勝海舟は、カッテンヂーケと言うオランダのクリスチャンにあい、キリスト教に深い関心をもったようです。勝海舟が日本の賛美歌の翻訳を始めた一人でした。次がその賛美歌です。
思ひやつれし君、
なにすとて、やつれし君ぞ、哀れその、思たわみて、
いたづらに、我が世を経めや、あまのはら、ふりさけみつ、
あらがねの、土ふみたてて、ますら雄の、心ふりおこし、
清き名を、天に響かし、かぐはしき、道のいさをを、
あめつちの、いや遠ながく、聞く人の、かがみにせむと、
我はもよ、思ひたまはず、おほろかに、此の世をへしとおもやつれども
聖書の詩編102、103をもとにして、神を讃える歌であります。ある人は、これは、勝海舟の信仰告白であると言っています。勝海舟の「和魂洋才」の『洋才』は、キリスト教でありました。
勝海舟は、信仰を具体的に働かせて『江戸城無血開城』によって、江戸城を火の海にすることを避けた、と言われています。勝海舟は、静岡の伝道を容認、親戚の墓に「義人は信仰によって生きる」と刻みました。
「正しい者は信仰によって生きる。」聖書・ローマ1:17、ハバクク2:4