「ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。何にもまして、国の利益は農地を耕させる王である。」聖書・伝道者の書5:8−9
私たちをいわゆる“見張っている”か、“見守っている”役人がいます。しかし、彼らを“見る”のは誰でしょうか?伝道者の書5:8−9に答えがあります。
「貧しい者」すなわち、農民や、小作人、が「しいたげられ」、その「権利と正義がかすめられる」ことをは、「驚く」ことではない、と書いてあります。人間は、罪深いから、不正は、起こります。しかし、それを「見張っている」者はいるのです。「中役人」や「上役人」です。「上役人」をも見張る者もいるのです。それは、「農地を耕させる」、ですから民を理解する「王」である、とあります。
しかし、「王」を「見張る」者はいるのか?「王よりも、『もっと高い者』がいた。至高き主なる神がちゃんと見張っておられる!」神は、役人を見張っているのす。
小畑進師は、このような例えをしました。
悪童が果物屋さんの店先からリンゴを一つちょろまかして、かじりながら帰って来た。
〈母親〉「お前、見つからなかったかい。」
〈子〉「大丈夫だ。店番が向こうを向いているすきにポケットに入れて来たから。」
〈母親〉「でも、お客さんが見てやしなかったかい。」
〈子〉「大丈夫。客はひとりもいなかったもの。」
〈母親〉「でも、考えてみれば、人は見ていなくても、天の神さまは見ておられたはずだよ。」
〈子〉「なーに、そいつも大丈夫さ。」
〈母親〉「なぜ…。」
〈子〉「だって、店先には、日除テントが張ってあるんだ。天からは見えなかったはずだよ。」…。
「今日も、こんな他愛もないことを大のオトナどもが、大臣、社長、会長、学長さまが実演していなさる。日除の下の知らん顔の半兵衛。子供はリンゴ、ミカンだとしても、大人は“金銭”(ぜに)か。これも空しい。」
「至高き主なる神がちゃんと見張っておられる!」「大臣、社長、会長、学長」だけではなく、警察、裁判官、官僚、政治家、また私とあなたを「見張って」います。イエス・キリストは、こう言いました。「ほんとうに恐れなければならない相手を教えましょう。 殺したあとで、地獄に投げ込む力を持っておられる神を恐れなさい。 神こそ、ほんとうに恐れなければならないお方なのです。」聖書・ルカ12:5。神は、無関心ではないのです。しいたげられている人を顧み、正義と慈愛を切実に愛されるお方なのです。
あなたは、神に”見張られている”のでしょうか?それとも、“見守られている”のでしょうか?真の神を無視していれば、”見守られている”よりも、“見張られて“、恐ろしいことです。が、救い主イエス・キリストを通して神と和解していれば、”見張られている"よりも、“見守られて”いるのです。
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」イエス・キリスト、聖書・マタイ6:26