Sunday, March 22, 2009

空の空 (1)


「空(くう)の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」と読むと、仏教の言葉ではないかと思われます。しかし、まぎれもない聖書の言葉です。伝道者の書1章2節にあります。「空」と言う言葉は、この伝道者の書に26回以上も書いてあります。「空」は伝道者の書のポイントでもあります。

伝道者の書は、西暦前1000年頃、ソロモン王によって書かれました。正に釈迦の500年前のことです。私の推測ですが、仏教の「空」と言う考えは、このソロモンの言葉から来たのではないかと思います。


「空」の意味は、文字どうり”空しさ”です。ソロモンは、「空」は「風を追うようなものだ」と5回も語っています。ある聖書では「価値のないもの」と訳されています。創り主のない人生は、無意味であり、『ホームのない野球と同じ』なのです。小畑進牧師はこう語りました。「ただ一気に虚しい、ムダ、甲斐なしというソッケない意味なのです。」


また、こう例えています。「小林一茶。腹違いの弟との熾烈な財産争い。そのあげく、ようやく得た家屋敷は一朝火事で灰と化し、わずかに焼け残った土蔵の中で蚤(シラミ)友として息をひきとる。辞世は、
  わが上にやがて咲くらん苔の花
でした。自分が埋められる墓にはやがて苔が生えて、その花も咲くであろう。それだけのこと。ただそれだけのこと、と。」小畑進

本当に「すべては空」なのか?伝道者の書12章1節にこうあります。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」すなわち、神無き人生は、本当に究極的に空しいです。しかし、存在する神がいて、イエス・キリストの恵みのゆえに、人生に意味を与えるので、全てのものに素晴らしい価値があるのです。


「神から離れて平安を見つけようとした人が、そこに空しさしかなく、神なしの生活がいかに不毛かを語っています。人がこの世ではなく、神様に心を向ける時にだけ、真の幸福を見いだせます。」


『主よ、あなたは私達をご自身のために創られました。私達は、あなたに安らぐまで、決して安らぐことはないのです。』聖アウグステヌス