その500年前、直江兼続(なおえ・かねつぐ)は、ひたすら自分の利益のみを求める戦国時代に、「愛」と「義」を重んじ貫き通した武将であった、とNHK大河ドラマの「天地人」が描いています。
私の教会に尋ねて来た方が“愛”は、日本人には分からない、と言いました。聖書の‘神’や、‘罪’も、ピントこないように、“God loves you,”[神様はあなたを愛している]と言われても、日本人にはピント来ないと言われています。
夏目漱石(なつめ・そうせき)がある生徒に、「I love you を訳しなさい」と言ったそうです。生徒は「汝に恋す」とすぐ訳したそうです。しかし、漱石は、その訳に「No」と首を横に振りました。「そうではなく、それは、月が青いですね。と訳すべきだ」ちなみに、この言葉は「あなたとなら死んでもいい」だそうです。
ある人にとって、愛と言う言葉自体が下品で、あまりにも率直であるのです。ある人は、ラブホテルのようにエロチックな愛しか思い浮かびません。ある人にとって人を愛することはあまりにも「世間知らず」で、単純(英:naïve)であるのです。ある宗教では、「愛することは、人に愛着を持つことであり、苦しみのみに導く」と教えています。
しかし、400年以上も前のキリシタンの文書を読むと、「愛」ということばを使っていないことに気づきます。彼らは「お大事に」と訳していました。
チャールス・コーウィン博士(Charles Corwin)はこう書きました。「日本語の愛は、手を差し伸べて自分のものにする(というフィーリングが定着しています)。聖書のアガペ(ギリシャ語 αγάπη、agape)[の愛]は、神が(人の罪を)赦すために手を差し伸べている(愛である、と啓示ています)。」 [“Japanese AI is reaching out to possess; Biblical Agape is God reaching out to pardon.]
人の罪をも赦し、手を差し伸べる聖書の神の愛とは何でしょうか?
「はじめに神が天と地を創造した」(創世記1:1)と聖書の第一ページにあるように、存在している神は、宇宙も、人間も、全てを創られた神で、超越して偉大な神です。また、神様は、恵み深くて「悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです。」聖書・マタイ5:45。愛の原点は、創り主にあるのです。私達の神のふところに真の愛があるのです。心の”古里”に帰りましょう!
(つづく、 「愛」2)