Saturday, January 2, 2010

初めに言葉。。。


「初めに言葉(ことば)があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」聖書・ヨハネ1:1

Comment。。。

この年の『初めに』とても大事な question の一つは、存在する神はどのようなお方か?ではないでしょうか。

上の「初めに」は、聖書の初めにも出て来ます。「初めに神が天と地を創造した」創世記1:1。天地創造の時に「言葉」はすでに存在していたということです。

しかし「言葉」とは何<誰>のことでしょうか?文脈のヨハネ1:14によると「言葉は人となられた」とあります。「言葉」は明らかにイエス・キリストのことです。文字どおり「初めに言葉があった」ということは、イエス・キリストは、天地創造の時にもうすでに存在していたのです。

また、「言葉」<イエス・キリスト>は、「神と共に」存在しながらも、唯一の「神であった」と書いてあります。人間の次元では、このいわゆる”矛盾”は理解できませんが、神の次元では真実で、事実なのです。イエス・キリストの信じがたい超自然的な奇跡や、復活されたことは、イエスが天地創造の神であるからこそ起こったのです。

聖書は、世界の他の本と比較できないほどのベストセラーなのですが、その聖書のメッセージは神であられるイエス・キリストです。世界がクリスマスというかたちでキリストの誕生を祝うのですが、クリスマスは、神が人となられた福音を告げています。イエス・キリストが神ですからこそ、イエス・キリストの生涯をポイントにして世界のカレンダーが西暦前や西暦後によって分かれているのです。

世界を最も影響した人物は、リンカーン大統領、キング牧師、マザーテレサとマハトマ・ガンジー であると言われています。彼らを最も影響したのは誰でしょうか?イエス・キリストです。キングやガンジーの無抵抗主義はイエス・キリストの「山上の説教」(聖書・マタイ5−7)から来たのです。

なぜイエス・キリストを「言葉」と表現しているのでしょうか?それは、イエス・キリストは、神を説き、語ったからであり、神御自身の啓示だからです。自然と(特に)聖書は、神を示しますが、イエス・キリストこそ創り主なる神を示し、解き明かすのです。

ということは、イエス・キリストを見ると神が分かるのです。イエスの奇跡を通して、神の力と恵みが分かるのです。その十字架を通して、神の犠牲的な愛が分かるのです。復活を通して、神の死をぶち壊す力が分かるのです。なぜなら、文字通り「言葉<イエス・キリスト>は神であった」のです。また、もちろん、今も、永遠に、唯一の神なのです。

この年の「初めに」、存在する神はどのようなお方か知ることが出来ます。何よりも、誰よりも優れている御方主イエス・キリストが真の神です。イエス・キリスト御自身が真実に「恵みと真に満ちている」ので(ヨハネ1:14)、神が「恵と真に満ちている」ことがわかるのです。

「救い主<イエス・キリスト>を探し求めなければなりません。主<イエス>は地上におられたとき、人々が御自身と交わりを持つように招かれました。そうして人々は主を知るようになり、また、主を知ることによって、父なる神を知るようになりました。。。 主イエス・キリストは、現在肉においては、われわれと共におられませんが、霊的には現在もわれわれと共におられます。われわれは依然として、主を探し求め、見出して主と交わりを持つことによって、父なる神を見出して、知ることができるのです。」J. I. パッカー

主イエス・キリストを信じ仰ぎ、十字架による豊かな「恵みと真」に預かりませんか?イエス・キリストに預かることによって、神に預かり、神の豊かな「恵みと真」に預かるのです。