Friday, November 12, 2010

綾川教会


11月8日(月)、綾川教会の献堂式が行われました。家内と二人で参加しました。イエスの御名によって、綾川教会、綾川地域、高松に、神様の恵みが豊かにありますように。「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」聖書・エペソ3:20、21 *奈帆は、写真の左下です。


Thursday, November 11, 2010

キリスト者は....


キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服しない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。」マルテンルター

映画「ルター」(Luther) 残念ながら、日本語にはなっていません。


Wednesday, November 10, 2010

ハレルヤコーラス


アメリカにいる私の親友、Ken Matsuda がこの素晴らしい音楽の情報を送って下さいました。

San Francisco Chronicleによると、10月30日、アメリカのフィレデルフィアの高級デパートのメイシーズで突然メサイア(ヘンデル)のハレルヤコーラスが650人以上の方によって歌われました。欧米では、ハレルヤコーラスは、アメージンググレースに次いで有名な作曲です。私は、涙が出るほど感動しました。Please listen. YouTube - Opera Company of Philadelphia "Hallelujah!" Random Act of Culture.

イエス・キリストを讃える歌です。歌詞は次の通りです。

ハレルヤ、全能であり、私たちの神である主、アレルヤ!
この世の国は、我らの主と、そのキリストのものとなった。
主は世々限りなく統治される。ハレルヤ!
「王の王、主の主」主は世々限りなく統治される。ハレルヤ!

もっと詳しくはハレルヤ・コーラス

Sunday, November 7, 2010

日本の高齢化


昨日、私たちは、老人ホウムを尋ねました。子どもたちに「弱い人を助ける」ことを学べるように行きはじめました。しかし、寂しい年老いた方は、子どもたちあうことがとても嬉しいので、私たちは、定期的にいきはじめました。上の方は、私たちを見ると目が光り、出来るだけ多く尋ねるように、と言って下さいます。

ご存知のとおり、日本は、高齢化しています。人々は老人ホームであまり働きたくないようですし、早く止めたりするようです。なぜなら、仕事がハードで、賃金は低いのです。教会が日本の社会に仕える一つ大事な道は、このようなホームを尋ねるだけではなく、ホームで働くことです。キリストの慈愛に動かされて、この尊い方に仕えることが出来、キリストの栄光を表すことが出来ます。

「皆に、必要とされないこと、愛されないこと、顧みられないこと、忘れられることは、何も食べられない人よりも、より大変な飢餓、より大変な貧困である。」マザー・テレサ

"Being unwanted, unloved, uncared for, forgotten by everybody, I think that is a much greater hunger, a much greater poverty than the person who has nothing to eat." Mother Teresa

日本の高齢化の現状と課題を読んで下さい。


Saturday, November 6, 2010

「空の空」 12


「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。財産がふえると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。

母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」聖書・伝道者の書5:10ー20


ある方は、残念ながら、今も、バブルが崩壊した後でも、富みによって、幸福を得ることが出来ると思っているのです。本当にお金を得て、本当に幸福になれると思うのでしょうか?富の限度が分からないのでしょうか?富が自分を救えると思うのでしょうか?富みを愛することによって、失望している人が多くいるのではないでしょうか?

金銭を「愛する者」は、どうなるのでしょうか?その悲しい結果がソロモン王によって記されています。「。。。収益に満足しない。。。財寄食者もふえる。。。安眠をとどめられる。。。富が、その人に害を加える。。。」「これもまた、空しい」とソロモンは嘆くのです。「全ては空。。。空の空」です。富や金銭を貪る(むさぼる)ことを含めて。

「いったい、どっちが主人なのか、という。」富を貪っている人が主人なのか?人を滅ぼしている富が主人なのか?自分がコントロールすべき富みは、自分をコントロールしているのです。

ハワード・ヒューズは、20世紀を代表する大富豪として知られ、「地球上の富の半分を持つ男」と言われました。彼の残した財産は、天文学的な数字でありました。天才的な大富豪として富と名声を得たましたが、その晩年は孤独でありました。彼は、麻薬に取り付かれ、細菌恐怖症になりました。悲劇ですが、彼は、孤独の中に死んでいきました。死んだ時、190センチあった体は、45キロでした。富は、幸福を与えることは出来ないのです。富を貪るヒューズのような「人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り」にある、とソロモン王が書いています。

富の意味と本質をわきまえなければならないのです。富には限界があるのです。人間は、富によっては救われません。ですから、ソロモン王は、こう書いています。「痛ましいこと」ですが、「自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて<あの世へ>行くことができない」のです。「裸」で「母の胎から出て来たときのように」、「裸で。。。<あの世へ>去って行く」のです。

エジプトのパラオ、中国の陛下とインカの王のお墓を考えさせられます。彼らは、皆、「裸」で生まれました。しかし、お墓の発掘によって分かることは、その国々の君主は、“あの世”へ富みを持っていける、と思っていたことです。その君主と共に墓には、“あの世”で仕えると思っているものが多く置かれていました。ある墓には、共に生き埋めされた妻や召使いの遺体もありました。悲しいです。いや、聖書は、「空しい」と断言しています。富は、あの世へ持っていけないのです。

富をあの世へもっていけないので、労苦や富の意義と本質を良く考えなさい、と言うことです。『富は一時的なもの』であることを考えもしないで、ただひたすら労苦にのめりこむのは空しいのです。正に、「骨折り損のくたびれ儲け」です。しかし、真に神の栄光のためになら、隣人愛のためになら「骨折り得(とく)の天国儲け」であります。

富と労苦を含めて、全ては「神の賜物」であります。『神』が許している、『神』が与えている、と実感すると、真の「好ましさ、。。。幸せ、。。。楽しみ、。。。喜び」があるのです。「まさしく、今、自分から神を仰ぐ目を落としたとしたら、人生に目的が全く無いことに驚く。神むくいたもうと知らなければ、労働は苦痛のみ。『骨折り大損のくたびれ大儲け』となるばかり。神統(す)べ治めたもうと知ることなければ、世界も、宇宙も、無意味、無意義。ましてや神なくんば宗教などナンセンスよ。。。。神という一枚のカード抜きでは世界も人生も空の空の風が吹き抜ける。神を神とする時、一切をみそなわす神あって、富の何たるかをわきまえ、労働の価値を知り、人生の秘義を解して、宗教の醍醐味(だいごみ)を味得する、という境地でしょうか。」小畑進。「神を神とする時」極めて恵み深いお方を知り、富みに勝る富と宝を知るのです。

私たち人類は、富を通して自分を救おうとしているのです。働いて自分が得たと思っている富を通して自分の価値を見いだし、人の賞賛を自分のものにしようとしているのです。しかし、富は、消えていくのです。富は、この世であっても人を救えないし、もちろん「あの世」であっても救えません。

真の救い主は、唯一、主イエス・キリストです。イエスは、十字架上で私とあなたのような罪人の身代わりとなったのです。十字架上でイエスは、人の罪を負って裁かれ、それによって人は救われるのです。「むなしい生き方から贖い救い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、。。。キリストの尊い血によって贖い救い出されたのす。」聖書・1ペテロ1:18 イエス・キリストは、金銭によって買えない真の幸福を、自分の命を十字架上で代価にして、人々のために勝ち取ったのです。

イエス・キリストの十字架の恵みを心(しん)に知ると、富から解放され、富を手放し与えることが出来はじめるのです。富が来た源—神—へと帰すのです。隣人に、特に貧しい人々にまわすのです. 聖書・ガラテヤ2:10貧しい人たちをいつも顧みるように」とあります。神を無視し、富を握ると、全て失うのです。富を手放し、イエス・キリストの尊い恵みを握ると、与えることが出来、真の富、天そのものを喜べるのです。<写真:クリック>


Friday, November 5, 2010

Mrs. Mari Ando


私たちの家の家主、安藤マリさん、は、横浜から高瀬の家を’チェック’しに来ました。高瀬教会のはじめの洗礼にも他の方とともに立ち会って下さって、イエス・キリストによる救いの体験談もして下さいました。また、安藤さんと付き添って私たちは三豊市の横山市長にもあいました。写真では、家内の奈帆と安藤さんは、近くのJAマーケットで、横浜に送るためのフルーツを見ています。

安藤さんがこの家を無料で教会と英会話学校のために使わせて下さっていることを心から神様に感謝しています。

Wednesday, November 3, 2010

神の国を先ず求める。。。


「愛、親切、理解、平和の”支援金”*を集めるようによりさらに主張しましょう。神の国を先ず求めるなら、お金など他のものは与えられます。」マザー・テレサ

”Let us more and more insist on raising funds of love, of kindness, of understanding, of peace. Money will come if we seek first the Kingdom of God - the rest will be given.” Mother Teresa

*マザー・テレサが言っていた「愛、親切、理解、平和の”支援金”」は、先ずお金ではなく、愛、親切、理解、平和の心と行動である。キリスト者が「神の国」(創り主の心と御支配)を実践的な愛を通して前進させるなら、貧しい人たちに施す必要なものと支援金は与えられると確信していた。また、キリスト者個人の必要なものも与えられる。マザーはイエス・キリストを引用していた。「だから、神の国とその義とを先ず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられる。」聖書・マタイ6:33

Time CNNのマザー・テレサの働きの写真集を見て下さい。Mother Teresa's- Photo Essays - TIME