1月8日(月)、香川県の教会が特別講演会をもちました。50名以上の牧師や信徒が参加しました。大和昌平教授が不思議なことを言いました。仏教の法然と親鸞が、900年程前に『恵みによる救い』を説いでいた、と言いました。法然は、修行と共に恵みを教え、親鸞は、恵みのみを教えました。大和師は、聖書の異なった特徴は”創り主の恵みはキリストの十字架に表れている”と説明しました。
造り主は、人間の罪を見過ごすことは出来ないのです。なぜなら、主は、聖い聖い聖いお方だからです。しかし、いっさいの罪のないイエス・キリストは、私たちの罪を自分のものとし、十字架上で代わりとなって裁かれたのです。私たちの代わりに地獄の裁きを受けたのです。これが聖書で説く、愛と恵です。それを信じる、イエス・キリストをただ仰ぐものは、救われるのです。私たちは、創り主の計り知れない愛の対象となるのです。その恵みによって、神を愛し、隣人を愛し、『良い行い』をするのです。
法然と親鸞の実に1000以上前に使徒パウロがこう書きました。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」
キリスト者は、キリストの十字架のみ業の恵みを信じ味わい、その恵みと愛を人々に示すのです。「あなたの敵を愛しなさい」と言うキリストの言葉を覚えますが、敵であった私たちが創り主によって赦されてように、私たちは赦すのです。宗教改革のスローガンは、次の通りです。「信仰による救い。しかして、善き業への救い」に続くのです。
参考:法然と親鸞