聖書・詩篇 131
都上りの歌。ダビデによる
主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。
及びもつかない大きなこと*や、奇しいことに、私は深入りしません。
まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。
乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります**。
イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。
*ウィリアム・クラーク師は、敬虔なクリスチャンで「大志をいだけ」と言いました。しかし、この箇所では「大きなこと。。。に深入りません」とあります。矛盾でしょうか?いや、この箇所を見ると、神の前に謙った心でその夢に望む、と言っていると思います。北海道大学にある「大志をいだけ」は、クラークの引用の全てではなかったようです。「キリストにあって大志をいだけ」と言ってようです。聖書では、謙遜と自信両方を教えています。自分の罪を知って神の前に謙り、イエス・キリストの十字架の恵みを知って前進するのです。
**「子どものようにならなければ、神の国に入ることは出来ません」とイエス・キリストは断言しました。