれていました。現在の日本の社会は「和」という仕組みによって説明できます。学者は「総合依存」と言っています。対照的に、アメリカ人は、個人主義を強調します。独立戦争ではじまり、開拓者は“西へ、西へ”と未開地を切り開きました。アメリカは、フランク・シナトラの歌のように“マイウェイ”(My Way)の社会です。しかし、ソロモン王は、個人主義は危険ですし、「空しい」と語っています。


富をむさぼるのは空しい。

ソロモン王は、孤独を体験している人を例えています。この人は、お金や、仕事にのめり込まれているのです。「富」を神(最も大事な存在)にしているので、「彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない」のです。彼は、仕事やお金に夢中になり、もはやもう自由ではなく、お金という容赦しない主人の奴隷になっているのです。『私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか』とも言えない程、仕事や富の本来の目的、人の為にあること、を見失っているのです。仕事と富が一種の“麻薬”と中毒になって大事なものを見失っているのです。その麻薬と中毒のゆえ、人を忘れ、人を傷つけ、人が離れて、「ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない」孤独な者になっていくのです。彼は、結局、「自分をも犠牲にし」ているのです。お金や仕事を‘神’にすると、その奴隷になり、すごい「犠牲」をはらうのです。「これもまた、むなしい」と聖書にあるます。

人は死ぬまぎわ、けして「もっと働いて、お金貯めたら良かったなー。もっと出世したら。もっと速い車やもっと大きな家があったら。もっと多く旅行できたら」と思わないのです。「もっと人を、家族を、大事にし、一緒にいたら良かったなー」と思うのです。何よりも優れているお方創り主を自分の真の『富』(最大の宝)とすると、イエス・キリストの恵みによって満たされていると、健康的な優先順位が出来るのです。働いてお金を使いながら、富や仕事の奴隷にならないのです。働くときは働きますが、仕事以上に家族を大事にするのです。仕事関係の人を含めて、人を大事にするのです。貧しい人、傷ついた人、弱い人、差別されている人を大事にするのです。仕事や富は、自分のためにあるのではなく、人のためにあるのです。


頼り合うことには意義がある。

「労苦」をはじめ、いろんな状況において、ふたりはひとりよりもまさっている」と書いてあります。「三つ撚りの糸は簡単には切れない」と終わっています。私たちの究極的な期待と信頼は、創り主のみに置くべきです。なぜなら、人に、神のみが出来ることを期待すると、人はその期待につぶされ、期待を裏切るのです。確かに「頼み難きは人心」です。しかし、人を人として、その弱さや限度を知りなが信頼すると、助け合うことになり、「良い報いがある」のです。「船は帆でもつ帆は船でもつ」のです。

はじめから、神は、私たち人間に「頼り合って」欲しかったのです。私達人間は、神に頼り愛していました。また、隣人を愛し頼っていたのです。しかし、私達は、神を愛し、隣人を愛するよりも、自分自身を愛し、物を愛すように成りました。それによって、自然が乱れるように成りました。平安が私達自身の心から去り、平和が互いの間からも去りはじめました。戦争、飢餓、貧困、不正、差別、憎しみ、空しさ、失望、病気と死がその悲しい結果です。しかし、神は、イエス・キリストと言うお方を通して、私たちの歴史に入って来られたのです。イエスは、神と私達の間の愛と信頼の関係を、また人間と人間との愛と信頼の関係を、癒し直すために来たのです。イエスの犠牲的な十字架の死によって、神との和解、人との和解をはじめられたのです。神と和解するために、私達は、自分の行いでは無く、イエスの十字架の行いによって活かされ、信仰によって活きるのです。このようにして、私達は、全く新しい人となります。イエスの力強い癒しが私達の内に、また私たちを通して他の人に働きはじめるのです。イエスは、その生涯と十字架によって、どのように人生を送るべきかの愛と信頼の模範を立てて下さいました。このイエス・キリストの恵みによって、「頼り合う」のです。

エデンの園の時から「人は一人であることは良くない」(聖書・創世記2:18)と神は語ったのです。はじめから、神の計画は、人間を”community”(コミュ二テイー、共同体)にあるものとして造られました。後で、家族を造るのです。また、いずれ、国と教会という共同体を造ることになるのです。なぜなら、ふたりはひとりよりもまさっている」のです。今もそうです。神のみにある究極的な意義を喜んでいる者には、神は「隣人を愛しなさい」、「互いに愛し合いなさい」、また「頼り合いなさい」と命じているのです。


出世は空しい。

全ての出世は良くないと言っていません。神を神として敬い、人を踏みにじらないで愛する出世には、意義があるのです。ソロモン王は、ある例えを使います。ある若者は、多分「愚かな王」によって、懲らしめられ、「投獄」にいれられ、「貧しかった」のです。しかし、彼には、優れた「知恵」があったので、ようやく「王」になったのです。しかし、民は、初め彼の「側についた」にも関わらず、「民」は、後に「彼を喜ばなかった」のです。ソロモン王は、そこまで出世しても、大統領や総理大臣になっても、「これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンは、ナポレオン・ポナパルトが当時のヨーロッパの蔽っていた腐敗政治と権力を撃滅(げきめつ)し、ヨーロッパを一新する英雄と目(もく)していたのです。ですから、交響曲変ホ長調第3番をナポレオンに献呈しょうとしていました。しかし、ナポレオンは、最後に大統領や皇帝となることを選んだのです。ベートーベンは失望し、憤激(ふんげき)し、楽譜の表紙を引きさいて、「あの男も偽物だった。おのれの虚栄心と野心をみたすために民衆の権利を踏みにじる暴君にすぎなかった。」と怒ったのです。そして、楽譜に、「シンフオニア・エロイカー一人の偉人を追懐して」とイタリヤ語で書きあらためました。「昨日、颯爽(さっそう)と登場した革命家が、今日はもう変身し始め、明日は旧権力者に輪をかけた暴君へと変る」小畑進。

出世は、‘王’や政治家の問題だけではりません。“他人事”ではありません。アメリカでこのような表現があります。“He was climbing up the ladder of success, but found it was leaning against the wrong wall.”「彼は成功のハシゴを上っていたが、間違った壁に置かれていたことに発見した。」自分が創り主を無視し、人を踏みにじりながら、上っていくと確かに間違った壁で、「空しいのです。」そのハシゴが壊れるか、壁が倒れるかの可能性があります。しかし、神の恵みによって、降りることが出来るのです。立ち止まって、自分の過ちに目覚めて、神を自分の信頼と希望にするのです。真の神には、「空しさ」はなく、この上もない意義と意味があるのです。

出世を極めたナポレオンは、晩年こう書きました。「私は人間を知っている。そした、私が言っておくがイエス・キリストは単なる人間ではない。彼と他の世界の全ての人と比べる言葉はない。アレキサンドル、カエサル、カール大帝と私は帝国を建設した。でも、私たちの天才的創造は何に基づいたのか?権力によって。イエス・キリストは、愛によって帝国を建設した。そした、今は、何百万人は彼のために喜んで命を捧げるだろう。」人を愛し、人に仕え、人のために十字架上で命を捧げた主イエス・キリストに本当の望みがあり、この方のように人を愛し、人に仕え、人のために命を捧げるのが本当の“出世”であるのです。


神を無視し、人を顧みないで、富をむさぼり、出世するのは『孤独』ですし、「空しい」、とソロモン王は断言しています。個人主義は危険です。しかし「三つ撚りの糸は簡単には切れない」のです。先ず、真実な恩方イエス・キリストを「自分の望み」とすると、頼り合うことは、可能であるし、「空しさ」ではなく、真実な意義と知恵があるのです。


Thursday, May 6, 2010

ただ神を待ち望む。


聖書・ 詩篇 62

指揮者のために。エドトンによって。ダビデの賛歌


私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。

私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。

私は決して、ゆるがされない。


おまえたちは、いつまでひとりの人を襲うのか。

おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。

あたかも、傾いた城壁か、ぐらつく石垣のように。

まことに、彼らは彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。

彼らは偽りを好み、口では祝福し、

心の中ではのろう。

セラ


私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。

私の望みは神から来るからだ。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。

私はゆるがされることはない。

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。

私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。

あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。

神は、われらの避け所である。

セラ


まことに、身分の低い人々は、

むなしく、高い人々は、偽りだ。

はかりにかけると、彼らは上に上がる。

彼らを合わせても、息より軽い。

圧制にたよるな。

略奪にむなしい望みをかけるな。

富がふえても、それに心を留めるな。


神は、一度告げられた。

二度、私はそれを聞いた。

力は、神のものであることを。

主よ。恵みも、あなたのものです。

あなたは、そのしわざに応じて、

人に報いられます。


<One question: あなたは頼りない自分、人や”富”を助けてとしますか?それとも、真の神?>


Tuesday, May 4, 2010

何か究極的な精神存在といったものが存在している


「宇宙を形造っているすべての事物の背後に、この宇宙に意味を与えている何か究極的な精神存在(創り主)といったものが存在している。」アーノルド・J・トインビー


Sunday, May 2, 2010

ゲーテ:私は聖書を選ぶ


「私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。」ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


Saturday, May 1, 2010

聖書:最も大きい恵みである。


「聖書の存在は、人類がかつて経験したうちで最も大きい恵みである。その価値を減らそうとのいかなる企ても、人類への罪悪となる。」イマヌエル・カント