Tuesday, May 31, 2011

「何と息苦しい-。」


何と息苦しい-」と西日本新聞の社説にあった。大阪府の橋下徹知事と彼の地域政党が先週、大坂府の施設で「君が代」斉唱時に教職員に起立・斉唱を強制する条例案、を府議会に提案した。君が代起立 条例で縛るようなことか / 西日本新聞

私は、正直言って、驚いている。橋本知事は、改革を推進するタイプだと思った。日本は、民主主義の国だと思った。しかし、この法案は、教職員の人権を踏みにじるものだと思う。「思想及び良心の自由」と「信教の自由」に対する重大な侵害である。「言論の自由」にも大きなマイナス影響を与える。一種の「弾圧」だと思う。「空の空」 9参考。

私はこの法案を読むと、「でる釘は打たれる」ということわざを思い出す。教職者などの良心や人権を踏みにじって、「長いものに巻かれろ」と言っているような気がする。天地の創り主に似せて創られた人間に対してしていいのだろうか、と疑問に思う。世界の人権は、聖書の「隣人愛」から来ているが、これは「隣人愛」の逆である。

過去の徳川時代のキリスタン禁令や第二次世界大戦の国家神道について読むと、私は外人であっても、日本の政治が宗教や信教に触れ始めると、黙って入られません。日本同盟基督教団の声明にあるように、この法案を廃止するように祈る。

Saturday, May 28, 2011

映画『神々と男たち』



『神々と男たち』(原題: Des hommes et des dieuxは、フランス映画で、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリで受賞しました。ストリーは実話で、あるカトリックの修道士たちがモスレム教の地元の住民に仕えていて、戦争に巻き込まれます。その7人がテロリストに拉致され、殺されます。フランスの新聞、レモンデは「この映画は信仰の告白である」と書いてそうです。修道士は、神への信仰と人への愛を献身的に現しました。この愛は、敵にでも現されました。Trailerを見て下さい。YouTube - Of Gods And Men - Official Trailer HD京都民報WebのCinema Reviewを参考にしてください。牧師Yoshioのコメントを読んで下さい。3月頃、日本で公開されたそうですが、香川県にはまだ来てません。是非見たいです。

Monday, May 23, 2011

瓦礫の中にそびえ立つ十字架


私が、香川県の教会と共に宮城県にボランテアとして行った時、印象深い話を愛知県の教会のボランテアから聞きました。「瓦礫の中にそびえ立つ十字架」の話でした。大津波の後、気仙沼第一聖書バプテスト教会の残っていたものは土台だけでした。ボラテアがそこを片付けて、十字架を建てたのです。Asahi.comを参考に。asahi.com(朝日新聞社):がれきの中、流木の十字架 気仙沼の牧師ら、教会跡地に - 東日本大震災 

十字架のもとで気仙沼や日本のために歌って祈ったブラジル人や日本人の讃美をYoutubeで聞いて下さい。YouTube また、牧師の涙を見て言葉をYoutubeで聞いて下さい。YouTube

「被災者の必要はまだまだ膨大です。目に見える必要もあれば、目に見えない心のケアも必要です。何よりもこの望みえない時にこそ、希望が必要です。。。。私どもは確信して言います。様々なものは時代によって変化し移り変わっていきますが、今までもそしてこれからも変らないイエス・キリストの愛こそが、決して失われることのない希望であることを。

今回の被災者支援で避難所や地域を回ったり、特に地域の教会を通して支援の手を差し伸べる中で、『ああ、あそこに教会があってよかった』と近所の方々が語って下さいます。諸教会が手を取り合って協力して、物心両面の必要に答えています。『キリストさん、ありがとう』と町の方が、言って下さいました。今、教会と地域のリーダーやそこにいる方々が結びあわされ、その地域が震災前よりももっと素晴らしい場所に変わっていっていることを確信します。」飢餓対策Newsより

「被災者の必要はまだまだ膨大です。」テレビのニュース番組が続けて東北の必要を報道しています。感謝しています。 義援金など(日本国際飢餓対策機構)を忘れないで下さい。しかし、それと同時に、今から心のケアが一番大きな必要だと私は思うのです。ただ、被災地に行って、寄り添って、彼らの話を聞いて下さい。

希望の十字架が瓦礫の中からそびえ立っています。気仙沼のために、日本のために。父は、良く、十字架の後は復活だよ、と言いました。私も、日本のためにそう祈ります。


Sunday, May 22, 2011

「クリーン・ボランテア」


5月21日(土)、上高瀬小学校の皆さんと一緒にグラウンドを清掃しました。

家内奈帆とホサーナ。

ジャシュア、シャーンと友達。

私は草刈り。

Friday, May 20, 2011

ロイヤル・ウェデイング3、聖歌


ウィリアム王子とキャサリンのウェデイグでこの聖歌が歌われました。1747年、有名なチャールス・ウェスレーの作曲で、日本の聖歌では118番です。それと関係している聖書箇所が書いてありました。1ヨハネ4:8−9「 神は愛です。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」やはり、イエス・キリストの愛が結婚の『心』です。

聖歌 118 「神の賜う愛」

1.神のたもう愛、
あまつよろこび
恵みにみちたる、あがない主よ
み前にひれふし、祈るわれらに
またきみ救いを、もたらしたま

2.おののくわれらに、きよみみたまを
ふきいれ、やすきにみちびきたまえ
みむねにさかろう、おもいをもぞ
かわらずただ主を、したわせたまえ

3.力もてのぞみ、
われらのうちに
みくらいをさだめ、とどまりたまえ
日々主をかしこみ、日々主に仕え
日々主を愛して、過ごさせたまえ

4.またきみ救いの、
くしきみわざに
つくりかえたまえ、けがれなき身と
み国に昇りて、み顔をはいし
かぎりなく、生くるものとしたまえ


Thursday, May 19, 2011

ロオイアル・ウェデイング 2、読んだ聖書の箇所


イギリスのウィラム王子とキャサリンのラオイアルウェデイングで読んで聖書の箇所は、ローマ人への手紙12:9ー18

「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」

*私たちは、自分自らこれを実践することは出来ません。私たち一人一人自己中心だからです。創り主の前で、その罪を告白して、罪人のために死なれた主イエス・キリストを信じ仰ぐと、罪が赦すされるだけではなく、天地を創られたお方に愛されるのです。その神の愛によって、最も近い「隣人」ー妻や夫ーを先ず愛するのです。その力によって、敵でも愛するのです。

メッセージの中でロンドンの司教は、こう語りました。「ウィラムとキャサリン、私たちに与えられたイエス・キリストという方にあって、この世を愛された寛容な神の前で、あなたがたは、結婚することを選びました。そしてこの寛容な神の霊によって、夫と妻は、お互いに与え合うのです。」


Wednesday, May 18, 2011

オラウダ・エクイアノ



5月14日(土)ジャンカー・ファミリーは、映画「アメージンググレース」を見に行きました。イギリスの国会議院ウィリアム・ウィルバフォースは、一生をかけて奴隷制度の廃止を試み、成功しました。その、”心の臓”は、イエス・キリストの驚くばかりの恵み(アメージンググレース)でした。
「もう一つ忘れられないのは、ピット(イギリスの首相)やウィルバー(イギリスの議員)に奴隷船のひどさを訴えた黒人(オラウダ)エクイアノである。。。。彼も実存の人物で、。。。。ナイジェリアの東南に位置する場所で部族長の息子として生まれた。一般的だった奴隷捕獲により彼の家族も強制的に捕まり、輸送される。自由を勝ち取りとりたいと切望し、自分の力で商売をし始め、如才ないビジネス手腕を発揮し、1766年70ポンド(現在の10,000ドル以上相当)で自由を買い取る。彼の回顧録は奴隷制度廃止運動にとって貴重な情報源となった。。。。その自伝は1789年に発行され、ベストセラーとなった。アフリカで拉致され、奴隷とされた西インドでは自力で自由民となり、イギリスに渡ったのが、激しく悪を糾弾するのでなく、静かに事実を語り、神の赦しを説いた。18世紀黒人文学のもっとも影響力ある著作である。」雑誌・アメージンググレース
オラウダ・エクイアノは、マハトマ・ガンジやキング牧師のようにイエス・キリストのマライ5:38—44からこの「激しく悪を糾弾するのでなく、静かに事実を語り、神の赦しを説いた」姿を学んだと思われている。「『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
この赦す姿勢は、主イエス・キリストの十字架から生まれたのです。エクイアノ自身が十字架によって罪赦され愛され、その恵みに生きていてから、このように「激しく悪を糾弾するのでなく、静かに事実を語り、神の赦しを説いた」のであると思われている。

Tuesday, May 17, 2011

生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?




問1 生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?

答 わたしのからだも魂も、生きる時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしのほんとうの救い主イエス・キリストのものであることです。このお方は、ご自分の貴い血によって、わたしのすべての罪の代償を、完全に支払って下さいました。そしてわたしを、悪魔のすべての力から、救い出し、今も守って下さいますから、天にいらっしゃいます、わたしの御父のみこころによらないでは、わたしの頭からは、一本の髪の毛も落ちることはありません。そればかりか、すべての事が、わたしの祝福に役立つに違いないのです。そのため、主は、その聖霊によっても、わたしに永遠の生命を与えることを約束してくださり、これからは、わたしが、心から喜んで、主のために生きることができるようにして下さるのです。





Saturday, May 14, 2011

人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。


「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。」聖書・ルカ15:4−6

「罪人のこととなると神は黙って立ち、腕を広げて『こちらえきなさい』と言うのではない。いや、いなくなった息子を持つ父親のように、神はそこに立っているが、むしろ進んで探しに出かける。いなくなった羊を探す羊飼いのように。なくなった硬貨を探す女のように。神は出て行くーしかし、違う、神は出かけてしまわれた。だが、どんな羊飼いやどんな女よりも果てしなく遠くいかれた。神は、神であることから人間になるほど、真実果てしなく長い距離を行き、そのようにして罪人たちを探しに出かけられたのだ。」ゼーレン・キュレケゴール

「人の子<イエス・キリスト>は、失われた人を捜して救うために来たのです。」聖書・ルカ19:10


Thursday, May 12, 2011

動物園へ...


5月4日、Jon & ファミリーと愛媛のトベ動物園に行きました。

さい

カバ


Jonのファミリーは、妻Tammyとキッズー Jon LucとPeter。Tammyは友達も呼びました。

Tuesday, May 10, 2011

ロイヤル・ウェデイング1、 説教


ロンドンのイギリス国教会の司教が素晴らしい引用で説教をはじめます。「神があなたに成ってほしい存在に成って、世界を素晴らしく影響しなさい。」シエナのキャサリン

説教の途中、彼は、チョサーと言う詩人を引用して、その引用をこう説明します。「神の存在が多くの西洋から去ることに伴い、私たちは、人生の意義や幸福を人間関係において期待します。。。 これは相手にあまりにも多くの重荷を置くことです。私たちは、皆、余にも不完全です。私たちは、安心できるような愛を必要としています。」

私はこう思うのです。「私たちは、結婚相手だけだはなく、色んなものに神しか与えられないような幸福を期待するのです。早かれ遅かれ私たちは、失望するのです。さらに違う『神』を探そうとするのです。さらに、裏切られたりします。しかし、救い主イエス・キリストがいるのです。彼は、真の神なのです。私たちのために十字架で死ぬほど愛しているのです。けして私たちの期待と信頼を裏切りません。全ての希望である神から湧き出る恵みによって、私たちは、妻や夫や人々を愛し、与え仕えることが出来るのです。」

ウェデイング中の聖歌隊の歌、会衆の讃美、聖書朗読も、この福音(good news)でいっぱいでした。

説教を英語で聞いたり、読んだりしたい方は、次をクリックして下さい。メッセージを聞く 、読む 。

Saturday, May 7, 2011

映画『アメージング・グレース』


514日(土)、綾川イオンのワーナーマイカルシネマで公開されます。実話で、イエス・キリストの驚くほどの恵み(Amazing Grace)を体験したイギリス国会議員ウィリアム・ウィルバーフォーズは、一生涯をかけて奴隷の解放を貫くのです。「私は、英語ばんのDVDをもっていて、3回以上見ています。特に、日本は、今の東日本大震災があって、この『驚くばかりの恵み』を知って、多くの方が真に救われ癒されるのを心から祈っています。」ダビデ・ジャンカー

「今や、身近にさえ感じられるアメイジング・グレイス。この曲に心揺さぶられるのは、そこに深い信仰と愛とが刻まれているからでした。歌のパワーを再認識!」赤池優、ソプラノ歌手・声楽家

Trailer http://www.amazing-movie.jp/

写:高瀬キリスト教会&マイ・ネーバー・イングリッシュ・スクールにあるポスター


Thursday, May 5, 2011

Jon's family と hotdogs


ジャン兄と家族が5つ日間、私たちの家に泊まって下さいました。ジャン兄が分かりやすい福音のメッセージを教会でして下さりました。礼拝後、ジャン兄ファミリー&木村(奈帆)の親戚とおいしいホットドッグを食べました。

Wednesday, May 4, 2011

オサマ・ビン・ラディン


オサマ・ビン・ラディンの殺害を「U.S.A.! U.S.A.!」とお祝いしたアメリカ人は多かった。Yahoo News 私自身は、正義が行われたことが良かったと思うが、心の中でビン・ラディンであっても、人の死を喜ぶことは出来なかった。キリスト教の代表的な雑誌World MagazineとChristianity Todayも同じことを書いた。死を討論する[WORLD Magazine | Debating the death | Mindy Belz | May 03, 11](写)とオサマの後のイスラム界との対話 [Engaging the Islamic World After Osama | Christianity Today]。

神学者D.A. Carlsonは多発テロ時間の後、間もなくこう書いた。「彼は悪人で、止められなければなりません。しかし、彼は(それでも)人間であって、彼が滅ぼされること喜んではならない。復讐は主(天地を創られた神)のみのものである。『私たは、ビン・ラディンの死を嘆くべきか?それとも、彼の暴力的悪意を妨げるべきか?正しい答えはYes。』(両方です)” アメリカを代表する牧師マーク・ドリスコルやジョン・パイパーも、似たことを書いた。ブッシュ元大統領も、彼は、ビン・ラデインの死を特に喜んでいない、と言いました。なぜなら、憎しみのためではなく、正義のために行った、とワシントン・ポストにありました。

聖書は、神や人間の正義を語りながらも、悪人の死を喜ばないことを語っている。聖書・箴言24:17「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。」


聖書・エゼキエル18:23「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。‐‐神である主の御告げ‐‐彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」


Monday, May 2, 2011

「やっぱり天罰だと思う」石原慎太郎




東京都知事石原慎太郎は、不思議なことを発言しました。「被災者の方々はかわいそう」と言いながらも、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」3/11の大震災の「三重苦」〜9.0の地震、津波の破壊と原発の放射能〜を体験している東日本と福島、宮城と岩手の方に対する信じがたい発言です。しかし、ニューヨークの9/11の多発テロ事件の時も、変な発言が出ました。あるジェーリー・ファーウェルと言う牧師は、妊娠中絶者(abortionists)、フェミニスト、同性愛者の罪が9/11の悲劇を促した、と発言しました。
私たちは、リンカーン、キング牧師、マザーテレサを尊敬していますが、彼らを一番影響した方—イエス・キリストに聞くべきです。イエス・キリストが、災難にたいして何を言ったかを聖書のルカ13:1−5で見たいです。
聖書に入る前に、私たは、石原やファーウェルに聞きたいですが、「そこまで言う権利はどこから来るんですか?あなたは神の側近ですか?」私は、こう感じます。彼らは、自分の位にのぼせているのではないでしょうか?
イエス・キリストの言葉に耳を傾けましょう。ある人たちがやって来て、イエスにある報告をしました。「ピラト(エルサレムにいたローマの総督)が(イスラエルの北部にいた)ガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげる(宗教的な)いけにえに混ぜた。」このようにして彼らを殺しました。ピラトは、悪いこともしていない人に、逆に宗教的なことをしていた人に対して残酷なことをしました。人的災害ですね。
それにたいして、イエスは彼らにこう答えました。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」ガリラヤ人は、他の人よりも悪いから、悪いことが起こったのではありません、と言っているのです。逆にイエス・キリストは、こう皆に適用します。「全ての人は、罪人で、創り主なる神の前に立つ時が来ます。ですから、あなたは、悔い改めなさい。」
強調するために、イエス・キリストは、もう一つの例を語ります。「シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」この災害にあった人がより悪いから、災害にあったのではないのです。逆に、イエス・キリストは、いずれ神の前に立つ全ての人に「悔い改め」を命じているのです。
石原は、特に、東北の人が悪いから、「天罰だ」と言っているわけではないのです。それだったら、なぜより悪がある東京にいわゆる「天罰」はこなかったのか?と問えます。彼は、「日本人(皆)のアイデンティティーは我欲」だと言っているのです。しかし、石原と違ってイエス・キリストは、日本にこう言うでしょう。「東日本大震災があって、日本人は、他の国の誰よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
日本は、北朝鮮より悪いのでしょうか?より悪い人に「天罰」が落ちるなら、金正日のような独裁者の上に落ちるはずです。この独裁者は、日本人などを拉致したり、核をつくったり、何万のクリスチャンを殺したり、自分の国民を餓死させたりしています。日本人だけではなく、「全ての人は罪を犯したので、神の栄誉を受けることが出来ない」と聖書は言っているのです。アメリカ人も、北朝鮮人も、韓国人も、中国人も。全ての人は、神の前に立つのです。ですから、一人残らず、いわゆる『道徳的』な人も、悔い改めなければならないのです。
でも「悔い改め」は、なじみのない言葉です。どういうことでしょうか?「悔い改め」は、主に「考えを変える」と言う意味がるのです。原子力発電所などのエネルギーについて「考えを変える」必要があるそうです。そのように、私たちは、神について、罪について、イエス・キリストについて「考えを変える」必要があるのです。
豊臣秀吉のキリスタン禁令の時から、日本は、国として、聖書、イエス・キリストを「鎖国」して来ました。今の日本の『建前』は鎖国していないと言います。宗教の自由があると言います。しかし、『本音』は鎖国しているのです。今日本は、個人として、家族として、国として、聖書とイエス・キリストに対する鎖国を解除する時です。「平成の開国」が必要です。主イエス・キリストを受け入れる時が来ました。
「天罰」と言うと聖書は、異なった「天罰」を教えています。それは、イエス・キリストの十字架です。十字架が教会の中心にある理由があるのです。それほど大事です。でも、それは、「天罰」を意味しています。全ての人は、自分の罪のゆえに、「天の罰」—永遠の裁きーを受けなければなりません。なぜなら、人は、天を創られた神を心を尽くして愛していないし、隣人を自分のように愛していません。私たちは、極めて自己中心です。そのゆえに、神からの正しい罰を受けなければなりません。しかし、神は、人となられました。イエス・キリストです。罪のないイエス・キリストは、十字架上で、人の罪を自分の身に負い、代わりとなって、裁かれ、「天罰」を受けたのです。「神は、罪を知らない方(イエス・キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」聖書・2コリント5:21 私たちは、恵みのゆえに、罪を悔い改め、イエス・キリストを信じ仰ぐことによって、神の裁きと「天罰」の対象ではなく、神の愛と祝福の対象になるのです。
そうです。神は、人間に、「天罰」ではなく、イエス・キリストとその十字架によって、悔い改めと信仰によって、祝福を下さるのです。そのようにして、祝福された私たちは、人を、敵であっても、祝福するのです。その人を愛し、その人のために祈るのです。
写:宮城県、石巻市、荻浜町。