Tuesday, October 27, 2009

「空の空」(7)


聖書・伝道者の書 3:1-11「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」

私たち、日本人とアメリカ人は、次の二つの点で非常に似ています。両国民は、教育熱心で、勤勉であります。日本では、西洋文化が入る前から寺小屋教育がありました。アメリカでは、どんな僻地であっても、それなりのホームスクーリングをやったり、‘大草原の小さな家‘のように、教会で学校を開きました。‘Protestant Work Ethic’(プロテスタント仕事道徳)がアメリカの経済を支えて来ました。また、日本人は、「仕事まじめ」や、「働き蜂」として世界中で知られていす。

しかし、ソロモン王は、両国の考えに待ったをかけています。「『これもまたむなしい』と。」上の文書でこう書いてあります。「働く者は労苦して何の益を得よう。」あまりにも目の前の仕事や教育に夢中になり、「創り主」を含める、より大事なことを忘れているのだ、と語っているのです。毎日の歩みの中で他にも大事なことが多くあることや、『永遠』の真実を忘れているのです。

ですから、ソロモン王は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。。。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」」仕事や、教育だけではなく『すべて』です。ソロモン王は、すべてを言い尽くしていないと思いますが、どのようなものが『美しい』か教えて下さいます。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。

くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。

嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。

抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。

保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。

黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。

戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

確かに「すべて時にかなって美しい」が、「神はまた、人の心に永遠を与えられた」と書かれています。私たち人間は「神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」が、目の前の良いこと〜 仕事や、教育、また他に多くの大事なこと〜 に捕われないように注意を呼びかけています。創り主の「永遠」の角度から、教育、仕事、あらゆるものを見るようにソロモン王は勧めているのです。

小畑進牧師はこう書いています。「いままでの見かたは、実は裏であった、と、ひっくりかえします。刺繍(ししゅう)の裏・綴織(つづれおり)の裏は糸目のあまりがグジャグジャして何の模様かわからない。滅茶苦茶になっていて。しかし、ひっくりかえして表を見れば、見事な錦を織り出しています!。。。神います、神わが人生の一日一日をみそなわしたもう、いつくしみの神すべたもうと知るや、俄然(がぜん)あれもこれも意味をもち、美しい模様となっていました。。。どうせ、誰も見ていない人形の首ふりのような人生よーと思っていたものが、実は神のみそなわしたもうところ、その御意の中でのことと知る時、あぁあの時泣いたこと、あの時笑ったこと、あそこで生まれたこと、あそこであの人に出会ったこと、あの時、あそこで別れたこと、あの病いに倒れたこと、そして、ここで死ぬことーー一切が神のいつくしみの御手の中にあってのことであった。あれで良かった。時にかなっていた!美わしい人生の一齣(こま)であったとたしかめられたのです!「神」の一文字入っての逆転劇でした。刺繍の裏と表!。。。神を知った時、信じた時、乱脈混沌に見えた人生は姿を整えました。『どうせ、暫く浮いて消え去る泡沫のような俺の人生よ』ときめていたものが、神にいつくしまれ、生命がけで愛されていたと知ったのです!。。。」

ヨハネ3:16 「神は、実に、そのひとり子<イエス・キリスト>をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

仕事や、教育にただのめり込むと「むなしい」です。家族や、他のものも大事です。しかし、仕事や、教育を「永遠」と「神」の角度から見ると、すべてに永遠の意義があるのです。