Friday, December 3, 2010

聖書 3


「聖書は神様の言葉ですから、実は悪魔の一番の嫌うものでもあります。悪魔は何とか聖書をこの世からなくそうと一生懸命にやっきになってきました。聖書撲滅のためにあらん限りの力をふりしぼったのです。悪魔は聖書を滅ぼすことがキリスト教を滅ぼす最高の方法だということを知っていました。聖書ほどこの世から消されようとした本もないと言えるかも知れません。旧約聖書の時代からそうですが、新約聖書の時代に入っても、何度も聖書はもう少しで抹消されるという試練を受けてきました。

まずキリスト教が誕生してしばらくは悪魔が最も激しく攻撃を仕掛けて来た時代です。約300年の間、聖書を持つことは大変危険なことでした。というよりは命がけでした。聖書を持っているのが見つかればそれは死を意味していました。しかし、不思議とその間も神様は聖書が地上からなくならないように守って下さいました。多くの信仰深いクリスチャンたちがいつの時代にも与えられ、聖書は写され続けてきました。当時は大変です。印刷がないですから、聖書が欲しければ自分で写すしか方法がないのです。聖書を写すことを考えてみて下さい。大変な仕事です。それでも神様はいつもそのような忠実な人たちを送り、これを守って下さいました。

地上から消えた本はたくさんあります。また残っていても、聖書と同時代に書かれた古典の写本は、2部とか3部とかせいぜい数十部、しかも残っているものといえば、書いた時から1000年も後になって写されたものしかないのですが、聖書は命を賭けて守ってくれた信仰の先輩のおかげで、5000部を超える写本が存在しているのです。これはすごいことなのです。世間の人の中には、「聖書」と聞いただけで、眉唾物、まがい物と考えたがる人がいますが、そんなことはありません。神様はこの聖書が地上からなくならないように守って下さいました。人類救済のために欠かすことの出来ない聖書をこの世から消すはずがないのです。というわけで新約聖書は、数からいっても、また原著からの期間から見ても、飛び抜けています。とにかく私たちの持っている聖書は、歴史的にも十分信頼できるものであるということです。神様が人類救いのために与えて下さったものですから、それが正確に伝えられるようにずっと守って下さっていたのだと言えます。

一般の本だったらとっくの昔地上から消えています。ローマ皇帝ディオクレティアヌスの時代には、聖書は集められ、荷車にうずたかく積まれ、町の大広場で燃やされたという記録があります。おかしなことですが、中世のヨーロッパは、キリスト教の時代ですので、聖書は当然大切にされたと思うでしょうが、当時のキリスト教、すなわちカトリックでは、聖書はラテン語しか持つことが許されていませんでしたし、それも司祭(牧師)ですら、持っている人は少なかったのです。その時代に、聖書をみんなの読める言葉(英語)に翻訳した14世紀のジョン・ウィクリフという人は、そのことために異端とされ、死後墓から骨が掘り起こされ、燃やされて、灰は川に流されました。

宗教改革は、一言で言えば、聖書に帰る運動だったと言えます。マルテン・ルターが聖書をドイツ語に翻訳したことは良く知られています。同時代のイギリスのウィリアム・ティンダルという人は、英語に翻訳しようとしましたが、イギリスでは聖書翻訳は禁じられていたので、ルターの影響の強いヨーロッパ大陸に逃れ、そこで聖書を翻訳し、イギリスに密輸で送り込みました。しかし、それに気づいたロンドン大司教は、大金をかけてそれを買い占め、セント・ポール大寺院の中庭にうずたかくそれを積んで、その前で、大説教をし(この悪魔の働きを滅ぼすために)焼かれました。ティンダル自身は、友を装ったスパイの手により、官憲に引き渡され、投獄されてしまいましたが、牢獄の中でも彼は聖書翻訳をしました。少なくともその願いがありました。ティンダル自身の署名のあるたった一通の現存する手紙には、「聖書と、ヘブライ語の文法書と辞書の差し入れ」をして欲しいと書いています。まるでパウロの獄中書翰さながらです。しかし、彼はやがてベルギーで処刑されてしまいました。彼の最後の言葉は「主よ、イングランド王の目を開き給え」でした。聖書翻訳のために文字通り命を捧げたのです。宗教改革を断行したイギリスでは、その同じ年、ティンダルの聖書が王様の命令によって出版されたのです。彼が翻訳した新約聖書は、英語聖書の傑作と言われるキング・ジェームズ訳聖書の70%以上が、そのまま使われているのです。聖書には不思議な力があります。ここにも聖霊の働きがあったと言えるでしょう。」


続く