Tuesday, July 26, 2011

永井隆 (I)


私のこのブログは、ブレーズ・パスカルの本パンセ(黙想という意)から名前を借りているが、もう一人尊敬する信仰の先輩永井隆がパスカルのパンセに大きく影響された。高校生の頃、永井は、パスカルのパンセの「人間は考える葦である」という言葉にとらわれた。パスカルは、詩人であり、科学者でもあった。永井は、同じように、科学者と詩人になった。

パスカルは、次のように教えていた。理性に対して二つの間違った考えがある。一つ、理性に頼りすぎると、荒れ地である懐疑主義に迷い込む。二つ、怠けや無関心から来る愚かさによって断念し、真理を追求しない。ただの人間の理性は、二流の科学的な事実(inferior scientific truths)のみに達し、最高の客観的真実(highest objective reality)に到達できない。最高の真実は、知恵によっていただく。また、なる科学的事実よりも、ずっと大事である。最高の真実は「心の目で見る。」人間の理性は、助けられなければ、生命の親密(mystery of life)や神についての真実を見抜く事はできない。<参考:Paul Glynn、A Song for Nagasaki>

パスカルは、こう書いた。「心は、理性の知らない理性をもっている。」パスカルは、このようにも書いた。「信仰(faith)は、神の賜物(恵み)である。。。(信仰があたえられるように)祈らなければならない。」

私が前書いたように、人間の思いには限度がある。東日本大震災を思い出すと、人間と科学「葦さ」(弱さ)がよく見える。全て想定外でした。先ず、地震の強さ〜9.0。津波の高さー15メターなど。原発のバックップ電源が作動しない。

パスカルや永井とともに言いたい事は次。私たち人間が自分の限度を認め、謙って、創り主の啓示が必要だ、と認める。自然を見ると、神の力や、恵みが見える。聖書を読むと、その神の素晴らしさ歴史においてより分かる。また、聖書が恵みと真に満ちているイエス・キリストを表している。このお方に、私たちが人間が望んでいること全てがある。

*私は、英語で書いてあるA Song for Nagasaki (著者Paul Glynn)の本を参考にしている。このブログで続けて、永井隆の人生や、言葉から学びたい。