Friday, June 17, 2011

あなたも、大本に戻りませんか?


6月15日、水曜日の夜10時、興味深い話しをNHKの歴史話ヒストリア』で見ました。人はみな、救われるべきもの法然と親鸞 探求の道~」という題でした。番組が言っていたのは、法然は、念仏を唱えれば救われる、と教えていました。弟子親鸞は、ただ阿弥陀仏を信じれば救われる、と教えていました。彼ら自身が発見(悟った)ように、番組が語っていました。しかし、法然(11331212年)と親鸞(11731262)の1000年以上前から、聖書の多く箇所に「イエス・キリストとその十字架を信じると救われる」とあります。はたして、法然と親鸞の教えは彼ら自身の教えだったのでしょうか?それとも、聖書からとったのでしょうか?
私が20歳の頃、現在の安曇野市の新田で英会話を教えていました。クラスで「Amazing Grace」を歌っていました。キリストの驚くべきばかりの恵みを歌っていました。そのクラスの皆の家庭に訪問していました。その一つは、お寺でした。そこの責任者は、私にこう言いました。私たちも「信じる事によって救われることを教えていますよ。聖書からとっています」と言って私は驚きました。小京都の金沢に住んでいた時も、その地域の仏教は聖書から来た事を聞きました。
その後、私は、調べました。中国にも住んでいたジョン・ヤング博士は、徒歩で中国まで、と言う本の中にこう書いています。804806年ころ、弘法大師という僧侶が中国に行き、仏教の寺院に住んでいました。景教(キリスト教の東の教会)の隣りで、接触していたそうです。806年、弘法大師がキリスト教の他の書類を含めて、聖書のマタイの福音書5章〜7章と、マタイの他の部分を京都に持って帰ってきたのです。西本願寺にあるそうです。後、親鸞は、毎日何時間をかけてこのキリスト教の書類を勉強したそうです。安曇野市のお坊さんや、金沢市の仏教の言っていた事を立証しました。確かに、従来の仏教と違っていました。キリスト教に似ていたのです。
マタイ5:3にこう書いてあります。「心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」マタイ7:1013「イエスがマタイの家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見た(宗教家の)パリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」イエス・キリストは、実に、弘法大師の700年前、法然と親鸞の1100年ほど前にこの言葉を語りました。
そのまた1000年ほど前(今から3000年ほど前)に、ダビデ王(イエス・キリストの先祖)が詩編511-2にこう祈っています。「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。」聖書の最後の黙示録21:6にこうあります。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである(イエス・キリスト)。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」
法然も、親鸞も、(釈迦も、弘法大師も)素晴らしい人だったと私は思います。しかし、法然と親鸞の教えの大本に行く事が最も重要なことです。イエス・キリストの言葉、いやイエス・キリストご自身にさかのぼる事が大事です。イエス・キリストを予言したイザヤ53:5、6でこう書いてあります。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」イエス・キリストの身代わりの十字架の予言です。実に、イエス・キリストの700年前のことです。
イエス・キリストの40年ほど後にプウロはこう書きました。ローマ3:24−25「ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる(十字架の)贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」イエス・キリストが私たちの罪を十字架上で負い、裁かれたのです。私たちは、ただ信じ仰ぐことによって、救われ、神の極めた恵みにあるのです。
あなたも、大本に戻りませんか?