「主は私の羊飼い、わたしには何も欠けることがない。。。憩いの水のほとりに伴い、 魂を生き返らせてくださる。」聖書・詩編23編
Wednesday, June 29, 2011
ジャンカー家のクールビズ
Tuesday, June 28, 2011
異常な行動
「私たちの魂を虐げ、私たちをボロボロにし、いろいろな形で私たちに危害を加えた人々を祝福することは、どんなことよりも異常な行動である。」エリザベス・オコナー
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」聖書・1ペテロ3:9
キリストの十字架によって祝福を受け継いだ私たちは、それを心に思い巡らせば思い巡らすほど、自分を侮辱する人を祝福することができます。全ての源であるキリストとその十字架を信じ仰ぐのです。
Monday, June 27, 2011
レオマワールド
Friday, June 24, 2011
「お山の大将」
『暮らしている所の汚染された空気にもはや気がつかない都市生活者と同じように、私たちは「恵みでないもの」の空気を知らずに吸い込んでいる。早くも幼稚園にあがるころからテストされて評価を受け、「上級」「普通」「要努力」コースへと区分けされる。その時から数学、科学、読解力、「社会性」や、「市民としてのあり方」にまで等級をつけられる。テストの答案は、間違いがー正解ではなくー強調されて返ってくる。現実世界にあるのは容赦ないランキング、子供の間でよくやる「お山の大将」ケームの大人版だ。』フィリップ・ヤンシー
Thursday, June 23, 2011
Wednesday, June 22, 2011
「彼らを赦します」
Sunday, June 19, 2011
地元のリーダーが疲れ果てている
Friday, June 17, 2011
あなたも、大本に戻りませんか?
Thursday, June 16, 2011
上が見えない
Wednesday, June 15, 2011
Monday, June 13, 2011
落語家・女優 露のききょう
ききょうさんは、子どものころからお笑い好きで、自作自演で漫才をしていました。
「初めて来た人にはお弁当くれるんやて。」
「ほな、行こか。」
彼女は、食い気に誘われて教会を訪ねたことがきっかけで、関西に帰ってから西宮バプテスト教会に通うようになりまた。「そして、ある日突然、十字架が自分の中に入ってきたんです」と言う。
ききょうさんが信仰を持つ決心をしてから20年を余りを経て、忍ヶ丘キリスト教会で洗礼を受けました。「ずっとクリスチャンと思って生きてきたが、洗礼はやはり大きなステップになった。」
彼女は、いろんな面で確信を持って事に当たることができるようになりました。もともと楽観的で陽気な性格でしたが、信仰の確信がさらに自信をもたらしました。
「絶対いいことがいっぱいある!絶対クリアできる!という確信があふれてくるんです。これは絶対、生きる上ではもちろん、仕事面でも大きなプラスになります」
Sunday, June 12, 2011
私はこの世とは違う世界に合うように造られた
Thursday, June 9, 2011
喜び、喜び、喜びの涙
GOD of Abraham, GOD of Isaac, GOD of Jacob,
Not of the philosophers and of the wise.
Security, security. Feeling, joy, peace.
GOD of Jesus Christ, God of Jesus Christ
Thy God shall be my God.
Forgetfulness of the world and everything else, except GOD.
He can be found only in the ways taught in the Gospel.
Greatness of the human soul.
Joy, joy, joy, tears of joy.
Wednesday, June 8, 2011
Sunday, June 5, 2011
地震のとき、災難のときにも
「ロサンゼルス、カリフォルニヤ州(AP)。1994年1月17日、サン・フェルナンド・バレー地方を襲った地震は、ポルノビデオ制作者たちの使っていた高価なビデオ装置を破壊した。全国のポルノビデオの80%を生産しているこの地域は、震源から8キロの距離に位置し、大きな打撃を受けた。」サン・フェルナンド・バレー地方に住む私たちの多くは、この記事を読んで、複雑な気持ちがした。天使の町(ロサンゼルス)に神のさばきが下ったのだろうか。それとも、堕落した天使の町に下ったと言うべきであろうか、と。
ロサンゼルスに住むクリスチャンたちの中には、即座に地獄の火について語り、昔、罪深い人々に対して神が罰をもって報いられたことを友人や隣人に思い起させる人々がいた。けれども、私たちは「昔」を強調しなければならないと思う。なぜなら、ロサンゼルスが当然受けるべき罰を今も受けずにすんでいると思うからである。神は十字架のあがない(救い)をなさって以来、ポルノビデオ施作者を含めて、罪深い私たち人類の扱い方を全く変えられたのだから。
雷が落ちても、エイズが蔓延しても、土砂崩れでこの町が埋まっても、それからが神の罰のように見えるし、そんな気持ちにもなる。しかし、事実はこうだ。神はもはや、天罰を用いず、私たちをいつくしみとあわれみで扱ってくださる、ということである。
もし人々が当然受けるべき罰を受けていたとしたら、この古い小さい地球は、何世紀も前にとっくに崩壊していたに違いない。
神は偉大なる愛です。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みである。主のあわれみは尽きないからだ」(哀歌3:22)。神はいまも、この罪に汚れた地球に住む私たちをあわれんでくださる。日ごとにいただく神の恵みによって、与えられたいのちを生きることができる、と私たちは堅く信じている。
それだから、地震のあと、夫のケンが家の周りの倒木を片づけ、窓が拭いていた間、私は裏庭にいて讃美していた。サン・フェルナンド盆地を見渡しながら、「われらの神は畏れるべきかな。神は知恵と力と愛をもて、天を治める方、。。。おお神は尊ぶべきかな」と。畏れるべき神、力強い神であって、しかも愛といつくしみにあふれる神である。その神がなぜ地震、洪水、吹雪の起こるにまかせておられるのか、私たちには理解できない。
シロアムの塔が倒れ落ち、18人が死んだとき、主イエスの弟子たちも同じようにこの難しい質問をしている。イエスは彼らが天罰だと思っているこを知り、こう答えておられる。「シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人は、サアレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうでなはない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ13:4、5)と。イエスは天災は、人々への天罰というよりも、悔い改めよ、と呼びかけであると説明しておあられる。目覚めよ、といいう警鐘なのである。
神の大いなるいつくしみによって、高層建築物が倒壊することはほとんどなかった。大水害も500年に一度である。竜巻は大方のキャンビングカーの集中するキャンプ場を避け、ハリケーンもニューヨーク市に着くまでに弱まる。そして地震も休日の午前4時31分、高速道路に車の少ない時であった。まことに神はいつくしみ深く、真実な方である。
聖書・詩編71:1−3「主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を救い出し、私を助け出してください。あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。」
ジョーニー・エリックソン・タダ、『神、ともにいまして』より