”2004年、アメリカで凄い映画が公開され、空前のブームを巻き起こしました。イエス・キリストの十字架の死と復活を描いた「パッション」です。十字架の上で死んでいくイエスの姿を克明に描き、その凄惨さが賛否両論を巻き起こしました。”
凄惨なシーンの目的について、メル・ギブソン監督はこう語ります。「キリストがわれわれの罪を償うために味わった恐ろしい苦難を目撃することで、人の心の奥深くに、希望、愛、赦しのメッセージを届けたかったのです。。。人生は大変です。みんな傷ついています。私は自分の傷をいやしてむらうために、キリストの傷に近づいたのです。そした聖書を読み、黙想し、祈った時、初めてキリストがどんな所を通ったのかを知りました。それは『犠牲』です。イエスは自分自身のためにではなく、私のためにどんなに苦しまれたのかを知った時、この方の中に希望があるのだ、と思ったのです。私の傷はイエスによっていやされました。その傷を、人々に語りたかったのです。」(「Decision」誌、2004年/3月号インタビューより)
「まことに、彼(キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」聖書・イザヤ53:4−6