「日の下で、どんなに苦労しても、それが人に何の益になろう。」聖書・伝道者の書1:3
「日の下」(英under the sun)と言う句が伝道者の書に30回以上書いてあります。伝道者の書は、この世の現実を主に人の目から見ています。この世は、空の空で、空しい、と書いてあります。
しかし、私達は、”日の下”の角度より”日の上”の角度からもの事を見る必要があります。
「日の上」の角度は、天地を創られた神の角度のことです。すなわち、聖書の角度です。神の目からものごとを見ると、苦しみは無くなりませんが、その苦しみに意義があると分かりはじめます。
もちろん、私達は、「日の下」の現実(reality)をしっかり見る必要があります。しかし、違う次元からもの事を見る必要もあります。もう一つの現実(reality)、いや事実(fact)と真実(truth)を見る必要があります。
それは、天と地を創造した神が存在していることです。この方御自身が私達の満足、希望と意
義です。あるミシガンの教会の看板にこう書いてありました。Christ, our hope! キリスト、我が望み!
「日の下の現実を真正面からとらえつつ、天の御国を望む。『日の下』の悲しき人間の限界と、やりきれない現実を見つめながら、御国を望める我れらなのでした!」小畑進
『主よ、あなたは私達をご自身のために創られました。私達は、あなたに安らぐまで、決して安らぐことはないのです。』聖アウグステヌス。
この創り主の目からものごとを見るのです。聖書がこの方を現し、聖書がこの「日の下」の意義を教えて下さいます。