Tuesday, May 26, 2009

ダ・ビンチ・コード 映画


最近、家内と一緒に「天使と悪魔」を観に行きました。第一弾の映画「ダ・ヴィンチ・コード」は話題作になっただけではなく、広い宗教的論争を起しました。クリスチャンや、教会を批判していただけなら、そんなに問題はなかったでしょう。しかし、真実と不真実を混乱させ、特にイエス・キリストについての事実が曲げられました。真実は何でしょうか?特にイエス・キリストについて調べてみましょう。

その前に、One Question。 どうして著者ダン・ブラウン、ソニー(コロンビア)&監督ロン・ハワードが大騒ぎを起すのにもかかわらず、この映画を作ったのでしょうか?私のメールに、ある新聞記者はこう答えました。「私の意見では、全てお金に動かされている。ロン・ハワードは監督だけではなく、プロデユーサーです。宗教的論争を起せばとても多くのお金をもうけることができる。」しかし、。。。歴史的真実はどうでしょうか?

マグダラのマリアはイエスの妻!? ダ・ヴィンチ・コードによると、イエスはマグダラのマリヤと密かに結婚し、子供が1人いた!?

著者ダン・ブラウンはグノーシス派の福音書の中のピリポの福音書から次を引用しました。「救い主の同伴者はマグダラのマリアである.キリストは彼女のことを他の弟子達より愛し、しばしば彼女の唇にキスをした」と書きました。

実際は、著者ダン・ブラウンの情報源、ナグ・ハマデイ文書(グノーシス派福音書を含む)は信頼するに足る文書ではないです。使徒や使徒たちの仲間によって書かれたものでもないです。

また、専門家によると、ピリポの福音書に出てくる「同伴者」という、言葉の原語は、ギリシア語の借用語「コイノノス」であり、明らかに「伴侶」ではなく、「友」または「仲間」を指しています。従ってマグダラのマリアがイエスの妻とは裏付けられないです。

「古代史科の中でイエスが結婚していたと示すものはひとつもない。また、マグダラのマリヤと結婚していたと示す資料も一つもないことはいうまでもない」とバード。D。エアマン博士は書きました。

シオン修道会の悪事!? ダヴィンチコードによると、イエスとマリヤの血統を守るために、1099年に創設されたヨーロッパの秘密結社!?

実際は、低価格住居が必要な人たちを助けるために作られた結社です。

絵の中の弟子ヨハネは実際はマグダラのマリアである!? 有名な絵画「最後の晩餐」は、ダン・ブラウンの解釈によると、イエスの右側にいるのは弟子のヨハネではなく、マグダラのマリアであり、これはイエスがマリヤと特別な関係にあったと考えさせる証拠である、と書いた。

実際は、シカゴ美術館のブルース,バウチャー氏は、ヨハネが明らかに女性的に見える事実を説明しています。「聖ヨハネは、いつも美しい若い男性として描かれた。」

投票してイエスが神であると決めた!? ダ・ヴィンチ・コードによると、イエス・キリストは単なる人間であった。しかし、AD325年のニケーア公会議(司教の集まり)での投票の結果、彼は聖なるポジションに押し上げられた!?
実際は、ニケーア公会議では、イエスは単なる人間か、それとも聖なる方かということではなく、イエスは創造されたのか、それとも永遠に存在するのかということが問われました。「人」か「神」かという選択ではなく、「永遠の存在」か「被造物」かでありました。

聖書や初代教会の立場は、明らかです。イエス・キリストは、自分が「神である」ことを言葉と行動で明らかにしました。聖書・ヨハネ1:1でこう書いてあります。初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことば(イエス・キリスト)は神であった。」初代教会は、このためにいのちまで捧げました。

世界のカレンダーは、イエス・キリストの生涯— 西暦— によって決められました。世界中でイエスの誕生日ー クリスマスー をお祝いしています。イエスが主役である聖書が世界のトップセラーです。いったいイエスはなにものなのでしょうか?

医者ルカは、イエスについて書いたはじめの文書にこう書きました。「イエス・キリストの伝記は、最初からの目撃者であり弟子であった人たちの証言をもとに、すでに幾つかでき上がっています。しかし私は、すべての記録を、もう一度初めからチェックし、徹底的に調査した上で、あなたのために順序正しく書いて差し上げたいと思うようになりました。それによって、教わっていたことはみな正確な事実であることが、よくおわかりいただけると思います。」聖書ルカ1:1−4。

聖書は、歴史を書いているのです。オックスフォード大学文学者哲学者C.S.ルイスは、聖書の話を“事実の神話”と言いました。歴史事実起こった“神の話”は“福音の歴史”とも言えます。

パウロは、この福音をこう書きました。「らせ(福音)とはほんとうは何なのか、思いしてほしいのです。 というのも、それはしもしていず、以前あなたがたに宣べ伝えたらせと同じものだからです。。。。私はまず一に、かつて自分もらされた、のことを伝えました。 すなわち、キリスト様は、聖書されているとおり、私たちの罪のためになれ、 られたこと、そして言者たちの告どおりに、日目にの中から活されたことです。 キリスト様はテロに姿わし、そのあと「十二弟子」のりの者の前にもたれました。 そしてある時には、人以上のクリスチャンの前にも、姿をお見せになったのです。」聖書1コリント15:1−6。

日本の作家三浦綾子は、福音を“聖書のエッセンス”と書きました。人類全てもそうですが、個人もそうです。私達に事実本当の罪の問題があるのです。ですから、神様は、私達のために事実本当の解決— 福音— を下さったのです。それは、主イエス・キリストと言うお方を通してです。イエスは、私のようなものの罪を負い、十字架上で身代わりとなり、裁かれました。しかし、神であるからこそ、三日目に復活しました。この方が私達の救いの源です。

これが真実のイエス・キリストの姿です。

[参考 ダ・ヴィンチとイエスー本物は?]