Sunday, January 15, 2012

城・靖博


私は<城>という珍しい名字のせいか、初対面の人に「ご出身はどちらですか?」と聞かれることがよくあります。ご存知の方もいるでしょうが、城という名は九州に多く、私は熊本の八代という所で、小学校に上がるまでそこで育ちました。その後愛知や岐阜を点々と何度も引っ越しをしました。というのも私の父は(比喩的な意味でなく)やくざで普段働きもせず、家でごろごろし、夜は外へお酒を飲みに行く、そんな人でした。ですから引っ越しては家賃を滞納し、また引っ越す…そんなことが何度もあり、ご飯も満足に食べられないという時もありました。

 自分の親がどうやら他人の親とは違うらしい、そう気付いたのは小学4年生の時の親の仕事に対する調査でした。クラスメイト全員の前で、親が公務員の人,会社員の人と先生が言い、該当する職業で手を挙げて行くというものです。私は事前に両親と相談した通り、自営業という所で手を挙げましたが、先生にどんな仕事かと言われた私は「知らない」と言う他ありませんでした。その年令で自営業であればなおさら、自分の親が何をしているのか知らない者はいないでしょう、クラス中の人に笑われ、それがひどく恥ずかしかったのを覚えています。そんな風でしたから、自分の親はどこそこに勤めていると誇らしげに語る友人をうらやむ様な子供でした。

 中学生の時,父が逮捕され母は女手一つで姉と私を育てることになりました。しかしお金使いが荒いにもかかわらず真面目に働きもしない父でしたから、むしろその頃の方が生活が安定していました。ある日、母が男の人を連れてきました。父とは違いきちんと仕事をする人でしたが、気難しい人で母も姉もその人の顔色をうかがっている様な生活でした。その人をお父さんと呼ぶのには違和感がありました。不自然な家庭であったと思います。

 ところが高校生になって父が刑務所から出所する直前、母はその男の人と家を出ていってしまいました。私と姉は全く頼れない様な父を頼りに生きて行く他道がなくなりました。しかし、父も少しは父としての自覚ができてきたのかコンクリート会社へ勤め始めました。無論嬉しかったですが、長続きせず結局生活は追い詰められてゆきました。学費は滞納し電気もガスも止められるそんな時もありました。いずれ姉も母のいる松本へ、その頃の私は全くの孤独でした。ある日こんなことを考えました。神はいるのか?いるなら何故僕をこの様な環境に置いたのか?もし神というものがいるなら神は僕に償いをしなければならない、また少々の悪事を働いたとしても大目にみなければならない。何故なら僕をこの様な家庭に産み落としたのだから。そのような考えの中、私は人の物を盗っても、人を傷つけても何とも思わない人間になっていきました。いや、むしろ自分が損なわれてしまった様に他の人々も損なわれるべきだと考えていたのです。

 その頃のどうしても忘れられない思い出があります。地元の神社の夏祭りの日のことでした。私は友人とそこへ行ったのですが、打ち上げ花火が上げられそこで私はある一家を見ました。玄関先で家族4人仲良く花火を見上げています、それは幸せそうな光景でした。あなたはどう感じるでしょうか?仲の良さそうな家族だなぁとほのぼのとした温かい気持ちになるのではないでしょうか?しかしその時私が感じたのは強烈な妬みと憤りでありました。何故あの様な幸せそうな家庭があり、自分はそこに生まれなかったのか、私には物心ついてから、ただの一度も父に抱かれた記憶すらありませんでした。家族で笑うという記憶もほとんどありません。私はそこを走り去りました。名も知らぬ家族に怒りを感じる程私の心は病み、歪んでいたのです。そんな事もあり学校へ行く気もなくなって家にこもったり、ぶらぶらしていました。全てが虚しく感じられ、成績もどんどん落ちていきました。頑張ったっていいこと何一つないじゃないか、もう何もかもどうでもいいと思っていました。

 それでも何とか高校を卒業し、松本へ、社会人となり一人暮らしを始めました。生活も安定して多少心の余裕はできましたが、それでも何故僕は生きているのかといった様な漠然とした疑問は払拭できないまま時間が過ぎていきました。上手く言えませんが何かが間違っている様な気がしました。自分がこの世界に存在していること自体が不自然な気がしました。何故僕は生きているのか、いや何故僕は生まれて来たのか?それでも仕事だけは続けていました。何もかも放り出したいという気持ちになった事もありましたが、自分は父とは違うのだ僕は父の様にはならないという意地もありました。叶う限りの気晴らしをしてみました。ゲームをし、映画を見、漫画を読み、お酒,パチンコ…しかしそれらは一時のもので本当に自分を満たしてくれるものではありませんでした。また科学や哲学,人生論などの本に生きてる意味の答えがあるのではないかと読みあさりましたがその中に答えを見つけることはありませんでした。ある日私は結論を出しました。人は死ぬために生きているのだ、生きるとは徐々に死んで行くことだ、だとすれば人生に何も意味などないではないか?

 しかし、ある日人生の転機が訪れました。妻との出会いです。いろいろな縁があって彼女とおつきあいすることになりましたが、彼女はクリスチャンでした。私は信じるものは人それぞれだからと特に否定はしませんでした。ただ日曜日のデートは教会でした。私としては彼女と一緒に居れれば教会だろうが神社だろうがかまわなかったし、お金のかからないデートで楽だなぁ、くらいにしか思っていませんでした。それでも2年程通ったでしょうか?いつしか私は教会へ行くのが楽しくなって来て、その間にメッセージも少しずつ理解できるようになり、彼女が、また教会の人々が信じるイエス・キリストについて興味を持ち始めました。いくつか信仰書を読み、聖書も何とか通読しました。そこには私の考えとは全く逆のことが書いてありました。すなわち償いをするのは神ではなく、罪人である自分の方であると、そして自分ではとても支払うことのできない罪の代価を私の代わりにイエス・キリストという方が為したのだと。それを受け入れ、これまでの生き方を悔い改め、イエス・キリストを信じるか?聖書が問いかけてきたのでした。(2コリ5:18−21)私は自分の境遇を言い訳にそれまでの罪を弁解してきたのでした。神の敵として生き、神を恨んでいたことすら告白せざるをえません。(ローマ5:6−11)しかしここに私とは比べものにはならない程の過酷な試練に堪え、なおひとつも罪を犯さなかった方がいるのです。キリストは私の罪のために死んだ、そして三日目に甦った。疑い深いトマスの様な人間である私はにわかに信じられない思いでもありました。しかし未だキリストの死と復活が事実でないと論理的に整合性をもって証明した人は一人もいないのです。私は二つの選択を迫られました。すなわち信じるか、信じないか?様々な証拠を並び立てるなら復活は動かしようのない事実、聖書によって裏づけられたイエス・キリストを信じても何も失うものはありません、それどころか永遠の命を与えられます。しかし信じなければあの世で永久に後悔することになるかもしれないのです。聖書によるとどちらかしかありません。

 キリストの贖いと復活、聖書の真実性、頭では理解できても心がついてゆきませんでした。私は生まれて初めてこんな祈りを神に捧げました「神様どうかあなたを信じる信仰をください」神は私の祈りに答えられました、神は信じたいと願う小さな思いすら捉えられます。そうして半年間の学びを経て2004年5月バプテスマを授かりました。救われて変わったことは自分中心から神中心の生活になったことです。人の目は欺くことができます、しかし神の目はごまかすことはできません。たとえ表向き良いと見られる行為ですら神はその本心を見抜いておられます。(ヘブル4:13)人の目ではなく神の目を意識する様になりました。神に喜ばれることをしたい、イエス・キリストをもっと知りたいというのが私の思いであります。時に寄り道したり、脇にそれてしまうこともありますがその歩みは今でも続いています。

 また神は10年ぶりに父と会う機会と時と勇気を与えて下さいました。父方の親戚づてに父が末期ガンで入院していると聞きました。正直これまでの事情から父に会いたくないという気持ちもあったのですが、聖書にはこうあります。あなたの父と母を敬え(出エジプト20:12)そこに条件はありません立派な親だから敬えという訳ではないのです。たといどのような親であれ、そうしなさいという事、生みの親を敬えない者が天の父を敬えるでしょうか?父は愛知の病院にいました。片道4、5時間かかるので多くは見舞えませんでしたが、それでも4,5回見舞う機会がありました。いや、神がそうなさったというべきでしょう。私がキリスト者でなければ、そのまま無視するという選択もありえたのではないかと思います。

 結局父は福音を受け入れることなく死んでゆきました。どうやら父は日本の多くの男性がそうであるように、宗教=弱いというイメージがあった様です。しかし私の確信しているところによれば、全ての人は神を必要としないでいられる程強くはないのです。むしろ神とともにあるからこそ強くあることができます。(2コリ12:9−10)私もまた自分の痛みを、弱さをキリストにあって人に伝えられる事、実に感謝なことです。人は誰でも弱さをもっています。その弱さをへりくだり,神にあずけ委ねることのできるキリスト者とはなんと幸いなことでしょう。(マタ5:3、4、11:28−30)

 今振り返ってみて思うのです。私のあのつらい時期にあっても、確かに神は私を愛し、共に苦しみ、誤った道を歩んだ時には心を痛められたということ。そのような経緯がなければ、恐らく自分の罪に気ずくこともなく、頑なに神を受け入れることもなかったでしょう。そもそも松本へ来て、妻と会いキリストを知ることもなかったでしょう。妻もまた私とは異なる状況ではありますが、やはり父親との関係において大きな傷をもっていました。そんな彼女を私はよく理解できるし、だからこそ二人でキリストの愛の中より良い家庭を築き上げたいと願っているのです。今まで私を守って下さった方はこれから何があっても守ってくださることを信じています。

  「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 ローマ 8:28