Friday, December 17, 2010

国分寺キリスト教会のクリスマスお祝い


12月12日、国分寺キリスト教会で、私が聖書の『ヨハネ3:16』からメッセージし、奈帆がピアノをひきました。

下に『ヨハネ3:16』の箇所とメッセージがあります。


『 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』聖書・ヨハネ3:16


私の母は、車会社のあるデトロイト市出身ですが、父は、ニューヨーク市ブルックリン出身です。父は、高校生の頃、クリスチャンに成りました。が、第二次世界対戦、フィリピンで戦い、飛行機の電機整備士でした。クリスチャンでありながらも、日本人が大嫌いでした。父は、戦争後、フィリピンに宣教師として行きたかったのです。が、父は、大学で聖書を聞いていた時、今日の箇所の「神は。。。世を愛された」と言うところに来て、「世」は日本を含み、神は元敵の日本人をも愛されることに目が開かれました。その後、50年近く、長野県の松本で日本人を愛し、キリストの十字架の愛を語り続けました。

ここまで人を動かす’愛’とは何でしょうか?

先ず、人間の愛ではなく、神の愛です。

「神は。。。世を愛された」とあります。人間の愛は、あまりにも弱いです。人間は、神や、人を愛さないで、自分や、物を愛します。しかし、真の神は、違います。私たちが知っているいわゆる『神』は、人間の思いによって、人間の手によって作る、人間を少し超えたものです。聖書の存在する神は、全ての創り主です。永遠で、無限です。真実さ、力、知識、知恵、聖さ、義において超越しています。特に神は、愛、恵み、あわれみにおいて超越しています。

次ぎ、その愛は、「一人子をお与えになったほど」の愛です。

キーワードは「お与え」です。神の愛は、気持ちで終わらない、行動に見える、与える、『アメーエジング・グレース』の恵み深い愛です。私たちは、クリスマスにプレゼント交換をしますが、神の恵み深いプレゼントは、最愛の「一人子」イエス・キリストです。イエスが最大のクリスマス・プエゼントです。

説明しましょう。私達人間は、はじめには、神を愛し、隣人を愛していたのです。しかし、私達は、神を愛し、隣人を愛するよりも、自分自身を愛し、物を愛すように成りました。これによって、自然が乱れ、平安が私達自身の心から去り、平和が互いの間からも去りました。貧困、飢餓、戦争、不正、差別、憎しみ、空しさ、失望、病気と死がこの世に広がりました。しかし、神は、「一人子」イエス・キリストを通して、私たちの歴史に入って来られたのです。イエスは、神と私達の間の愛の関係を、また人間と人間との愛の関係を、癒し直すために来たのです。キリストは、罪人の間に住み、人を癒し、死人をよみがえらせました。キリストには、いっさいが罪のなかったのです。しかし、イエス・キリストは、十字架上で罪人の代わりとなって死んで下さったのです。罪人が罪のゆえに死ぬべき死を身代わりとなって死んだのです。犠牲的な愛です。これよって、神との関係が回復し、人との関係が回復しはじまめたのです。

私たちの返事は、「御子を信じ」受け入れることです。

「お与え」とあるように、最高のプレゼント「一人子」イエス・キリストを心に「受け入れる」のです。ヨハネの福音書のカギとなる聖句は、ヨハネ1:12です。 「しかし、この方(唯一の神でもあられるイエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」哲学や、道徳や、教義を「信じ」受け入れるのではなく、唯一の神また救い主であるイエス・キリストと言うお方を受け入れるのです。それによって、書いてあるように、本当の「永遠の命」をいただくのです。’死んでも死なない命’だけではなく、今も、神に特別に愛され、子供とされる生涯が与えられるのです。このようにして、私達は、全く新しい人となります。イエスの力強い愛が私達の内に働き、また私たちを通してこの愛が他の人に働き始めるのです。

私は、日本で宣教師の家庭に生まれ、長野県の松本で育てられました。小さいときから、ヨハネ3:16を暗記させられました。でも『いや』でした。ヨハネ3:16のメッセージを何回も聞きましたが、信じませんでした。8歳の頃、家族皆がアメリカに行きました。母側のお祖父ちゃんの家に泊まっていた時、私のEvangeline叔母ちゃんが、分かりやすく、イエス・キリストの十字架の意味を説明しました。私は初めてヨハネ3:16の意味が本当に分かり、信じ受け入れました。私は、8歳の頃に信じたキリストの愛を、現在毎日のように覚え、それによって変えられています。

私たちは、イエス・キリストの十字架の愛を継続して信じ、感動することによって、隣人だけではなく、敵を含めるあらゆる人を愛するように変えられて行きます。また、イエスの恵み深い生涯と十字架の愛と模範によって、どのように人生を送るべきかを教えられます。

父は、ヨハネ3:16の「神は。。。世を愛された」という言葉に変えられ、50年近く、イエス・キリストの十字架の愛を長野県の松本平で語り続けました。その中の一人の’トラックの運ちゃん’畑野さんがいました。父がフリピンで日本軍と戦っていた時に、畑野さんは、その敵の日本軍として同じフィリピンで戦っていました。しかし、不思議なことです。数十年後、父を通して、イエス・キリストを信じ、父と同じ教会でイエス・キリストの”十字架のみもと”で、心を一つにし、神を崇めるようになったのです。キリストの十字架の愛に真の愛があり、人を創りかえる力があるのです。。。 あなたをも変える力が豊かにあるのです。