私たちキリスト者は、次を模範にしたいです3世紀、疫病が大発生した時、教会の指導者Dioysiusはこう書きました.「私たちのキリスト者の兄弟たちは、自分を惜しみなく捧げることによって、計り知れない愛と忠誠を現しました。。。危険を顧みず、病人の管理をし、全ての必要に対応し、キリストにあって彼らに仕えました。。。多くが、他の人をケアすることによって、その人の死を自分に移し、彼らの代わりに死にました。」*
最後の文書に注目したいです。「多くが、他の人をケアすることによって、その人の死を自分に移し、彼らの代わりに死にました。」この文書によって、私たちは、主イエス・キリストとその十字架を覚えさせられます。当時のキリスト者は『主は、私たちの罪をその身に負い、十字架上で代わりとなって、死なれました。主の死によって、私たちは、命をいただきました、』と確信していたでしょう。21世紀にいる私たちキリスト者は、東北の被災者の為に、キリストの犠牲と模範によって、3世紀のキリスト者を模範にして:祈り、献金と自分を捧げるのです。「Amazing Grace 」(驚くばかりの恵み)を体験した私たちは、その恵みを示すのはあたりまえのことです。
聖書・エペソ5:1 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、[十字架上で]ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになったように、愛のうちに歩みなさい。」
写:CRASH Japanは、すでに具体的に東北に物資を輸送しています。
* 英文:"[During the great epidemic] most of our brother Christians showed unbounded love and loyalty, never sparing themselves... Heedless of danger, they took charge of the sick, attending to their every need and ministering to them in Christ... Many, in nursing the curing others, transferred their death to themselves and died in their stead... Dioysius, Bishop of Alexandria (around 260 AD)