マキシミリアノ・マリア・コルベは、1930年日本に来て、長崎で修道院をはじめ、永井隆は彼を治療した。後、コルベは、ポーランドの大きな修道院の指導者になった。彼は、広く普及した新聞をはじめたから、ナチスは彼を捕らえ、アウシュビッツ収容所の16670番になった。
7月、ある人が脱出した。ナチスは、報復のために囚人10人を集めた。一人が「私のかわいそうな妻や子ども」とつぶやいた。コルベは、前に出た。「私には家族がない。彼の代わりになりたい。」コルベと他の9人に食料や、水をあげなかった。二週間、たってコルベと他の3人が生きていたが、ナチスが彼らを始末した。
「わたし(イエス・キリスト)があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」聖書・ヨハネ15:12−13
イエス・キリストは、十字架上で、コルベ神父のために「いのちを捨て」、コルベの「代わりとなった。」この上もない愛の犠牲である。コルベは、この莫大な愛に活かされて、隣人を愛し、「彼の代わりにたった。」