しかし、イスラエルには、悲しい歴史があるのです。『かの有名な「十字軍」はキリスト教徒とイスラム教徒の戦いだと思われがちだが、実際には聖地に行く途上でも、聖地でも、莫大なユダヤ人が虐殺されたのです。』この”クリスチャン”は、聖書を読んでいたら、聖書のほとんどの人物がユダヤ人であることを知ったはずでした。イエス・キリストももちろんユダヤ人でした。また、聖書のほとんどがユダヤ人によって書かれました。
第二次世界大戦、多くのクリスチャンがユダヤ人を救う為に命を捧げました。日本人の外交官杉原千畝(すぎはら ちうね)は、正教会(せいきょうかい)のクリスチャンでありました。リトア二アで外務省の命令に反して通過ビザを発給することでドイツによる迫害から約6,000人のユダヤ人を救ったのであります。日本のシンドラーとも言われ、ユダヤ人からは「正義の人」と言う章を受けました。「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった 。私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。」杉原千畝
メシアニック・ジュー(ユダヤ系クリスチャン)の集会の数も人数も、大幅に増加しています。イスラエルでは、だいたい一万人で、その40%がロシアからの移民です。世界では、20万人以上メシアニック・ジューがいます。
あるユダヤ人は、このようにしてイエス・キリストと出会いました。「1960年代、私は、アメリカの他の若者と同じく、親の世代の価値観に不満を感じていました。大学を中退し、政治運動に関わり、警察にも捕まりました。麻薬やロックバンドにも関わりました。現在の妻に出会った私は荒野での生活を始め、そこで自然と共に生きる共同体が始まり、仲間が集まりました。しかし、ある時突然、友達が侵入者に殺されました。人生とは何なのかと思いました。いったい神はいるのか、疑問が心を苦しめました。私は、仏教やヒンズー教など多くの宗教を試し、聖書以外は全て試したのです。私は、ユダヤ人でしたが、家は無神論で、ユダヤ教もキリスト教も知りませんでした。でも、私が求めるうちに、人生最大の奇跡が起きました。神が私に啓示を与えて下さったのです。イエスが十字架で私のために死なれた、と。彼の目には無限の愛が満ちていました。私の欠点と罪をご自分の身に負って苦しんでおられました。1972年10月、私は彼の前にひざまずき、私の人生を明け渡したのです。」エイタン・シシコフ