Thursday, October 27, 2011

「生きる目的は何だろう?」



寝ても起きても、永井隆は、「生きる目的は何だろう?」と考えていました。彼は、色んな人の人生体験を読みましたが、心はより混乱しました。なぜなら、自分の人生ではなく、他人の人生について学んでいたからです。「私の人生は彼らの人生ではない。一人一人の人生は違うし、その意味には異なったものがある、」と永井は書きました。
彼は、織物の例えを使いました。私にとって、その織物は、複雑に見えるが、プロには簡単です。私たちの人生も、織物のように複雑で混乱しているように感じます。
永井は、熱心に哲学者を読もうと思ったが、より混乱しました。哲学者は、ものごとを難しく考える人たちのために書いてあります。ある人は、複雑でなければがっかりするのです。真実に求めている人は、このような不真実な人によって混乱します。彼は、熱心に学ぼうとしましたが、結局彼は(哲学によっては)人生は理解できないという結論に達しました。
永井はこう書きました。「しかし、私は、一人で人生について考えれば考えるほど、誕生と人生と死は率直(英:straightforward、まっすぐ、正直、単純)であるはずだし、そうであるべきである、と感じはじめました。」(英文:Yet the more I thought about it by myselfthe more I began to see that birth and life and death can be and should be straightforward.
「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」イエス・キリスト、聖書・マルコ10:15