Tuesday, December 21, 2010

高山右近のクリスマス


高山右近の父親、高山友照、は敬虔なキリスタンで、右近自身は幼いころから信仰を持った。1582年(天正10年)「本能寺の変」で明智光秀が織田信長を討った。その光秀を攻めるため出陣した羽柴秀吉(後の豊臣)の武将の一人に高山右近がいた。高槻の城主で信長にその功績を認められ昇給していた。高槻の領内の人々からも慕われる人柄だった。

1587年秀吉はキリスト教徒を追放するため禁教令を発令し、秀吉の使者は3度も右近を訪ね、信仰を捨てるように、説得しようとした。茶の師として右近が敬愛していた千利休の説得にも応じなかった。結局、右近は仕事も財産も捨てた。

その後、加賀藩の前田利家に招かれた。金沢では城の改造、設計、城下町の設計計画から土木技術指導まで行った。建築知識も深く、デザインセンスもあった。ポルトガル語も分かり、外国の技術にも詳しかった。禁令のもと一人で茶室でデウス(創り主)に祈ることも多かった。1800年(慶長5年)関ヶ原の戦いで天下を取った徳川家康はキリスト教を黙認し始めた。それ以後、キリスト信仰は右近の布教で加賀藩内に急速に広まり、信者はやがて1000人を超え、念願だった教会も建てられた。1608年金沢あげの大規模で荘厳なクリスマス・ミサがささげられた。加賀の夜に聖なる歌がなり響いた。

その5年後1613年、徳川幕府はキリスタン禁止令を発令、右近は加賀での生活を捨て国外追放される道を選んだ。

クリスマスは「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(聖書・1テモテ1:15)事実と真実を特にお祝いするときです。

『まんが日本昔クリスマス』より