ロンドンのウェンブリー・スタジアムでさまざまな音楽グループが南アフリカの変化をお祝いして集まっていた。そしてどういわけか、興行主は出し物の最後にオペラ歌手のを予定していた。
十二時間もの間、「ガンズ・アンド・ローゼス」のようなグループが、すでに酒や薬でハイになっているファンを騒動の渦に巻き込んでいた。群衆はカーテン・コールを求めて叫び、ロックグループがそれに応えていた。
アメージング・グレース(驚くばかりの恵み、何と甘美な調べよ)をついに彼女(ジェシー・ノーマン)が歌う時がきた。舞台の上を歩いてゆくノーマンを一条の光が追う。流れるようなアフリカの民族衣装ダシーキを着た、堂々たるアフリカ系アメリカ人女性だ。バックバンドもなければ音楽もない。ジェシーだけである。群衆は落ち着かず、ざわざわしている。オペラの主演女性歌手が現れたことに気づいている者はほとんどいない。「ガンズ・アンド・ローゼス」を叫び求める声。それと同調する声。険悪なムードになっていく。
ジェシー・ノーマンがひとりアカペラで、非常にゆっくりと歌い始める。
わたしのような破滅した者を救うとは!
私はかつては失われたが、今は見いだされた
目が見えなかったが、今は見える
その夜、驚くべき出来事がウェンブリー・スタジアムで起こる。声をからした七万人の観衆が、ノーマンの恵みのアリア(詠唱)の前に静まり返ったのである。
ノーマンが二番の歌詞「私の心に恐れを教えたのは恵みであり、恵みが私の恐れを静めた」を歌うことは、このソプラノの歌声に群衆はすっかりとらえられている。
三番の「恵みが私をこれまで守り、やがて私を故郷に導く」を歌うことには、遠い記憶のかなたにあったものをたぐり寄せながら、懐かしい言葉を思い出しながら、数千人の観衆がいっしょに歌っている。
私たちがそこで一万年いて
太陽のように輝くときも
最初のときと同じく
日ごと神をたたえて歌うだろう
ジェシー・ノーマンは後に告白している。その夜どんな力がウェンブリー・スタジアムに降りてきたのかわからない、とある人は言う。私にはわかる。世界は恵みを渇望している。恵みが降りてくるとき、世界はその前に静まり返るのだ。
*この賛美歌<アメージング・グレース>は、粗野で残酷な奴隷商人ジョン・ニュートンによって書かれたものだ。船から海に投げ出されそうな風のまっただ中で、ニュートンは初めて神に向かって叫ぶ。彼が光を見るようになったのは本当に少しずつで、回心してからも商売に励んでいた。彼は奴隷の船積みをアフリカの港で待つ間に、「イエスの御名はなんとうるわしいことよ」という歌を書いた。やがて仕事を捨てて牧師になり、奴隷制に反対するウィリアム・ウィルバーフォースの運動に加わる。ジョン・ニュートンは、自分がかつて陥っていたあの深みを決して軽視することがなかった。恵みを絶対に軽視しなかった。「私のように破滅した者を救うとは」と書いたとき、真実、そのとおりの意味で書いたのである。。。ニュートンは、奴隷たちが歌っていた古い調べを借用し、彼が(キリストによって)贖われたのと同じように、その歌を贖った(よみがえらせた)のかもしれない。
フィリップ・ヤンシー、この驚くべき恵み
Let's listen to Amazing Grace by Jessie Norman. <ジェシー・ノーマンによるアメージング・グレースを聞きましょう。>