Friday, October 30, 2009

Detroit Pistons and Jesus


今週、NBAバスケットボールがはじまりました。私は、小学生のころからバスケットが好きで、プレーしたり、見たりしました。私は、東京生まれの信州育ちですが、アメリカの’古里’は、母の古里デトロイトです。そうです。NBAデトロイト・ピストンズの本拠地です。'Bad Boys'以前から応援していました。その'Bad Boys'から、現在のピストンズ社長Joe Dumarsが来ました。彼が'Dumars Magic'で、ピストンズの三回の優勝に、メンバーとして、また社長として鍵となって来ました。

その前に、私と同じ名前のDavid Robinsonについて少し話したいと思います。一回、彼がデトロイトのThe Palaceに来た時のプレーを見に行きました。彼は、最近、9月11日、マイケル・ジョーダンのと一緒にNBAの殿堂入りを果たしました。かつでスパーズを2度のファイナル制覇に導いたロビンソンは観客席に座っていたコーチ達、teamateや、奥さんや家族に感謝しました。最後に、主イエス・キリストに感謝しました。

主イエス・キリストは、彼の全てです。ロビンソンは、これを子供の時から知ったいたのです。聖書・ローマ5:8 「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」『その日、キリストは私にとって本当の人となったのです。私は我がままでした。全てが'me, me me’でした。どのくらいお金がもうかるか?全てがDavidの誉れ、Davidの栄光でした。神様が私のために何をして下さったかを止まって考えて、誉めた讃えたことはなかったのです。その真実に打たれ、その午後何時間も泣きました。その日、私は罪から救われました。』同じ頃、奥さんとなる、Valerieも救われました。ロビンソンにとって、先ずイエス様が先で、家族、その後にバスケットだ、言いました。現在、NBA引退後「ロビンソンはサンアントニオにとどまり、恵まれない子供たちが教育を受けられるようにカルバー・アカデミー(私立小学校)を創立し、地域の教育に力を注いでいます。ロビンソンは言っています。「選手時代から見ている人は知っているように、私にとっては、こうやってコミュニティに交わり、コミュニティに貢献できるということは、コート上で達成したことと同じぐらい重要なことなのです」

私のデトロイト・ピストンズにイエス・キリストを愛する新人が二人が来ました。Ben Gordon(ベン・ゴードン)は、シカゴブルスで活躍した選手でした。彼は、このように聞かれました。 Q。「あなたは、よく神の計画(God's plan)と言う言葉を使います。それはどこから来ますか?」 A。「私は、若い時、教会で多くの時間を過ごしました。毎日の出来事は、私たちのための神の計画であるとを常に感じて来ました。」ベンにとって、神様との関係が大事なのです。彼のバスケットの才能は、神の賜物だと信じ、それを腕の入れ墨(tatoo)に刻んであります。ベンが天使の前でひざまずいて、ボールを渡されています。

もう一人は、Charlie Villanueva (チャーリー・ビラヌエバ)もイエス・キリストの恵みを体験して、聖書・1テサロ二ケ5:18「すべての事について、感謝しなさい」をホームページの上に掲げています。

聖書・1コリント12:711も彼の好きな言葉だそうです。「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊(神様)の現れが与えられているのです。ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです.」ベンと似て、チャーリーは、自分のバスケットの賜物も神様から来ていることを告白しています

多くのバスケット評論家は、ピストンズの活躍をあまり期待していないようです。しかし、私は、5割以上のteamであると思います。また、それ以上を期待しています。ベンとチャーリーがteamに来て、オフェンスはトップレベルになりました。またデイフェンスが疑問視されています。しかし、最近のGrizzliesとの試合は、96対74で、74点に押さえました。私は、多いにピストンズに期待しています。You can do it!

Tuesday, October 27, 2009

「空の空」(7)


聖書・伝道者の書 3:1-11「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」

私たち、日本人とアメリカ人は、次の二つの点で非常に似ています。両国民は、教育熱心で、勤勉であります。日本では、西洋文化が入る前から寺小屋教育がありました。アメリカでは、どんな僻地であっても、それなりのホームスクーリングをやったり、‘大草原の小さな家‘のように、教会で学校を開きました。‘Protestant Work Ethic’(プロテスタント仕事道徳)がアメリカの経済を支えて来ました。また、日本人は、「仕事まじめ」や、「働き蜂」として世界中で知られていす。

しかし、ソロモン王は、両国の考えに待ったをかけています。「『これもまたむなしい』と。」上の文書でこう書いてあります。「働く者は労苦して何の益を得よう。」あまりにも目の前の仕事や教育に夢中になり、「創り主」を含める、より大事なことを忘れているのだ、と語っているのです。毎日の歩みの中で他にも大事なことが多くあることや、『永遠』の真実を忘れているのです。

ですから、ソロモン王は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。。。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」」仕事や、教育だけではなく『すべて』です。ソロモン王は、すべてを言い尽くしていないと思いますが、どのようなものが『美しい』か教えて下さいます。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。

くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。

嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。

抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。

保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。

黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。

戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

確かに「すべて時にかなって美しい」が、「神はまた、人の心に永遠を与えられた」と書かれています。私たち人間は「神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」が、目の前の良いこと〜 仕事や、教育、また他に多くの大事なこと〜 に捕われないように注意を呼びかけています。創り主の「永遠」の角度から、教育、仕事、あらゆるものを見るようにソロモン王は勧めているのです。

小畑進牧師はこう書いています。「いままでの見かたは、実は裏であった、と、ひっくりかえします。刺繍(ししゅう)の裏・綴織(つづれおり)の裏は糸目のあまりがグジャグジャして何の模様かわからない。滅茶苦茶になっていて。しかし、ひっくりかえして表を見れば、見事な錦を織り出しています!。。。神います、神わが人生の一日一日をみそなわしたもう、いつくしみの神すべたもうと知るや、俄然(がぜん)あれもこれも意味をもち、美しい模様となっていました。。。どうせ、誰も見ていない人形の首ふりのような人生よーと思っていたものが、実は神のみそなわしたもうところ、その御意の中でのことと知る時、あぁあの時泣いたこと、あの時笑ったこと、あそこで生まれたこと、あそこであの人に出会ったこと、あの時、あそこで別れたこと、あの病いに倒れたこと、そして、ここで死ぬことーー一切が神のいつくしみの御手の中にあってのことであった。あれで良かった。時にかなっていた!美わしい人生の一齣(こま)であったとたしかめられたのです!「神」の一文字入っての逆転劇でした。刺繍の裏と表!。。。神を知った時、信じた時、乱脈混沌に見えた人生は姿を整えました。『どうせ、暫く浮いて消え去る泡沫のような俺の人生よ』ときめていたものが、神にいつくしまれ、生命がけで愛されていたと知ったのです!。。。」

ヨハネ3:16 「神は、実に、そのひとり子<イエス・キリスト>をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

仕事や、教育にただのめり込むと「むなしい」です。家族や、他のものも大事です。しかし、仕事や、教育を「永遠」と「神」の角度から見ると、すべてに永遠の意義があるのです。


Monday, October 26, 2009

ピーナッツの戦い!


次男のシェーンが私に面白い誕生日プレゼントを下さいました。ピーナッツが戦っています。ピーナッツの顔や、よろい(かわ)が見えますね。枝が剣です。私は、親ばかですが、”idea”が良くて、上手だと思います。

Sunday, October 25, 2009

哲学をあざける


"To scorn philosophy is truly to philosophize." Blaise Pascal

「哲学をあざけることが真実に哲学をすることである。」ブレーズ・パスカル

Friday, October 23, 2009

Happy Birthday to Me!


奈帆<家内>は、私の10月21日の誕生日のためにランチ・デートを考えて下さいました。高瀬町のすし遊館でおごって下さいました。その後、三豊市Youme Townのサーテーワン・アイスクリームでJamoca Almond Fudgeを食べました。「奈帆、楽しかった!Thank you for being my wife!」:)プレゼントお待ちしています。

Tuesday, October 20, 2009

映画 ”十戒”


Cecile B. DeMille's Ten Commandments

十戒は、私が生まれる一年前(1956年)に制作されましたが、とても良く出来ている映画です。チャールトン・ヘストン(モーセ)とユール・ブレンナーが主役です。聖書の出エジプト記を忠実に再現しています。レナード・マルテンが「ムビー&ビデオガイド」でこう書いています。『簡潔な語り口が最高。』

私が一番好きな出エジプト記の聖書の言葉は、神(創り主)が自身のことを"I AM WHO I AM"(英語)と明らかにする言葉です。ヘブライ語で’ehyeh、'日本語で『わたしはある』と訳されています。「わたしは自分自ら存在する者」また「わたしはあらゆる存在の根源である」とも訳せるそうです。他の神々と違って本当に永遠から永遠まで存在し、神の民を愛し、あがない、救われる、真実な約束を守る神である、と言う意味が含まれています。十戒の映画で唯一の神は、国々と自然を治める神、民を力強く救われる神、また聖い神として素晴らしく画かれています。この方は、本当にいて、イエス・キリストを通して、あんたを’touch'(触れることが)出来ます。

ぜひ見て、聖書を読んで、教会に行ってみて下さい。

Friday, October 16, 2009

心の傷の真の癒し


クリスチャンアーテイスト森祐理(写:高松で歌う。)は、関東大震災で弟を亡くしました。しかし、教会のお葬式で弟の顔を眺めていた時「お姉ちゃん、俺、死んでへんで。俺、もっといいところ天国に行ったから心配するな」と心の中で弟の声が聞こえました。心の傷が癒された祐理さんは、苦しんでいる人に歌を通して心の傷が癒されるように努めて来ました。

祐理さんは、こう書いています。「どんなに共に歌い、泣いても一時的な慰めにしかすぎません。聖書には、神様が傷を癒して下さると書いてあります。精密な機械や工芸品が壊れた時、その製作者のところに持って行かなければならないように、私たちの命と心をつくられた神さまのもとに行くことが、心の傷の最高の治療法だと思います。」

聖書・1ペテロ2:24そして<イエス・キリスト>自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』


「優しさのとびら」(Amazon)Word of Life Press, ¥2,940