Saturday, April 25, 2009

イエス・キリストに出会う私達の親戚。。。



「あなたがたが、わたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」イエス・キリスト

神様が、この古市順子(写真)を選び、任命して下さったのです.罪人の私の為に十字架上で死んで下さり、私の罪が赦されました.そして約束通り、三日目によみがえり、天に帰られたのです。2000年前のこの事実、私は信じます。

シオン教会に、まだプレハブ教室があった頃、小学校低学年の日曜学校に通っていました。加藤俊作先生、今は亡き平山先生,畠中先生に聖書のお話を聞き、お祈りしました。その頃、教えてもらった、新約聖書を開くときの歌、今でも、相当、役に立っています。

あれから、ずいぶん時間(とき)がすぎ、中学、高校、就職、結婚、出産、子育て.....。全く教会と離れていた時期もあったり、子供達をCSに連れてきたり、イベントに参加したり...そんな中、私も自分の時間が取れるようになった時、「聖書の学び」をしてみない....と誘われ、その時は、クリスチャンになると全然思わず、習い事の1つのような感じで、始めました.そんなスタートだったので、聖書にはこんなことが書かれているのかーとか知識的な発見はあるのですが、それ以上の進歩はなく、多分、先生と伯母との想いと、私の想いとのギャップはあったと思います。学びが進む中で、最初の「受洗」の話があっても私は、御言葉を聞いても、自分の中に入ってこなかったし、それよりも、何かピンとこないというより、何か違う気がし、余計疑問がわいてきました。でも学びをやめてしまおうとは思わず、テキストを続けていきました。

私は絶対、天国で会いたい人がいます。今まで私が死んだら、普通に会えると思っていました.でも学びが進むにつれて、このままでは会えない、私は、ある行動しないと、会う資格がない事を知ったのです。

「もし、あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせて下さったと信じるなら、あなたは、救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して、救われるのです。」  聖書・ローマ10:9、10

昨年の12月に信仰告白出来ました.受洗の学びにも入り、浜ノ町の礼拝にも参加するようになりました.すると、御言葉が自分の中に入ってくるのです。それからは不思議な体験続きです。

そんな中、今年の1月20日の<マタイの福音書5:21〜26> 「仲直りしなさい」のメッセージは、思い当たることがあるのです。私の1番つかれたくないところだったのです。メッセージ通り、全ての優先にして、いつまで一緒にいられるか分からないから、一刻も早く...、仲直りしないといけない人がいたのです。うやむやにしてはいけない事を、見て見ぬふり、無関心、無視してきました.私の今までの人生の中で得意としたところです.何か問題が起きても、自分の判断で取り込んでしまい、一見、波風立てず、穏やかに見えて、どんどん自分のカラが固まっていくのです.愛の反対は、憎しみではなく、無関心。本当に私は罪人です.神様が今気づかせて下さり、心から感謝しました.仲直りする事は、とても怖かったけれど、イエス様がついていて下さると信じて、今までの事、謝る事ができました.悶々とした私の心に、まさに一番的確な「答え」をくださったのです.「たまたま」とか「偶然」とかでは、片付けられない。 どんなに自分に都合のいい理由をつけようとしても、神様は、追ってこられるのです。そう、追って下さるのです.神様は、私を心配して下さっていたのです。私は悔い改めをし、神様に一切を委ねていきたいのです。こんな私でも、神様はそばにいて下さる、私を全て知って下さっている。

私の家族には、まだクリスチャンはいません.私を一番に選んで下さった事は、御計画の始まりです.神様が用意して下さっている戸を私は開けます。

最後に私の好きな御言葉、「『先生.彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか.この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません.神のわざがこの人に現れるためです。』」<聖書・ヨハネ9:2、3>

全てに感謝!

古市順子