Thursday, January 19, 2012

『ディオグネへの手紙』


「彼らは各自の国籍を有してはいても、寄留人の如くにし、すべてを巡礼者の如くに耐え忍ぶ。そして、その巡礼するすべての土地が彼らにとっては祖国であり、また、すべての国がその巡礼地でもある。彼らはすべての人と同じように妻をめとり、子供をもうける。けれども胎児を堕すようなことは決してしない。彼らは誰とでも食事を共にするが、ベッドを共にする事はない。彼らは肉の中にあるけれども、肉に従って生きない。彼らはこの地上に住むが、その国籍を天に持つ。彼らは法律の定めに従うけれども、その生活態度によって、定められた以上の理想を実現する。また彼らはすべての人を愛しているのに、すべての人は彼らを迫害する。彼らは無視せられ、処刑せられ、殺されている。けれども、彼らはかえって、そこに生命を獲得している。彼らは乞食でありながら、多くの人を富ましめ、万事に欠乏しながら、万事は彼らにとって豊かである。彼らは人に辱しめられながら、その辱めにおいて光栄を受け、彼らの名は人に嘲笑されながらも、そこにかえって彼らの正しさが証明される。彼らは罵られつつ祝福を与え、あしざまに取扱われて、かえってそこに光栄を受ける。彼らは善をなすために悪人として罰せられ、処罰されつつ、生命を獲得したかのように歓喜する。」

私たちは、キリストの恵みによって、こうありたいものです。『わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。。。隣人を自分のように愛しなさい。』聖書・マルコ12:29−31

上の引用は、AD150年ごろの無名の手紙『ディオグネへの手紙。』その中に、初代のキリスト者の先輩たちの姿が描きとどめられている。