Tuesday, November 23, 2010

『陽気な物乞い』


「恵みはわれわれの求めの十分な、子どもらしい、楽しい受け入れ、絶対依存による喜びを与える。われわれは『陽気な物乞い』となる。」C.S.ルイス

C.S.ルイスは、この文書の前にこのようなことを書いています。 もし人間が輝いているとすれば、その輝きはまったく人間を照らしている太陽(太陽は創り主を例えている)から来ているということを認めながらも、それを悟ることはほとんど不可能であるのです。高慢な人間は、固有の光輝を持っているに違いないと思っているのです。人間は、自分がまったくの被造物であるにすぎない、と考えられないのです。人間が、全てのものが神の恵みによって与えられていることを悟り、人間が極めて神に頼って存在してることを認めいているなら、その人間の内に喜びが豊かにあり、『陽気な物乞い』 と言える、とC.S.ルイスは言っているのです。

私には、私たちの主イエス・キリストの十字架(の恵み)以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」聖書・ガラテヤ6:14

Monday, November 22, 2010

文化祭


21日に、私たちの子どもが上高瀬小学校で文化祭をenjoyしました。

ここで皆が歌っています。ジャシュア、シェーンとホサーナがどこかにいます。

シェーンは、シエーンのセリフがありました。

ジャシュアのクラスの発表で、ジャシュアにメインのセリフー松尾芭蕉ーが与えられました。*松尾芭蕉は、『隠れキリシタン』だったそうです。Maybe!? (インターネットで<松尾芭蕉、キリシタン>を検索して下さい。)なら、ジャシュアにあう役でした。

ホサーナも、発表しましたが、発表会の後、皆で学校のダイニングルームでうどんをためました。

上高瀬小学校の皆にイエス・キリストの恵みが豊かにありますように。

Saturday, November 20, 2010

「父の愛、神の愛」3


高瀬キリスト教会にて 2008/04/06

(写:右〜安藤まりさん

。。。続き

次に母のことですが、父の亡き後、母は13年間1人暮らしをしました。母は記憶の衰えを感じてきて、最後の3年間を私たちの横浜の家で一緒に暮らしました。

母と私は、共にかもい聖書教会の礼拝に通うことができました。昔から母と私は口喧嘩をすることは多かったのですが、そのようなことを通しても、母にとっても、私にとってもさらに自分の罪と弱さを徹底して知らされ、神さまにより頼むことの信仰の訓練の時となりました。

2人で共に毎朝み言葉を読み祈ることができました。母との葛藤の中にも、神さまが私たちと共にいて守ってくださいましたことをほんとうに感謝しています。

母もまた神さまを信頼し続けて、1カ月の入院を経て、私たち家族の見守る中、私の祈りのうちに、天の神さまの元に召されました。晩年の母との3年間の生活ではありましたが、それは確かに神さまからの大きなプレゼントでした。

私たちは、ほんとうに弱いもので、目先のことに翻弄されやすく、試練の苦しみの中にある時自分の力でなんとか解決しようと焦ったりして、神さまを見失いやすいものですが、私たちの神さまは、いつも私たちを決して見離さずに愛して養い育てていてくださっています。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ828

Ⅱコリント129,10「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

私の持ち物で、神さまから頂いていないものは、何1つないわけで、両親の残してくれたこの家も、神さまの御用に使っていただきたいとの長い祈りに、神さまがジャンカー宣教師家族を遣わしてくださり、今教会として、また英会話クラスを通して、神さまの救いのみ言葉がこの高瀬に少しづつ広がり始めていることを、ほんとうに喜んでいます。

高瀬の地に、愛なる神さまがこれからどのようなご計画をもっておられるのか、私たちは一歩一歩をみ言葉に導かれながら、救い主なるイエスさまから目を離さないで従いながら、天に続くその道を進ませていただきたいと願っています。

終わり

Friday, November 19, 2010

「父の愛、神の愛」2


高瀬キリスト教会にて 2008/04/06

(写:右〜前川忠夫氏の子どもの時代の家

。。。続き

次に、父(前川忠夫)と母に成してくださった、神さまの計り知れない愛をお話させていただきます。

父は、知事を12年間務めさせていただいて退任した翌年の、昭和61年(1986年)、末期癌で後1年と宣告されました。私はこどもの頃から神さまのように思っていた最愛の父と永遠の別れをすることは考えられず、父がこの地上から姿を消すということは、耐え難いことでした。しかし、人は必ず死ぬということは悲しいかな、受け入れなければならないことであり、ならば絶対天国で再会したいとの強い願いが、私の心に沸き起こりました。

「神さま、父が神さまを信じて、イエス様の十字架の救いをいただいて天国に行けますように。父が神さまを信じて救われるまで、決して命を取らないでください。お願いします。癌の苦しみを和らげてください。」と、毎日ほんとうに真剣に祈りました。悲しみと心配と不安の苦しみの心が、神さまに祈り委ねることで、不思議にいつも平安に変えられていました。

ピリピ46,7「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」このみ言葉が真実であることを、何度も経験させていただきました。

祈りながら、手紙やビデオやテープを送り伝道しました。何度か高松に見舞いにも帰りました。

私の信仰をみて、父は「まりは、よいものを信じることができたね。」と感心して喜んでくれてました。そして「お父さんも、どう祈ったらいいのかなあ?」と聞かれました。父も癒されることのない辛い癌との闘病の中で、死に向き合い、偉大なる神を意識し恐れたのでしょう。

もう父の病状も終末にきていた頃、父は母の教会のカトリックの神父さまの訪問を受けました。

父は、神父さまとお話をした後、お祈りに合わせて、アーメンと3回繰り返し、涙を流したそうです。父が病床洗礼の恵みをいただいたということを、妹が横浜の私に電話で知らせてくれました。それを聞いた時、神さまはほんとうに生きていらして、私の祈りに応えてくださって、ほんとうに願いを叶えてくださったと喜び驚きました。この宇宙を創造され支配されておられる神さまが、こんな小さな小さき者の願いを叶えてくださったことが、あまりの驚きで歓喜!であり、涙が溢れて感謝の祈りを捧げました。

救いの恵をいただいた父は、平安のうちに3日後に天に召されました。臨終の場には、母と横浜から私と奈良から妹が間に合って家族は揃い、祈りの内に父を天に見送ることができました。

最愛の父と地上での別れは、私は予想外にも悲しみでなく、天での再会の希望が叶えられた喜びと感謝となりました。人の思いを越えた神さまの計り知れない深い愛と、救いの不思議さを思わされたものでした。ハレルヤ!

続く。。。


Thursday, November 18, 2010

「父の愛、神の愛」1


高瀬キリスト教会にて 2008/04/06

(写:左〜安藤眞里&家内の奈帆)

こんにちは。安藤眞里と申します。私の父がこの家の長男として生まれ、私の子供の頃は、私たち家族は高松に住んでいました。お正月や夏休み、春休み、また連休などには、親孝行であった父は、たびたび私たちを連れてこの高瀬の音田に遊びに来ていました。

すでに祖父母が亡くなり、私の父も召されて20年、母が召されて4年が経ちますが、このような形で、私が高瀬に戻ってくることがあるとは、夢のようです。

現在は、ジャンカー宣教師ご一家が、この家を教会として神さまの福音を伝えるために働いていてくださっています。また子供の頃から馴染みの近所の親類も、私と同じように年を重ねて、今も健在でいてくれます。

今は高松-高瀬間も、高速道路を利用して車で1時間で行き来できるようですが、昭和30年台頃は、高松駅から煙を吐く黒い蒸気機関車で善通寺駅まで来て、そこから1時間に一本の大日峠を越えるバスで崖の側をくねくねした道路を恐々と乗っていたことを思い出します。鳥坂といいましたか、この上の火の見やぐらのところの先に、バス停留所がありました。そこからはこの家まで歩いて10分ほどでしたが、高松から2時間以上かけて、この家を訪ねて来ていました。

私にとっては、高松とともに、この音田は、小さい頃から家族で過ごした思い出深い、懐かしい大切な古里です。

祖父が昭和49年(1974年)に亡くなってからもう30年が過ぎますが、その間母が定期的に掃除に通っていました。私も、帰省のたびに母と共に、この家を訪れていました。いつしか、この家をいつまでも閉め切った空き家にしているのはほんとうにもったいないと思うようになり、この家も神さまのお役に立てることができればと、来る度に祈るようになりました。

ここで、少し父の話をしたいと思います.。父は若い頃結核を煩って長く闘病生活をしましたが、何度も生死の間をさまよう経験をして、その後の人生の価値観が作られたと思います。内村鑑三、新渡戸稲造などキリスト教の信仰者から大きな影響を受けていたようでした。よく言われたことばですが、「悠久の今」、永遠の時間の中で、今すべきことに最善を尽くすという考え方でした。私の知る所においては、人間を差別しないで、人の悪を批判しない人でした。(父の心の中のことは、神さまがすべてご存知ですが、子供の私にはそのように見えました。)

私は妹と2人姉妹ですが、私は父の40歳の時の初めての子供で、大変可愛がられて育ちました。厳しく叱られた思い出も少しだけありますが、ほんとうに優しく寛容で懐の大きな父を、私は大好きで尊敬し、ある時期までは神さまのように思って大きくなりました。

次に、私自身の信仰をもつに至るまでのお話しをします。

母は私が小学生の時にカトリックの洗礼を受けて、母の薦めであり、また父も賛成してくれて、高校と大学は、キリスト教のミッションスクール(岡山のノートルダム清心)に入学し、寮生活をしました。

そこでの7年間に、私は聖書の教えの環境の中で過ごし、後にほんとうの天地創造の天の神さまに救われる下地を養われたと思います。実は、高校時代にキリスト教の洗礼を受けていたのですが、まだ聖書も罪も、神さまを恐れることも祈りも知らないものでした。

小さい頃から、親にも学校の先生にも可愛がられて、常にいい子を通してきた私も、大学卒業の頃には、本当の自分の気持ちや感情を表に出すことが下手で無意識にストレスから、いつしか私の神経は傷ついており、卒業と同時に、心を病んでしまったのです。

実家に戻ってから、私はとうとう眠れなくなり完全におかしくなって、父と母は、どれほど心配したことでしょう。両親は、私を自由にのびのびと育てたつもりでしたが、私は大学は出たものの、精神の病を患っていました。

その時、私はそれまでの人生で経験したことのない真っ暗闇の中で、深い深い精神的な苦しみの中を放浪していました。その苦しみの中から、なんとかして元気に普通の生活に戻りたいと心から願ったものです。この時の経験は、もう学歴も、地位や名誉も、財産も、お洒落もご馳走も大きな家も何もいらないと、本気でそう思いました。健康な精神と心と体がほしいと懇願する思いでした。この時の気持ちは、それまでの私の価値観を180度変えてくれたといってもいいでしょう。

それまでは、人より少しでもより高いもの優位に立つことを求めていたように思いますが、平凡でいられることは、なんという幸せ、それ以上のものを求めることは、私にとってあまり価値がないように思うようになりました。

それまで少しは持っていた自分の自信はどこかへ行ってしまい、なんと自分は弱い者であるかということを、いやというほど知らされました。それまで、私は弱いなどという言葉さえ口にも出したことがない傲慢な人間でしたが、自分の弱さを徹底的に知らされたことは、すばらしい恵みであり、この病は私には無くてはならなかったものであったとほんとうに感謝しています。(自分の弱さを知らず、また認めようとしないことほど、哀れなことはないと思います。)

私は人の目が気になり、人にどう思われるかということが、とても気になる人間でしたが、社会的な立場を気にしなくなったことがそのことから解放されるきっかけになってこの病からひとまず抜け出ることができたように思います。「人を恐れると、罠にかかる。」という言葉は真実です。

しかし、まだこの頃は、神さまを信じるまでには至っていませんでした。

主のあわれみにより、24歳で結婚し、横浜に住んで35年が経ちました。(年がわかってしまいましたね。)

初めは社宅に住んで、そして5年後、昭和53年(1957年)、今の横浜市緑区鴨居に引っ越しました。すぐ近所に、プロテスタント教会の家庭集会が開所したばかりでした。神さまは、私の引越しにタイミングを合わせて、教会をすぐ近所(歩いて2分の所)に開いて待っていてくださったのでした。

それまでカトリックの学校や社宅時代にしばらく学んだものみの塔を通しても、私は聖書にはとても魅かれていました。また2人の息子の育児をする中で、子育ての価値観の基準になるものを、探していました。

私は、聖書をもっとよく知りたいと思い、導かれて「聖書を読む会」に入れていただきました。ここでのSYKのテキストの学びを通して、聖書を楽しみ喜んで学び進めました。聖書の真理を疑うことができない思いがありましたが、そこでもまだ、自分の罪とイエスキリストの十字架の意味が頭の理解でしかありませんでした。それから何年も学び続けて、礼拝にも出ていたのですが、ある時、自分の罪深さを思い切り知らされる出来事を経験させられました。

私は3人目の子(娘)の子育て中でしたが、子供の友だちのお母さんとのお付き合いの中で、どうしても自分の本心を表わすことが出来ず、表面ではいいお付き合いをしているようでも、内心はとてもそのお付き合いが苦痛でしかたありませんでした。話し合うこともできず、自分の姿勢をはっきり示すこともできず、ただ表面上は仲良くお付き合いして相手に不誠実である自分の心の偽りが、はっきり神さまに示されて、自分の罪を体中で感じてその重さに打ちのめされるほどでした。人類一人一人の罪の身替りになって十字架にかかってくださったイエス様のことを知らなければ、立ちおおせないほどでした。この時に、私はこれま学び続けていたイエスさまの十字架は、私の罪のためであったということをはっきりと実感として知らされて、悔い改めの洗礼を受ける決心に導かれました。

Ⅰコリント123b「聖霊(神)によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(この時、聖霊が私に働いて、罪を示されたのだということが、後でわかりました。)

受洗から16年が経ちますが、かもい聖書教会の教会員として、信仰の歩みをさせていただいております。

続く。。。

Monday, November 15, 2010

国分寺キリスト教会の特別集会


11月12日、私たちは、国分寺キリスト教会の集会をenjoyしました。

家内の奈帆がピアノをひきました。

菅原牧師は、司会をしました。

川村さんは、キリストとの出会いについて語りました。

岩井牧師は、メッセージをしました。「失望に終わらない本物の希望」について語りました。聖書・ローマ5:5、8「 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、。。。神の愛が私たちの心に注がれているからです。。。私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」アーメン!!!

後、私たちの知り合いの麺輝屋でうどんを食べました。Goooood!!!

Sunday, November 14, 2010

『赦し』


「あなたがたクリスチャンに対して一番ねたましいことはあなたかたの赦しです。誰も私のを赦してくれる人はいません。」マルガニタ・ラスキ、イギリスの小説家、ユダヤ人、無神論者

“What I envy most about you Christians is your forgiveness. I have nobody to forgive me.” Marghanita Laski

しかし、ユダヤ人でもあった主イエス・キリストは、罪を赦すためにこの世に来て、十字架上で、罪人の受けるべき罰を代わりとなって受けました。「父よ、彼らをお赦し下さい」と十字架上で祈ったように、イエス・キリストとその十字架の言葉を信じ受け入れるものには、罪の赦しをいただけるだけではなく、神の愛が与えられるのです。唯一の神であるイエス・キリストは約束したのです。”ラスキさん、あなたも神の赦しを体験できます。誰でも体験できます。”