Wednesday, August 5, 2009

Prime Minister


8月30日の衆議院選挙に向けて各党の党首が日本全国で支持を訴えています。結局は、日本を治める党とその首相を決めることになります。

日本語の「首相」は、英語でPrime Ministerと訳されています。Prime は 'first'「最も」、Minister は 'to serve'「仕える人」です。首相は、最も仕える人なはずです。

Prime Ministerと言う言葉は、聖書から来ていると私は思うのです。マルコ10:42−45そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子<イエス・キリスト>が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」』

イエス・キリストは、こう言いました。「人の子<イエス・キリスト>が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」私達人間は、「主」(ぬし)に成ろうと、人を踏み台にしたり、利用したり、使ったりします。しかし、「主の主、王の王」である主イエス・キリストは、人々に仕え、罪人(つみびと)を罪の支配から救うために、十字架上で自分のいのちを贖いの代価として与えたのです。尊い恵みです。

晩餐でしたが、イエス・キリストは夕食の席から立ち上がって、[ しもべのように]上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。。。 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。』」聖書・ヨハネ13:4−17 イエス・キリストの十字架によって贖われていのちを与えられている者は、主の模範に従い、しもべであるはずです。永遠の愛を受けた者は、その愛を示すはずです。

8月5日のDaily Yomiuri Online (英字読売新聞インターネット)でこう書いてあります。”Election 2009-- Battle for Power..." 訳すと,「選挙2009ー権力争い」です。

自民党が権力を維持することや、民主党が政権を獲得することよりも、全てのリーダーは、罪人のために死なれたイエス・キリストの十字架の恵み深い「贖い」に預かり、イエス・キリストを見本として国民に仕える必要があるのです。

私自身も、クリスチャン、宣教師、夫、親であるものとして、自分の「腰が重いなー」と思うときがあります。上司を気にするなら、真の「上司」であるイエスを仰いで、その「後について行き」、人々に仕えるのです。良い上司は、部下に「自分のことを気にすることよりも、お客様に仕えること」を教えるのです。リーダーは、自分の夢の実現ではなく、「神が人々のために見ておられる夢」の実現を目指して、犠牲を払って仕えるために立てられたのです。また、日本人は、’どの政党が一番国民に仕えてきたか?また、将来どの政党が一番国民に仕えられるか?’によって8月30日の衆議院の選挙で投票するべきであると思うのす。