Wednesday, August 31, 2011
To Nagano...
Monday, August 29, 2011
主よ、憐れんでください。
主よ、憐れんでください。
わたしは嘆き悲しんでいます。
主よ、癒してください。
主よ、立ち帰り、
わたしの魂を助け出してください。
あなたの慈しみにふさわしく、
わたしを救ってください。
わたしは嘆き疲れました。
夜ごと涙は床に溢れ、
寝床は漂うほどです。
苦悩にわたしの目は衰えて行きました。
主はわたしの泣く声を聞き、
主はわたしの嘆きを聞き、
主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
聖書・詩編6編から
『ここでご紹介している言葉は、聖書「詩編」という書物からの言葉です。「詩編」とは、昔の人々(イスラエル人)の歌や祈りを集めたものです。これは、大きな悲劇に遭遇したり、親しい人を失いながらも、自分を創造して下さった方の変わる事のない愛に癒しと希望を見出した人々の、心からの叫びを表現したものです。。。。あなたの心の叫びとなさって下さい。あなたの言葉が、皆さんの置かれている困難な状況の隅々にまで、慰めと力をもたらすものとなりますように。』
神田英輔(写)、When the Foundations of Life Are Shakenより
Sunday, August 28, 2011
Saturday, August 27, 2011
『謙遜』
福音*は、革命的です。キリスタン大名大村すみただは、教会で彼と彼の家族のための特別な席を拒否しました。彼は、主の前に平民と一緒にしてひざまずきました。(*『福音』は、良き訪れという意味で、聖書のメッセージのエッセンスです。)
偉大なキリスタン大名高山右近(写)は、彼の藩の貧民のお葬式の費用を全て払いました。一回、お葬式の行列に加わった時、彼自身が行列を妨げていた木を自分の手でかたずけました。平民がキリストにあって、尊い価値があるのを知って、この地位のあった大名は、謙って、平民に仕えました。
「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」聖書・エペソ4:1−3
聖アウグステイヌスはこう言いました。「キリスト教の一番目の掟は何かと私に聞けば、私は、一に謙遜、二に謙遜、三に謙遜、と答える。」全ての人は「神のかたちに似せて創られ」ました(聖書・創世記1章)。全ての人は、罪人で、全ての人は、神の博愛の対象であるのです(ヨハネ3:16)。誰でも、平民であり、大名だあり、イエス・キリストとその十字架を信じ仰ぐと、創り主の前で平等であり、愛されているのです(ローマ3:23−24)。
自分の罪深さを深く実感する事が謙遜です(エペソ2:1−3)。全てがただ神の恵みによってあることを実感する事が謙遜です(エペソ1章から3章)。頂いたものは、全て創り主の恵みによるものであって、イエス・キリストとその恵みなしでは自分は何でもない、何も出来ない、と分かっているのです。
ですから、神の前で謙り、人々に仕えるのです。
Friday, August 26, 2011
Thursday, August 25, 2011
『王位の奪われもの』
「私たちの悲惨さは、王位の奪われものである。」ブレーズ・パスカル “Our wretchedness is of dispossessed kings.”
私たち人間は、栄光と悲惨せを持っている、とパール・クリン(Paul Glynn)は書いている。
永井隆は、こう考えた:ネズミは星を見えない。ミミズは、花を見えない。
しかし、私たちは、自分の悲惨さ盲目さ罪深さを認めれば、私たちの心に恵み、聖書と悟りが注がれ、イエス・キリストを通して、神とその栄光を見、奪われた地位を取り戻すことがでくる。
「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせて下さいました。」聖書・エペソ2:6
Tuesday, August 23, 2011
家内の奈帆は東北へ行って帰って来た
Monday, August 22, 2011
Father & Son Time....
数週間前、女性(奈帆とホサーナ)がバザーで手伝っていた時、パパは、息子たちと一緒に瀬戸内海に行きました。ビデオ:よく見たら、家族の向こうのほうにいるのがジョシュアとシェーンです。
父親として私が忍耐のない時、不在の時、子どもをいらだたせます。聖書・エペソ6:4にこうあります。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主(神様)の教育と訓戒によって育てなさい。」もちろん、父親が子どもに『イエス・キリストを信じ、従うこと』を教えることは、何よるも大事だと思います。また、共に遊ぶことによって、キリストの恵を教える事にもなります。”お父さんたち、息子と遊びましょう。特に息子たちは、父親の暖かい存在が必要です。”
Saturday, August 13, 2011
東北から帰って来ました
Friday, August 12, 2011
映画:Tree of Life・ツリー・オブ・ライフ
映画監督テレンス・マリックは、MIT(マサチューセッツ工科大学)で哲学を教えたり、40年に渡り六つの映画を制作した。彼の映画は名作として知られている。映画には、ション・ペン、ブラッド・ピットなどが出演。
映画は、聖書・ヨブ記の言葉からはじまる。『私が地の基を定めた時、あなたはどこにいたのか?。。。』オーブライアン家の格闘と自然界の紀元を鋭く美しく描く。瞑想と礼拝に導かれる、と言われている。自然によって活きるか、恵によって活きるか、私たちが問われる。
『フランス南部のカンヌで開かれていた第64回カンヌ国際映画祭は5月22日夜、コンペティション部門の最高賞「パルムドール」に米国のテレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」を選んで閉幕した。。。。。「ツリー・オブ・ライフ」は1950年代の米テキサス州を舞台に、厳格な父親と寛容な母親というごく普通の家庭生活を描きながら、21世紀の米国への問いを投げかけたもの。主演の父親役を俳優のブラッド・ピットが好演している。寡作で知られるマリック監督の久しぶりの野心作として上映前から注目されていた。』産経ニュース
Tuesday, August 9, 2011
主は。。。
「主*はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」聖書・詩編9:9−10
*「主」(しゅ)とは、万物の創造者である神という意、現代の日本語に訳したもの。英語は、"LORD。"
Monday, August 8, 2011
希望を
『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』聖書・民数記6:24−26