Thursday, February 25, 2010

神の愛 (1)


2010.2.14、高瀬キリスト教会 
1コリント13

浜島敏師

聖書・1コリント 13章 「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」



今日は214日ですね。214日といえば何の日でしょうか。バレンタインデーです。ところでバレンタインデーというのは、どんな日ですか。女の人が好きな男の人にチョコレートを渡す日になっていますね。これは、実は日本や韓国、そして台湾などの習慣であって、ヨーロッパなどではちょっと習慣が違っています。それを今日お話する時間はありませんが、バレンタインってなんでしょうか。 



今から1750年ほど前のことです。ローマの法律では兵隊さんの結婚を禁止していました。結婚すると奥さんのほうが大事になってしまって、あまり真剣に戦争をしなくなってしまうからです。それで、バレンタインというキリスト教のお坊さんが、愛しあっている人が結婚できないのは不幸だと思って、秘密に結婚させていました。それが分かってしまって、269214日に彼は処刑されてしまいました。それ以後、愛しあう人たちは、バレンタインが殉教した214日を大切な日とするようになったということです。男でも女でも愛する人に手紙とちょっとした贈り物をするのが習慣になりました。それが日本に伝わって、女の人が男の人にチョコレートを上げる日になったというわけです。 



こういう話もあります。司祭として家の庭にある楓の葉に愛のことばを自分の教会の信徒あてに送り続けたため、それに倣って、愛のメッセージをみんなが送るようになったということです。 



「愛」にちなんだ日がこのようにお祝いされるのは、みんなが「愛」を求めている、愛して欲しいということの現れではないでしょうか。「愛」に飢えていると言えるかも知れません。愛がないために犯罪に走ったり、自殺する人さえあります。人は愛がないと生きて行かれないということでしょう。愛する人に裏切られて、もう愛など要らない、金があれば全てだという人もいます。しかし、私にはそれが本音だとは思いません。それは強がりを言っているだけか、あるいはごまかしているに過ぎないと思います。「たとい野菜しかなくても、互いに愛する方が、ごちそうを食べながら、憎みあっているよりはましだ」(箴言1517)と聖書も言っています。また、どんな知識があっても、どんな学問があっても、どんなお金があっても、どんなに強い信仰があっても、「愛」がなければ、無意味だと聖書は語るのです。(1コリント13

<つづく>