Wednesday, February 8, 2012

満濃キリスト教会


今週の日曜日、私は、満濃キリスト教会で1ペテロ1:18−21からメッセージしました。
知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」聖書・1ペテロ1:18−19。
『忠臣蔵』でも、内匠頭のために内蔵助が死ぬことはあっても、内蔵助のために内匠頭が死ぬことはない。義経のために弁慶が死ぬことがあっても、弁慶のために義経が死ぬことはない。第二次世界大戦中、天皇陛下のために死ぬことを光栄とし、「天皇陛下萬歳」を唱えて、兵卒は死にましたが、天皇は一兵士のために死にましたか?
「どうせ、わがごとき奴輩のためには、猫の子一匹死んではくれまい。どこかで野垂れ死によ。。。」小林一茶
それなのに、それなのに、それなのに、こんな小さな者のために内匠頭どころか、義経どころか、天皇陛下どころか、宇宙の創造主である三位一体の神の「御子なる神」が生命を捨てるなどということを誰が思ったことでしょうか?
「こんな毛虫野郎のために、ほかの誰でもない御子なる神ご自身が生命をささげたもう。」小畑進牧師