自民党:なんか目も合わせてもらえないような状態ですが、自身の進退についてどう考えていますか?
海江田:私は・・・自分の価値はどうでもいいですよ、ほんとに 。(去ろうとして) ・・・申し訳ない、ちょっと言葉がね・・・私はいいです、自分の価値は・・・(涙)
自民党:大臣が精神的にツライのはわかりますが、この国がどうなるんだという考えは捨てないで頂きたい。
私のこのブログは、ブレーズ・パスカルの本パンセ(黙想という意)から名前を借りているが、もう一人尊敬する信仰の先輩永井隆がパスカルのパンセに大きく影響された。高校生の頃、永井は、パスカルのパンセの「人間は考える葦である」という言葉にとらわれた。パスカルは、詩人であり、科学者でもあった。永井は、同じように、科学者と詩人になった。
パスカルは、次のように教えていた。理性に対して二つの間違った考えがある。一つ、理性に頼りすぎると、荒れ地である懐疑主義に迷い込む。二つ、怠けや無関心から来る愚かさによって断念し、真理を追求しない。ただの人間の理性は、二流の科学的な事実(inferior scientific truths)のみに達し、最高の客観的真実(highest objective reality)に到達できない。最高の真実は、知恵によっていただく。また、単なる科学的事実よりも、ずっと大事である。最高の真実は「心の目で見る。」人間の理性は、助けられなければ、生命の親密(mystery of life)や神についての真実を見抜く事はできない。<参考:Paul Glynn、A Song for Nagasaki>
パスカルは、こう書いた。「心は、理性の知らない理性をもっている。」パスカルは、このようにも書いた。「信仰(faith)は、神の賜物(恵み)である。。。(信仰があたえられるように)祈らなければならない。」
私が前書いたように、人間の思いには限度がある。東日本大震災を思い出すと、人間と科学「葦さ」(弱さ)がよく見える。全て想定外でした。先ず、地震の強さ〜9.0。津波の高さー15メターなど。原発のバックップ電源が作動しない。
パスカルや永井とともに言いたい事は次。私たち人間が自分の限度を認め、謙って、創り主の啓示が必要だ、と認める。自然を見ると、神の力や、恵みが見える。聖書を読むと、その神の素晴らしさ歴史においてより分かる。また、聖書が恵みと真に満ちているイエス・キリストを表している。このお方に、私たちが人間が望んでいること全てがある。
*私は、英語で書いてあるA Song for Nagasaki (著者Paul Glynn)の本を参考にしている。このブログで続けて、永井隆の人生や、言葉から学びたい。
神は、天地を創られた時、男女を創りました(創世記2章)。神は、アダムを創った後、エバを創りました。「神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。」聖書・創世記2:21−22
この箇所は、3500年前、モーセによって、書かれました。聖書の深さ、神の知恵と愛を悟って下さい。Matthew Henryは次のようにコメントしています。「(女は)男に勝るために頭から、あるいは男に踏みにじられるために足から造られたのでもなく、男と平等であるべく脇腹から、守られるために男の腕の下から、そして愛されるために男の心臓の近くから造られたのである。」(英文:“Not made out of his head to top him, not out of his feet to be trampled upon by him, but out of his side to be equal with him, under his arm to be protected, and near his heart to be beloved.”)
Matthew Henry(1662−1714)は、イギリスの長老教会の牧師で、多くの聖書の注解書(説明する本)を書き、今もその本は多く使われています。
「半世紀前、私がまだ子どものころのことです。ロシアに大きな災いが振りかかった理由を幾人かの老人が次のように語っているのを聞きました。『人は神を忘れてしまった。そのせいでこんなことが起きたんだ。』それ以来、私はおよそ五十年を費やしてこの国の革命の歴史を研究してきたのです。その間、何百冊の本を読み、個人の証言を何百と集め、あの大激変が残した瓦礫を一掃しようと、八巻の著書をすでに仕上げました。しかし、今日、約六百万人の同胞を飲み尽くした破壊的な革命の主たる原因をできるだけ簡潔明瞭に述べるよう言われたら、あの言葉を繰り返すのがいちばん正確でしょう。『人は神を忘れてしまった。そのせいでこんなことが起きたんだ。』」
スルジェニーツェン・アレクサンドル、ノーベル文学賞作家。預言者のような存在で、宗教に対しても鋭く語っている。クリック>Wikipedia。「聞く耳のあるものは聞きなさい。」
今管総理が叩かれています。「NHKが行った世論調査によりますと、菅内閣を「支持する」と答えた人は16%です。」一番多き理由は、多分、東日本大震災の支援の遅さではないでしょうか?しかし、日本の歴史を見ると、リーダーの背後に操っていた者がいたのです。藤原家や北条家。今、総理の足を引っ張っているのは誰でしょうか?東京電力?自民党?自分の民主党?官僚?
私たちクリスチャンは、背後で静かに、違う事をしたいものです。聖書・1テモテ 2:1−3にこう書いてあります。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」皆が攻めても、皆が誉めても、良くても、悪くても、リーダーの為に祈るのです。私は、週に一回、オバマ大統領、管総理、浜田香川県知事、横山三豊市長の為に祈っています。。。。また、毎日、東北の皆の為に祈っているのです。
言葉に注意しましょう。管総理などを言葉で批判するよりも、彼の為にリーダーの為に言葉を救いの神に向け、祈りましょう。
『一九八七年、ベルファスト西部の小さな町で、復員軍人の日に戦没者を記念するために集まっていたプロテスタントグループの真ん中でIRAの爆弾が爆発した。十一人が死亡し、六十三人が負傷した。ところが、負傷者の一人、ゴードン・ウィルソンの言葉が、このテロを数多くの他のテロ行為と全く別のものにした。ウィルソンは敬虔なメソジスト(クリスチャン)で、アイルランド共和国から北部アイルランドに移住し、生地屋として働いていた。この爆弾テロによってウィルソンと二十歳になる娘は一・五メートルもあるコンクリートと煉瓦の下敷きになった。「パパ、愛してるわ。」これが、マリーが救出を待ちながら父親の手を握りしめて語った最後の言葉だった。彼女は脊椎と脳を損傷し、収容先の病院で数時間後に死亡する。
新聞は後にこう報じた。「そのとき政治家たちが言ったことを、だれも覚えていない。しかし、ゴードン・ウィルソンの話を聞いた人は決してそれを忘れられないだろう。」彼の恵みは、爆弾テロリストたちの哀れな言いわけの上に高くそびえ立った」と。ウィルソンは病院のベッド語った。「私は娘を失いました。でも、不平は言いません。辛辣な言葉を語っても、マリーは戻ってきません。私は祈ります。今夜、そして毎晩。神が彼らをお赦しになるように、と。」
彼の娘の最後の言葉は愛だった。そしてゴードン・ウィルソンは、その愛の飛行機に乗って人生を生き抜く決意をする。ウィルソンががその週BBC放送のラジオで同僚のインタビューを受けたとき、「世界が泣いた」と報道された。
ウィルソンは退院後、プロテスタントとカトリックの和解をめざす改革運動を導く。プロテスタント過激派は報復爆撃を計画していたが、ウィルソンに対する世間の注目度があまりに高いため、報復行為は政治的に意味がないと言う結論を下す。ウィルソンは自分の娘のことを本に書き、暴力反対の声をあげ、いつも「愛こそ決め手」という文句を繰り返された。IRAと会い、個人として彼らの行為を赦し、武器を捨てるように頼んだ。「あなたたちも私と同じように、愛する人を失ったことを知っています。」彼は語りかけた。「確かにそうです。でももうたくさんです。血はもう十分に流されました。」
アイルランド共和国は最終的にウィルソンを上院議員にする。彼が一九九五年に亡くなったとき、北部アイルランド、そしてグレート・ブリテン全体が、この一人のクリスチャン市民をたたえた。彼が名誉を得たのは、数まれなる恵みと赦しの精神ゆえだった。しかし、彼の精神は、その一方で、復習のための暴力行為をあばきだした。そして、その平和をつくりだす人生は、決して大きく取り上げられることもない人々が抱く平和への願いを象徴するようになった。』
フィリップ・ヤンシー
イエス・キリストの十字架上での言葉『父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているか分からないのです』(聖書・ルカ23:34)は、私たちの模範でもあります。しかし、私たちは、このように敵の為に祈る力はどこから来るのでしょうか?その同じ言葉から来ます。イエスは、十字架上で私たちの罪を赦す為に死なれました。私たちの罪を償ったのです。人を赦せない罪を悔い改め、十字架の恵みを信じ、そこに生きている者が敵をも赦し愛せるのです。イエスの赦しと愛にどっぷり浸かりましょう。
「昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。。。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」聖書・ヘブル人への手紙11:2、3、6
アパロ8号宇宙飛行士が聖書の創世記1章の「はじめに神が天地を創られた。。。」等を宇宙から読みました。英語ですが、Youtubeで見て聞いて下さい。YouTube - In the Beginning God created heaven and earth. Apollo 8 Message
グレーンピースのJan Beranekによると、国は福島市の方々に『普通の生活に戻りなさい』と言いながら、土などに放射能の高いレベルがあるのです。人の健康に害を与えます。政治の行動は、遅すぎ少なすぎます。「チェルノブイリ災害と比較すると、福島市で見られる3、4倍低いレベルの放射能で、ソビエトはそこに住んでいる皆を避難させました。」(英:If you draw a parallel to the Chernobyl disaster, then actually the Soviets decided to evacuate everyone living in the place, where radiation was three or four times lower than what we see in Fukushima City today。)英語ですが、Youtubeで見て聞いて下さい。YouTube - Daily life in Fukushima: 'It was like visiting another universe'
4月、私は、香川の教会の方と一緒に、石巻市で奉仕しに行った時、福島市を通りましたが、何分(minutes)だけでした。福島の皆さんは、3ヶ月以上そこに住んでいます。とても気になります。
国は、真実を語っていない、とJanが言いました。ある新聞はイエス・キリストの言葉を引用しました。「真理はあなたがたを自由にします。」聖書・ヨハネ8:32 皆が正しい判断が出来るように、真実な情報が必要です。
。。。私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。
私の望みは神から来るからだ。
神こそ、わが岩。わが救い。
わがやぐら。私はゆるがされることはない。
私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。
私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。
まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。
はかりにかけると、彼らは上に上がる。
彼らを合わせても、息より軽い。
圧制にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。
富がふえても、それに心を留めるな。
神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。
力は、神のものであることを。
主よ。恵みも、あなたのものです。。。
『ウオルター・ウィンクが、大二次大戦が終結して10年後にポーランドのクリスチャン・グループを訪ねた二人のピースメイカー(和解をつくる人)について語っている。ピースメイカーたちが尋ねた。「西ドイツのクリスチャンと会う気持ちはありますか。彼らは、戦時中ドイツがポーランドに犯した行為について赦しを請い、新しい関係を築きたいと願っているのですが。」
ポーランドの人たちは、最初、黙っていた。やがて一人がきっぱりと述べた。「あなたがたは無理を言っています。ワルシャワの石はみなポーランド人の血に染まっています。赦すなどできません!」
けれども、ピースメイカーたちがこのグループのもとを去るときに、いっしょに主の祈りをささげることになった。「我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」のくだりにさしかかると、みな祈るのをやめた。部屋の中に緊張が走った。先ほど語気荒く語ったポーランド人が言った。「あなたがたに『わかりました』と言わなければなりませんね。赦さないなら、もう『我らの父』に祈ることができないし、自分をクリスチャンと呼ぶこともできませんから。人間的には赦すことができませんが、神はその力を私たちに下さるでしょう!」十八か月後、ポーランドとドイツのクリスチャンはウィーンで会見し、友情を確立した。そしてそれは今日も続いている。」