Tuesday, June 29, 2010

しかし、神様は、振り向く心も下さった。


NBAのバスケット選手マヌート・ボールManute Bol)は、6月19日、アメリカのバージニア州のシャーロッツビルで天に召されました。彼は、NBAでは、身長の高さ(231cm.)と数多いブロック(右写)で知られています。彼は、スーダン南部のデインカの酋長の息子で、NBA後、活動家になりました。10年間、NBAでプレーして得た財産をすべて戦争で引き裂かれている祖国スーダンの復旧のために使いました。「Ring True Foundation」というスーダン難民への援助団体を設立し、自分の財産(およそ350万ドル)は全てこの団体に注ぎ込みました。

彼の名前の「マヌート」は「恵み」と言う意味で、彼は、キリストの恵(Amazing Grace)を体験し、極めた恵の生涯を活きて来ました。ボールは、こう言いました。「神様は、私をアメリカに導き、良い仕事を下さった、しかし、神様は、[祖国とその苦しみに]振り向く心も下さった。」NBAでは『あがない』と言う言葉は、しばしば使われますが、多く場合、自分が自分の名誉を取り戻すことや、自分の復活を意味します。ウオ—ル・ストリート・ジャーナルでこう書いてあります。「しかし、あがない[キリストの十字架による救い]キリスト者の理解は、常に自分を低くし謙ることに結びつく、とボールによって私たちは覚えさせられる。それは、苦しみ、また死にまでも結びつく。」NBAの自己利益の生涯と対照的です。最後に、ボールは、スーダンの活動で感染した病気によって天に召されたそうです。イエス・キリストの姿が彼に見ることが出来ます。


Saturday, June 26, 2010

聖書を尋ね聞く用意がなければならない。


“One cannot simply read the Bible, like other books. One must be prepared really to enquire of it. Only thus will it reveal itself. Only if we expect from it the ultimate answer, shall we receive it.” Dietrich Bonhoeffer

「人は、聖書を、ただ他の本のように、読むことはできない。聖書を尋ね聞く用意がなければならない。そのようにしてのみ聖書が聖書を明らかにする。聖書から究極的な返答を期待してのみ、それを見いだすことができる。」ディートリッヒ・ボンヘッファー

Thursday, June 24, 2010

神をほめたたえよ!


聖書・詩篇 150


ハレルヤ*。

神の聖所で、神をほめたたえよ。

御力の大空で、神をほめたたえよ。

その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。

そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。

角笛**を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。

十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。

タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。

緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。

音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。

鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。

息のあるものはみな、主をほめたたえよ。

ハレルヤ。



*『ハレルヤ』の「ハレル」は’讃美’と言う意味で、「ヤ」は’主’(神)と言う意味でです。主を讃美する、と言う意味です。

**『角笛』<写>や他の楽器は、今から3000年程前イスラエルで使っていた楽器です。


Wednesday, June 23, 2010

Happy birthday, Naho!


ホサーナ(7才)は、家内に誕生日のために可愛い子供の本をあげました。きれいに包んで(下)。

ラッピングに日本語でこう書いてありました。読めるでしょうか?『ままへ、イエスさまの本あげるね。ホサナより イエスさまだいすき!ままだいすき!おたんじょびおめでとう。』

Monday, June 21, 2010

真珠湾攻撃総指揮官:淵田美津雄


「私は熱心に聖書を読みました。私の人生観はキリストによって完全に変えられました。」淵田美津雄

*私が高校生の頃、ジェーコブ・デッシェーザーの教会に行きました。印象的なのは、彼は、とても謙虚だったことです。デッシェーザー氏は、第二次世界大戦、東京や名古屋を爆撃し、中国で墜落し、日本の収容所に入れられました。しかし、その時、奇跡的に、聖書が手に入り、イエス・キリストを信じました。戦後、日本で宣教師をし、淵田氏にあい、仲の良い友達になりました。淵田氏は、デッシェーザー氏の本”I Was a Prisoner of Japan”(私は日本の捕虜だった)を読み、キリスト者になりました。彼らは、共に伝道集会でキリストの十字架にある恵と和解を語りました。元敵同士が共にキリストを伝えることは正に’amazing grace'です。


Saturday, June 19, 2010

「空の空」 11


聖書・伝道者の書 5:1-7「神の宮へ行くときは、近寄って聞くことは、愚かな者がいけにえをささげるのにまさる。彼らは自分たちが悪を行っていることを知らないからだ。神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。仕事が多いと夢を見る。ことばが多いと愚かな者の声となる。神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓って果たさないよりは、使者の前で「あれは過失だ」と言ってはならない。神が、あなたの言うことを聞いて怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてもよいだろうか。夢が多くなると、むなしいことばも多くなる。ただ、神を恐れよ。」


私の家内、奈帆、はどちらかと言えば、話をよく聞くタイプです。私は、小さい頃から、おしゃべりでした。”Babling ape”(おしゃべり猿)と良く言われました。でも、ソロモン王は、「多くの言葉には空しさがある」と言っています。特に、創り主の前に行く時、「聞きないさい」と言っています。

ソロモン王は、伝道者の書1章に「空の空、全ては空」と断言しました。なぜ「全ては空」なのでしょうか?世間の「日の下」の角度だからです。「日の下」の角度は、創り主とその思いを重んじないから空しいのです。逆に、私たちは、「日の上」の創り主の角度からものごと見なければなりません。ここに本当の意義があるのです。。。 ですから、ソロモンは、創り主の視点を聞きに「神の宮に行く」のです。教会に行くのです。

しかし、「神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけ」、注意して行かなければならない、と呼びかけています。それは、創り主に「近寄る」時、「聞く」ことが最も重要なのです。逆に、創り主の前に行くとき、「軽々しく、心あせってことばを出すな。ことばを少なくせよ」とも言っているのです。

なぜ創り主の前に行くと、言葉に注意をしなければならないのでしょうか?「神は天におられ、あなたは地にいるからだ。」真の神は、私たちの周りにある神々と違うからです。狐、太陽や、山の神々と違うのです。野球、サッカーやバスケットボールの神様と違うのです。仏と違うのです。存在している創り主は、超越した方です。宇宙や私たちを創られた方は、無限で、永遠で、全能です。私たちは、あまりにも小さなものです。創り主は、決して軽んじてはならないお方です。注意深く耳を傾けなければならないお方のです。

また、伝道者の書のポイントの「空の空」に戻ると「多くの言葉は空しい」と思い出すのです。「多くの言葉」は、「全ては空」の中にも含まれています。ですから、創り主に近寄る時、先ず、自分の思いを創り主に語るのではなく、創り主の思いを聞くのです。「日の下」の空しい言葉を語るのではなく、「日の上」の意義ある創り主の言葉に耳を傾けるのです。世間から意義について学ぶことが出来ないので、創り主御自身から、創り主御自身にあって、全てに意義があることを学ぶのです。

「ただ神を恐れなさい」と終わっています。自分の小さな「夢」や「計画」を創り主にぶつけるよりも、唯一の神を全ての創り主として恐れ敬い、神の崇高な「夢」と「計画」を心に留め、抱き、自分のものにするのです。

私たちは、創り主の思いを自然界からは十分に学べません。やはり、聖書— 神の御言葉— がなくてはならないのです。聖書を個人的に読むことも出来ます。しかし、ただ個人的に読むと、自己解釈の恐れがあります。創り主からのインプットが必要です。ですから、特に、プロテスタント教会では、礼拝の中で、神のみ言葉<聖書>とそのメッセージ(説教)が中心です。私たちは、先ず「近寄って聞く」のです。それで、また、讃美したり、祈ったり、話し合ったりするのです。<写:私たの神学校の教授、トニー・エベンス。ダラスの教会の牧師。>

「世の宗教者どもよ、ヤソどもよ。聴く耳あらば聴くべし。聴きて答えうべくんば答うべし。」小畑進。神社や、お寺に行くと御利益を神仏にお願いします。人の言葉です。お金を賽銭箱に入れて、手をあわせて、祈願します。自分の「夢」や「計画」がベストだと思うのです。教会は、先ず、「近寄って聞く」場です。創り主の恵み深い御言葉<聖書>を聞いて、創り主の「夢」や「計画」を自分の心に留め、『主の祈り』にあるように「あなたの御心が天で行われるように、地上でも行われますように」と祈るのです。

私は、二三回、天皇陛下さん達に会った(まだ皇太子殿下の頃)ことがありますが、昔は、天皇陛下に近寄れなかったのです。近寄れても、自分の方法で近寄れなかったです。私たちは、天皇陛下よりずっと優れた方、天地万物の創造主に、自分の方法で、近寄れないのです。しかし、イエス・キリストは「私は、道であり、真理であり、命なのです。私を通してでなければ誰一人父のみもとに来ることはありません。」聖書・ヨハネ14:6。イエス・キリストと言う方を通してのみ創り主に近寄り、本当の意味で御言葉を聞くことが出来るのです。イエスの御名によって、近寄り、耳を傾けましょう。ここに真の幸福、意義と恵があるのです。

Thursday, June 17, 2010

聖書から離れられなくなった。


「私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ聖書にぶつかった。初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。」三笠宮 崇仁殿下

* この言葉は殿下がなぜ歴史を学ぶようになったかについて述べたときのものです。


Tuesday, June 15, 2010

アビー・サンダーランドさん(米、16歳)がヨット世界一周中遭難後、無事保護


6月13日、CNNによると、アビー・サンダーランドさん(米、16歳)がヨット世界一周中遭難後、無事保護されました。「ヨット単独世界一周航海に挑戦していた途中、インド洋上で行方不明となっていた米カリフォルニア州の12日、無事救助された。サンダーランドさんが救助されたことが分かった後、彼女の両親は記者団から、『アビーさんがヨット単独世界一周航海に挑むには年齢が若すぎたのではないか』との質問を受けると、『アビーは優れた航海技術を持っているし、今回の航海に情熱を傾けていた。ヨットでの単独世界一周航海という挑戦は途中で挫折してしまったが、本当によくやったと思う。すばらしい子だ』と述べて、娘の立場を擁護した。」

アビーさんの家族の自信は、注意深い準備から来ている、と言われています。また、何も恐れない勇気を大事にするキリスト教信仰から来ています。父、ローレンスは、こう言いました。「私たちは、だだの感情や知識によって、ものごとを決めない。私たちは、さらに祈ったりする。確信ある祈りと、その祈りに対する答えによって、アビゲール(アビー)のキャンペーンに導かれた。。。。 正直であれば、人生そのものは危険だ。。。。 主は、全てを治めている。」子供を守りすぎる社会の中で、アビーさん達の挑戦は、アドベンチャー精神に満ちている、と私は思います。

サダーランドさん達の家にこの聖書のみ言葉の壁掛けがあります。「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」ヨシュア記1:6−9 私は、自分に勇敢さが足りないので、長男Joshua(日:ヨシュア)に聖書にある将軍『ヨシュア』の名前をあげました。毎日、息子Joshuaのために”神の臨在によって雄々しくあるように”と祈っています。アビーさんは、とても若いのに、男顔負けの勇敢さがあります。励まされます。


Monday, June 14, 2010

チャリテーコンサート


6月12日、高松コミュニテー教会がチャリテーコンサート・ゴスペルライブを開きました。音楽のスタイルは、プレーズ(讃美歌)やカントリーで、とても良かったです。私が、有名な聖書の『良きサマリヤ人』の話を通して、貧しい人や苦しんでいる人に仕える心は、イエス・キリストの”amazing grace"(驚くばかりの恵み)から来ることを説明しました。ルカ10:33、イエスは、私たちの状況を見て、心の奥底から愛し、十字架上で命そのものを与えたのです。募金は、日本国際飢餓対策機構におくられます。

Saturday, June 12, 2010

イエス・キリストと田口壮


田口壮選手は、現在、プロ野球のオリックスにいますが、2003年、アメリカにいた頃、イエス・キリストを信じました。「自分の心に響きました。理解でき、実感することができました。これが本物だってわかったんです…妻との関係や、人生が困難に陥った時に助けてくれるのはイエス・キリストだと、今では思ってます」この体験ををYOUTUBEで見て聞いて下さい。

Wednesday, June 9, 2010

神が歴史の中で働いてきた


「旧約聖書も新約聖書も、神が歴史の中で働いてきたことを告白している書物です。」隅谷三喜男


聖書・ルカ1:1−4「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」

* 医者でもあったルカは、聖書と福音の真実さ事実性を確かめて、このルカの福音書を書きました。イエス・キリストの奇跡的な誕生、またあらゆる奇跡、言葉、十字架による救い、また死者の中からの復活の歴史的事実を確認したかったのです。私たちのは、本当に”罪人”なので、本当の救いがなければならないのです。「イワシの頭も信心から」ではこまるのです。イエス・キリストが私たちを罪から確かに救って下さる唯一の方です。


Monday, June 7, 2010

「恵み深い人」


最近、私が尊敬するスポーツ関係の二人、アニー・ハーウェル(Ernie Harwell)とジョン・ウッデン(John Wooden)が天国に召されました。

アニー・ハーウェルは、42年間、私のチームのデトロイト・タイガーズの名スポーツキャスターでした。彼は、大リーグ中で愛されていました。彼は、5月4日、92歳で天国に召されました。

1981年8月2日、彼は、ニューヨーク、コパーズタウンのでスポーツキャスターとして大リーグの殿堂入りを果たしました。タイガーズの試合中、ホムランが打たれた時、"That one is long gone!" と言って、“loooong”を強調したそうです。

ハーワルは、熱心なクリスチャンで、試合前に礼拝する大リーグの選手のためのベスボール・チャペル(Baseball Chapel)を大リーグ中のチームではじめました。ハーウェルは、天に召される前、去年の9月4日に言いました。「何が起こっても、私の心は準備してある。神とイエスにたいする強い信仰をもっている。」(AP通信)

UCLAで名コーチであったジョン・ウッデン氏が64日に99歳で天国に召さました。ジョン・ウッデンは、大学バスケットボールの名コーチとして知られる人物で、UCLAのバスケットボール部を10度も優勝に導き、カリーム・アブドゥル・ジャバーなど、多くのスター選手を育て上げました。

「私は、いつもはっきりしておきたいことは、バスケットボールは一番大事なものでないことです。生涯全体と比較して、そんなに大事ではないです。本当に勝ちうる人生は一つで、それは救い主(イエス・キリスト)の御手に信仰を置くことです。」

「。。。神よ、私を内面からキレイにしてください。。。妻の好きな言葉でした。」彼と奥さんとのNellの関係は”特別”だと言われています。

アニー・ハーウェル氏とジョン・ウッデン氏は、「恵み深い人」として知られていました。イエス・キリストによって罪赦され愛され、その恵みを人々に示しました。私も、そのような人になりたいです。


Sunday, June 6, 2010

聖書はダイナミックなカ


「私が毎日、もっとも愛読する書物、それは聖書です。私の辞書に”悲惨”という文字はありません。。。。聖書はダイナミックなカであり、変わることのない理想を示すものです。」ヘレン・ケラー


「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」聖書・ヘブル 4:12


Friday, June 4, 2010

“ハイチのマザーテレサ”


5月24日のNHKのクローズウップ現代で
“ハイチのマザーテレサ”についての番組がありました。番組関心ランキングは、一位でした。“ハイチのマザーテレサ”の須藤昭子(すどう・あきこ)さんは、83歳の日本人のお医者さんで、また修道女です。「失業率70%の貧困、治安悪化、政治の混乱が続くハイチで、30年以上医療支援を続けてきました。国際的な支援の手が十分に届かない貧困層の苦しみの中で須藤さんはハイチの人々に手を差し伸べようとして来ました。」NHKは「須藤さんの活動を通して、最貧国支援のあり方を考え」させたかったのです。

「残された人生はハイチの復興に力を尽くしたい。」須藤昭子

聖書・ガラテヤ2:10に、こう書いてあります。「。。。貧しい人たちをいつも顧みるように。。。」主イエス・キリストの尊い十字架の救いによって恵まれた私たちは、施しを含めるあらゆる恵みを表すのは当然なことです。

ハイチへの募金 <リンク>日本国際飢餓対策機構

Tuesday, June 1, 2010

神様にとってビリはいないのです。


「私の10代の頃、お金を少しでも稼ぐために、鶏を育てようとしました。お金儲けのつもりでしたが、利益を得ることよりも教育を得ました。。。 この鶏は、自分たちの決まりを作っていました。ボスの鶏は全ての鶏に突っついていました。そして二番目の鶏がいました。一番の鶏意外には、他の全ての鶏に突っついていました。三番目の鶏は、一と二の鶏以外の鶏に突っついていました。一番最後の鶏は、かわいそうに全ての鶏に突っつかれました。。。 私たちの社会は、突っつく順番に整理せれています。チビ(英:runt)も作ってしまいます。しかし、神様にとってチビはいないのです。キリストは、人を突っつくことを考えもしないような新しい(自分のように隣人を愛する)秩序を作るために来られました。」パトリック・モーリー *

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』聖書・ルカ10:27

“As a teenage I tried to raise chickens to make spending money. The venture was meant to be a commercial enterprise, but it turned out more for education than profit… These chickens made their own chicken coop rules. The boss chicken could peck on anybody he wanted to peck on. Then there was a number two chicken. She could peck on anyone except number one. The number three chicken could peck on everyone except number one and two. The poor chicken who was at the end of the pecking order was flat out of luck… We organize our society into pecking orders and runts. But God doesn’t have any runts. Christ came to usher in a new order- to love our neighbors as ourselves- without thinking of people in a pecking order.” Patrick Morley

*パトリック・モーリーは、ハバードビジネススクールやオックスフォード大学で学び、1973Morley Properties(モーリー資産会社)をはじめ、1991モーリー資産を売り、Man in the Mirror(鏡に映る男)という奉仕活動をはじめた。