Saturday, August 27, 2011

『謙遜』


福音*は、革命的です。キリスタン大名大村すみただは、教会で彼と彼の家族のための特別な席を拒否しました。彼は、主の前に平民と一緒にしてひざまずきました。(*『福音』は、良き訪れという意味で、聖書のメッセージのエッセンスです。)

偉大なキリスタン大名高山右近(写)は、彼の藩の貧民のお葬式の費用を全て払いました。一回、お葬式の行列に加わった時、彼自身が行列を妨げていた木を自分の手でかたずけました。平民がキリストにあって、尊い価値があるのを知って、この地位のあった大名は、謙って、平民に仕えました。

「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」聖書・エペソ4:1−3

聖アウグステイヌスはこう言いました。「キリスト教の一番目の掟は何かと私に聞けば、私は、一に謙遜、二に謙遜、三に謙遜、と答える。」全ての人は「神のかたちに似せて創られ」ました(聖書・創世記1章)。全ての人は、罪人で、全ての人は、神の博愛の対象であるのです(ヨハネ3:16)。誰でも、平民であり、大名だあり、イエス・キリストとその十字架を信じ仰ぐと、創り主の前で平等であり、愛されているのです(ローマ3:23−24)。

自分の罪深さを深く実感する事が謙遜です(エペソ2:1−3)。全てがただ神の恵みによってあることを実感する事が謙遜です(エペソ1章から3章)。頂いたものは、全て創り主の恵みによるものであって、イエス・キリストとその恵みなしでは自分は何でもない、何も出来ない、と分かっているのです。

ですから、神の前で謙り、人々に仕えるのです。