Thursday, April 30, 2009

空の空 (2)


聖書・伝道者の書1:3−11「この地上でいくら労苦しても、何の益もない。いくら時代が変わっても、地は何も変わらない。太陽は、昇ったり沈んだりして、同じことを繰り返す。風もあちらに吹いたり、こちらに吹いたりして、ただ空気が動いているにすぎない。川の水も海に注いでは、また、もとに帰り、同じことを繰り返す。すべては無意味な反復(はんぶく)を繰り返すにすぎない。歴史は繰り返し、この地上に全く新しいものはない。たとい誰かが、『これはあたらしいものだ』と言っても、すでにあったものだ。過去にあったものは、人の記憶に残っておらず、将来起こることは、誰も知らない。」

日本人は、自転車をこいでいる人に例えられています。常にこいでいなければ倒れるのです。多くの日本人は、疲れはてていると思います。ある人は、疲れはてて、燃え尽きたりしますが、極端の話は、他の人は過労死になったり、また他の人は人生を”いや!”になって自殺もします。

聖書・伝道者の書1:8「言葉に表せないほど、すべてのものはものうい(英:wearisome/ 疲れはてさせる)。」なぜでしょうか?伝道者1:8の文脈を見ると分かります。ものごとはただただ繰り返して繰り返して、9節「日の下に新しいものは一つもない。」「時代」、「太陽」、「風」、「川」、「歴史」。これらは、ただただ繰り返されます。

3節、「日の下で、どんなに労苦しても、その人に何の益になろう。」朝起きて、歯を磨いて、朝ご飯食べて、会社まで行って、仕事をこなして、家に帰って、夕ご飯食べて、お風呂に入って、テレビを見て、寝る。昨日もウドン、今日もウドン。。。」繰り返し繰り返し、同じことをする、同じ仕事をする。仕事においても、何の益になるのか分からないので、疲れはててしまうのです。

私達は、人間で、動物や、機械ではないのです。動物や、機械は、繰り返しても繰り返しても、「益」や意義について考えません。しかし、創り主に「似せて創られた」(創世記1:26,27)人間は、動物や、機械と違って、意義について、考えたり、思いめぐらしたりするのです。

人間が機械を作る目的があるように、創り主が私達人間を創る目的があるのです。動物の創られた一つの目的は、人間が動物を喜ぶためです。人間の創られた一つの目的は、創り主が人間を喜ぶためです。創世記1章に、自然や、人間について「神はそれを見て、それは良かった、。。。それは非常に良かった」と思われたとあります。

人間が、何一つ仕事であれ労苦をする前に、たとえ何も出来なくても、創り主は、人間を喜んだのです。「神に似せて創られた」私達人間が、創り主から離れ迷っていることを認め、創り主に’里帰りする’と、安らぐことが出来るのです。創り主に安らぐと、仕事だけではなく、人生全てにも意義が与えられるのです。

私達人間は、自転車から降りて、立ち止まる必要があります。回りの自然を見て、創り主の恵み、また、創り主御自身を喜び楽しむ必要があります。疲れすぎて倒れる前にしませんか?

人の罪を負うって死なれたイエス・キリストは、こう言いました。「全て、疲れた人、重荷を負うっている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。」聖書・マタイ11:28。

『主よ、あなたは私達をご自身のために創られました。私達は、あなたに安らぐまで、決して安らぐことはないのです。』聖アウグステヌス。

※「空の空」の”1”は、Older Posts にあります。

Sunday, April 26, 2009

心の改革


『あなたは、キリストを、自分の救い主だ、と言う真の信仰があれば、その時あなたは、恵み深い神を知っているのです。なぜなら、信仰は、あなたを
導き入れます。信仰は、神の心と志を開きます。そこで、神の聖い恵みと溢れる愛を見る事が出来ます。信仰によって神を見る者は、天の父を見、慈しみ深い友を見るのです。』マルティン・ルター  [ルターは、どのようにしてこの素晴らしい恵みに至ったかは「心の改革」(click)をお読みください。]

Saturday, April 25, 2009

イエス・キリストに出会う私達の親戚。。。



「あなたがたが、わたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」イエス・キリスト

神様が、この古市順子(写真)を選び、任命して下さったのです.罪人の私の為に十字架上で死んで下さり、私の罪が赦されました.そして約束通り、三日目によみがえり、天に帰られたのです。2000年前のこの事実、私は信じます。

シオン教会に、まだプレハブ教室があった頃、小学校低学年の日曜学校に通っていました。加藤俊作先生、今は亡き平山先生,畠中先生に聖書のお話を聞き、お祈りしました。その頃、教えてもらった、新約聖書を開くときの歌、今でも、相当、役に立っています。

あれから、ずいぶん時間(とき)がすぎ、中学、高校、就職、結婚、出産、子育て.....。全く教会と離れていた時期もあったり、子供達をCSに連れてきたり、イベントに参加したり...そんな中、私も自分の時間が取れるようになった時、「聖書の学び」をしてみない....と誘われ、その時は、クリスチャンになると全然思わず、習い事の1つのような感じで、始めました.そんなスタートだったので、聖書にはこんなことが書かれているのかーとか知識的な発見はあるのですが、それ以上の進歩はなく、多分、先生と伯母との想いと、私の想いとのギャップはあったと思います。学びが進む中で、最初の「受洗」の話があっても私は、御言葉を聞いても、自分の中に入ってこなかったし、それよりも、何かピンとこないというより、何か違う気がし、余計疑問がわいてきました。でも学びをやめてしまおうとは思わず、テキストを続けていきました。

私は絶対、天国で会いたい人がいます。今まで私が死んだら、普通に会えると思っていました.でも学びが進むにつれて、このままでは会えない、私は、ある行動しないと、会う資格がない事を知ったのです。

「もし、あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせて下さったと信じるなら、あなたは、救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して、救われるのです。」  聖書・ローマ10:9、10

昨年の12月に信仰告白出来ました.受洗の学びにも入り、浜ノ町の礼拝にも参加するようになりました.すると、御言葉が自分の中に入ってくるのです。それからは不思議な体験続きです。

そんな中、今年の1月20日の<マタイの福音書5:21〜26> 「仲直りしなさい」のメッセージは、思い当たることがあるのです。私の1番つかれたくないところだったのです。メッセージ通り、全ての優先にして、いつまで一緒にいられるか分からないから、一刻も早く...、仲直りしないといけない人がいたのです。うやむやにしてはいけない事を、見て見ぬふり、無関心、無視してきました.私の今までの人生の中で得意としたところです.何か問題が起きても、自分の判断で取り込んでしまい、一見、波風立てず、穏やかに見えて、どんどん自分のカラが固まっていくのです.愛の反対は、憎しみではなく、無関心。本当に私は罪人です.神様が今気づかせて下さり、心から感謝しました.仲直りする事は、とても怖かったけれど、イエス様がついていて下さると信じて、今までの事、謝る事ができました.悶々とした私の心に、まさに一番的確な「答え」をくださったのです.「たまたま」とか「偶然」とかでは、片付けられない。 どんなに自分に都合のいい理由をつけようとしても、神様は、追ってこられるのです。そう、追って下さるのです.神様は、私を心配して下さっていたのです。私は悔い改めをし、神様に一切を委ねていきたいのです。こんな私でも、神様はそばにいて下さる、私を全て知って下さっている。

私の家族には、まだクリスチャンはいません.私を一番に選んで下さった事は、御計画の始まりです.神様が用意して下さっている戸を私は開けます。

最後に私の好きな御言葉、「『先生.彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか.この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません.神のわざがこの人に現れるためです。』」<聖書・ヨハネ9:2、3>

全てに感謝!

古市順子

Wednesday, April 22, 2009

ヒルマン監督にとって一番大事なこと


トレイ・ヒルマン監督は、二年ほど前まで日本にいて、長く低迷していた球団日本ハムファイターズをチャンピオン球団にしました。

現在、ヒルマンは、メジャーリーグのKansas City ロイアルズで監督をしています。二シーズン目ですが、ファンは、彼を理解しきれないめんがあります。彼を理解したければ、彼にとって何が一番大事であるかを理解しなければなりません。

彼にとって野球が一番ではありません。

9歳のトレイ(ヒルマン)は、テキサスの家の外で近所の友達と野球をしていました。トレイがサンタクロースの話をした時、ある友達は笑って「そんなことを信じるのか!」とバカにしました。

傷ついたトレイは、彼のお父さんに聞きました。お父さんは、中学校の校長、監督、町で最も尊敬されている人でした。ヒルマンにとって、お父さんは‘聖人’でした。

トレイは、サンタや、歯の妖精(tooth fairy)や、イースターのウサギ(Easter bunny)について聞きました。お父さんは、真実を(本当の話ではないと)言いました。続けて彼は、聞きました。神様は?本当にいる?。。。

突然、お父さんは、真剣になりました。神様は、本当だ。私を愛するよりも、イエス・キリストを愛すほうが大事だ、と言いました。「私があなたと時間を過ごすよりも、イエス・キリストと過ごすほうが大事だ。」

ヒルマンはこう言いました。「理解して欲しいことは、私の父は、今もそうですが、その時も、私のヒーローでした。父がそのことを私に言ったので、私にとってイエス・キリストが非常に重要になりました。」

ヒルマンは、その父の言葉によって変えられました。日曜日の教会は、儀式でなくなりました。神様は、大事な存在から、一番大事な(essential)存在になったのです。寝る前に聖書を読み返したりしていたので、夜遅くまで彼の寝室から光が見えました。

全ての決断に確信を与えるヒルマンの信仰は、彼をこのような男と監督にしているのです。もちろん、彼のしていることは野球です。彼の家族や、友達意外の方は野球を見て彼を知っています。野球があるから、5つの州と太平洋の向こう(日本)に行ったのです。

しかし、彼にとっては、神様が全てを導いたのです。

ヒルマンの球団が日本の伝統に従って、お寺に行った時、彼は、ひざまずいて自分のイエス様に祈りました。カメラマンがこれを見逃しませんでした。後で、彼は、レポーターに、その祈りについて聞かれて、真実を語りました。

何年か後、野球を通して、ヒルマンは、自分と同じ強いクリスチャン信仰を持った方に会いました。ロイアルズのジェネラルマネージャー、デイトン・モアでした。ロイアルズ球団に新しいリーダーが必要でした。二人の間に信仰の話が出て来たのはインタビューの二日目でした。それは、初対面の二人が互いに理解出来るような架け橋のような働きをし、モアは安心しました。モアは、心によって生きる(live by their hearts)、“しもべ型”(servant style)リーダーを好んでいたのです。それがヒルマンに見えたのです。

「ヒルマンがどのようにして人を管理したり、あつかったりするのか、はっきり見えます」とモアは言います。「彼は、人を非常に大事(care a great deal)にするでしょう。多くの人は、人を大事にすると言いますし、そして大事にしていると思っていますが、本当は違います。トレイが実践しているように、彼は人を大事にします。彼はそのような人です。彼が人を大事にするように彼の信仰は要求しているのです。」

ヒルマンがロイアルズの監督の仕事を受けた時、彼はチャンピオン球団を作り上げると常に話していました。日本の低迷していた球団がチャンピオンになるのを助けたと繰り返し繰り返し話しました。そして、Kansas City で同じことを期待していると話しました。

ヒルマンは、大志を抱かずに、44才の若さで大リーグのマネージャーに至る訳はありません。しかし、今は、前と違った風に話しています。

「Kansas Cityロイアルズを世界チャンピオンの栄光の座に私自身が導けるか、そのプロセスの一部に貢献できるか、分かりません。私の計画がどうあれ、神の計画は私の計画より優れています。私は、神の計画に従えるように賢く忍耐しなければなりません。」

彼は、本気でこう語っています。

[ サム・ミレンジャーの記事より ]

Tuesday, April 14, 2009


「初めに、神が天と地を創造した。。。地が植物、すなわち種を生じる草を、種類に従って。。。生じさせた。神はそれを見て良しとされた。」創世記1:1、12


しかし、神が我々の心に触れるなら。。。


「単純な人たちが理屈なしに神を信じるのを見て驚いてはいけない。神は、彼らが神を愛し、自分自身を嫌悪するようにさせている。神を信じる心へと導いているのだ。もし神が我々の心に触れてくれなければ、我々は決して、疑いのないしっかりした信仰で神を信じることはない。しかし、神が我々の心に触れるなら、瞬時に我々は信じるだろう。」ブレーズ・パスカル