「罪の意識を持つのが聖人である。罪の意識こそ、魂が神をどれだけ認識しているかを計るものなのだ。」ダニエル神父
「魂が神を認識している」人は、神の聖さを知っているから、自分の「罪の意識を持つ」のです。聖書によって自分が見えてくるので、自分が「罪人のかしらで」あることと、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(聖書・1テモテ1:15)ことを「そのまま受け入れ」るのです。この人は、キリストの救いによって「聖人である」のです。神をまことに知っているのです。