「ロサンゼルス、カリフォルニヤ州(AP)。1994年1月17日、サン・フェルナンド・バレー地方を襲った地震は、ポルノビデオ制作者たちの使っていた高価なビデオ装置を破壊した。全国のポルノビデオの80%を生産しているこの地域は、震源から8キロの距離に位置し、大きな打撃を受けた。」サン・フェルナンド・バレー地方に住む私たちの多くは、この記事を読んで、複雑な気持ちがした。天使の町(ロサンゼルス)に神のさばきが下ったのだろうか。それとも、堕落した天使の町に下ったと言うべきであろうか、と。
ロサンゼルスに住むクリスチャンたちの中には、即座に地獄の火について語り、昔、罪深い人々に対して神が罰をもって報いられたことを友人や隣人に思い起させる人々がいた。けれども、私たちは「昔」を強調しなければならないと思う。なぜなら、ロサンゼルスが当然受けるべき罰を今も受けずにすんでいると思うからである。神は十字架のあがない(救い)をなさって以来、ポルノビデオ施作者を含めて、罪深い私たち人類の扱い方を全く変えられたのだから。
雷が落ちても、エイズが蔓延しても、土砂崩れでこの町が埋まっても、それからが神の罰のように見えるし、そんな気持ちにもなる。しかし、事実はこうだ。神はもはや、天罰を用いず、私たちをいつくしみとあわれみで扱ってくださる、ということである。
もし人々が当然受けるべき罰を受けていたとしたら、この古い小さい地球は、何世紀も前にとっくに崩壊していたに違いない。
神は偉大なる愛です。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みである。主のあわれみは尽きないからだ」(哀歌3:22)。神はいまも、この罪に汚れた地球に住む私たちをあわれんでくださる。日ごとにいただく神の恵みによって、与えられたいのちを生きることができる、と私たちは堅く信じている。
それだから、地震のあと、夫のケンが家の周りの倒木を片づけ、窓が拭いていた間、私は裏庭にいて讃美していた。サン・フェルナンド盆地を見渡しながら、「われらの神は畏れるべきかな。神は知恵と力と愛をもて、天を治める方、。。。おお神は尊ぶべきかな」と。畏れるべき神、力強い神であって、しかも愛といつくしみにあふれる神である。その神がなぜ地震、洪水、吹雪の起こるにまかせておられるのか、私たちには理解できない。
シロアムの塔が倒れ落ち、18人が死んだとき、主イエスの弟子たちも同じようにこの難しい質問をしている。イエスは彼らが天罰だと思っているこを知り、こう答えておられる。「シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人は、サアレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうでなはない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ13:4、5)と。イエスは天災は、人々への天罰というよりも、悔い改めよ、と呼びかけであると説明しておあられる。目覚めよ、といいう警鐘なのである。
神の大いなるいつくしみによって、高層建築物が倒壊することはほとんどなかった。大水害も500年に一度である。竜巻は大方のキャンビングカーの集中するキャンプ場を避け、ハリケーンもニューヨーク市に着くまでに弱まる。そして地震も休日の午前4時31分、高速道路に車の少ない時であった。まことに神はいつくしみ深く、真実な方である。
聖書・詩編71:1−3「主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を救い出し、私を助け出してください。あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。」
ジョーニー・エリックソン・タダ、『神、ともにいまして』より