4月15日、四国に帰る途中、私たちは、仙台にあるサマリターンズ・パースと日本国際飢餓対策機構の支援物資の倉庫を訪ねました。
3月11日、9.0の地震が東北を直撃しました。しかし、ほとんどの死者は津波によるものでした。福島原発がその”悲劇”にさらなる不安を与えました。「三重の苦」ですね。これに立ち向かって、人々は、助けの手を差し伸べて立ち上がりました。
確かに、被災者は、祈り、食べ物、服、住まいなど必要です。しかし、これ以上に、被災者は『人』そのものを必要としています。私たちのteamと熊ちゃん(熊田牧師)は、荻浜小学校の皆さんにあったかい焼き鳥丼を用意しました。しかし、焼き鳥以上でした。誰かが私を大事に思う、誰かが遠い四国から来てくれた、外人まで来てくれた、その人格的な面がkeyでした。
私たちが愛して仕えている神は人格的な神です。イエス・キリストです。『神が人となられた』事実です。ここに大事な原則があるのです。私たちは、イエス・キリストを見て人格的な愛が分かり、それを見本にできます。キリストは、私たちの間にすみ、共に食し、人を癒し、触れました。私たちも、被災者に寄り添って、話を聞いて、仕えるのです。
しかし、私たちがどんなに”がんばって”も、私たち人間には、限度がるのです。出来ることは限られています。必要は、多すぎます。ですから、新たに聖書の福音(良き訪れ)信じるのです。キリストは、十字架上で苦しまれ死なれたのは、私たちが、私たちの人生に人格的に触れて下さるご自身神を知る、ためなのです。この方が触れて下さると、全てが変るのです。
今日、4月24日は、復活祭です。世界がお祝いします。イエス・キリストは、歴史上事実、三日目に復活したのです。イエス・キリストは、こう語っているように思います。「あなたがたは、この大震災にあって、多くの死を見ました。しかし、私は、死に打ち勝ちました。私を通して希望があるのです。」限度のある人間に神のみが出来ることを期待すると、失望します。しかし、天地を創られた神を期待すると、けっして失望に終わらないのです。希望が豊かにあるのです。
多くの方が被災者に仕えて来ました。この親切は、悲惨な状態にある人々を訪ねる人格的な神ーイエス・キリストーを物語っています。主のamazing grace(驚くばかりの恵み)を讃えます。