高瀬キリスト教会にて 2008/04/06
(写:右〜前川忠夫氏の子どもの時代の家)
。。。続き
次に、父(前川忠夫)と母に成してくださった、神さまの計り知れない愛をお話させていただきます。
父は、知事を12年間務めさせていただいて退任した翌年の、昭和61年(1986年)、末期癌で後1年と宣告されました。私はこどもの頃から神さまのように思っていた最愛の父と永遠の別れをすることは考えられず、父がこの地上から姿を消すということは、耐え難いことでした。しかし、人は必ず死ぬということは悲しいかな、受け入れなければならないことであり、ならば絶対天国で再会したいとの強い願いが、私の心に沸き起こりました。
「神さま、父が神さまを信じて、イエス様の十字架の救いをいただいて天国に行けますように。父が神さまを信じて救われるまで、決して命を取らないでください。お願いします。癌の苦しみを和らげてください。」と、毎日ほんとうに真剣に祈りました。悲しみと心配と不安の苦しみの心が、神さまに祈り委ねることで、不思議にいつも平安に変えられていました。
ピリピ4:6,7「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」このみ言葉が真実であることを、何度も経験させていただきました。
祈りながら、手紙やビデオやテープを送り伝道しました。何度か高松に見舞いにも帰りました。
私の信仰をみて、父は「まりは、よいものを信じることができたね。」と感心して喜んでくれてました。そして「お父さんも、どう祈ったらいいのかなあ?」と聞かれました。父も癒されることのない辛い癌との闘病の中で、死に向き合い、偉大なる神を意識し恐れたのでしょう。
もう父の病状も終末にきていた頃、父は母の教会のカトリックの神父さまの訪問を受けました。
父は、神父さまとお話をした後、お祈りに合わせて、アーメンと3回繰り返し、涙を流したそうです。父が病床洗礼の恵みをいただいたということを、妹が横浜の私に電話で知らせてくれました。それを聞いた時、神さまはほんとうに生きていらして、私の祈りに応えてくださって、ほんとうに願いを叶えてくださったと喜び驚きました。この宇宙を創造され支配されておられる神さまが、こんな小さな小さき者の願いを叶えてくださったことが、あまりの驚きで歓喜!であり、涙が溢れて感謝の祈りを捧げました。
救いの恵をいただいた父は、平安のうちに3日後に天に召されました。臨終の場には、母と横浜から私と奈良から妹が間に合って家族は揃い、祈りの内に父を天に見送ることができました。
最愛の父と地上での別れは、私は予想外にも悲しみでなく、天での再会の希望が叶えられた喜びと感謝となりました。人の思いを越えた神さまの計り知れない深い愛と、救いの不思議さを思わされたものでした。ハレルヤ!
続く。。。