聖書があれば、必ず聖霊(神様)が働くというのが私の信念・信仰です。なぜなら、聖書は、神の息吹がかかっているからです。聖霊に導かれて書かれた、霊感によって書かれたということであります。原著者が聖書を執筆するに当たり、聖霊が働いて間違いなく書かせたという意味ですが、私は聖霊は常に聖書とともに働き、聖書が保存されていく過程においても聖霊は働いておられたし、また聖書が翻訳される段階においても、やはり聖霊は働いておられたと信じています。その意味では、日本語の聖書も聖霊の助けによって翻訳されたもので、間違いなく「神の言葉」なのであります。その証拠に、日本語の聖書を用いて、神様は救われる(神を知る)魂を起こして下さっているではありませんか。聖霊はまたその聖書を読む時にも働いておられます。単なる言葉の羅列としての聖書の文字に命を与え、私たちに迫ってくるのです。これを私は、「聖霊による聖書翻訳」と呼んでいます。ですから、聖書を読む時、聖霊の導きを切に求めるべきであります。
聖書は、聖霊の導きによって書かれ、聖霊の導きによって保護され、聖霊の導きによって翻訳されて私たちの手元に届けられました。その業に参加した多くの信仰の先輩たちに感謝したいと思います。それに答えるには、この聖書の真理を次の世代に伝えていく以外にありません。
今では日本では欲しければすぐ手に入ります。簡単に入りすぎて、そのありがたさに気づきません。スポルジョンという人は、「今は聖書はどこでも手に入る、しかしその大部分はほこりが積もって、呪いの言葉を書けるほどだ」と言いました。埃がたまらないように毎日聖書を開いて、聖書に親しんでいきましょう。ラブレターなんです。
続く
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