Saturday, August 6, 2011

光と陰


「信仰には、信じたい人のために十分な光がある。また、それと反対の気質の人(信じたくない人)のためには十分な陰(暗闇)がある。」ブレーズ・パスカル

"In faith there is enough light for those who want to believe and enough shadows for those of a contrary disposition.

二人の人物が同じキリスト教、聖書、イエス・キリストや教会を見ても、信じる方向に向かう人、信じない方向に向かう人がいるのです。聖書では、人々は、イエス・キリストの同じの奇跡を見て、ある人は、イエス・キリストを信じ、従ったが、ある人は、イエス・キリストを憎み、殺しました。ある人は、マザテレサの行いを見て、その働に参加し、しかし、ある人は、批判します。ある人は、聖書を読み、いわゆる『矛盾点』を見て疑い、ある人は、聖書の真実さに引かれます。

私自身は、聖書やイエス・キリストには『陰』がないことを知っています。しかし、しばしば、クリスチャンや教会には『陰』が見えるのです。私にも『陰』があるのです。正直であれば、誰にでも『陰』(罪)があると認めるのです。私は、私の信仰は、幸いに、クリスチャンや教会にあるのでないです。聖書とイエス・キリストにあるのです。そして、キリストの恵が私や、他のクリスチャンや教会に働きかけて下さるのです。

絵:レンブラントは、光と陰の描きかたで有名です。クリスチャンでありながらも、彼の人生に光と陰があったのです。今でも、写真をとる時、レンブラントのライテイング(Rembrandt lighting)を使います。映画「十戒」のセシル・B・デミルがこの言葉を使いはじめました。